「とにかくすぐなんでも『頭』で理解しようとしがちだよなぁ・・・なぜ?」と感じ続けてる。
「それはそれ」と、目に見えることや手にしたこと、耳にしたことを単純に受け止めず、
「それというのはなぜそうであるか」とか、
「なぜそうであるかというとこうだからである」とか、
なんだかどんどんどんどん理論展開していく癖がついちゃってるよね?
そうしているうちに「目に見たこと」「手にしたこと」「耳にしたこと」が「そのまま」ではなくて、当人が(不安を抱かないように)安心する納得要領に改良されてしまって頭に保存されていくのね。
それってつまりもうその段階で「現実とは違うことになっちゃってる」ってことじゃん。
それを拡散していったら「ウソ伝染」ってこと。
これじゃぁ疲れちゃうわ、混乱を巻き起こすわ(ご当人は混乱は無いカモねぇ・・・)、そもそも人間に備わってる「感覚」ってものがどんどんどんどん衰退しちゃう。
感じたことはそのままにしておかないといけない。
その感じたことに理論付けは不要。
その感じたことを上手く伝えたいなら、それを伝えるべく、その材料になるようなことを見つけて、自分から動かないとダメなんだよねぇ。
そうやって動いているうちに「感じたこと」を説明出来るようになってくるのさ。
これって『頭』で理解したんじゃないのね。
『ハート』で理解できたのね。