「主人公」には、それぞれのその人の「情念」というか、「一種の業の深さ」がないと、人物の的が絞りきれなくなってしまう。
バブルを経験し、崩壊し、バブルで儲けたマネー転がしの時代を経験し、これも崩壊した。
この間20数年かと思うが、すっかり「情念」とか「業の深さ」は厄介扱いというか、「だせー」とでもいうかのような風潮に様変わりした。
芸能界でも(一般社会でも。会社内とか。)こういうものを後ろに背負ってる人が必ず大衆を魅了してきたはずなのに、こういう方達がある時から去りだした。
みんなそんなことから意識的に避けるように演技し続けた。
そうしたら、その後にこういうものを背負っているような人が登場すると、プロデュースする側の「作り」に利用されだした。
わたしは華原の朋ちゃんがいい例かと思う。
彼女はホントにいい被害者だ。可哀相に。
華原の朋ちゃんのプロデュースの前に篠原涼子が利用された。
しかし2曲くらいやったらどうも篠原涼子から立ち去った感が見て取れた。(オバチャマには。)
彼女が歌番組か何か亜で、お茶目にからかう感じで、
「小室さ~~ん!! わたしのこと、捨てないでくださいね~~!」
と言ったのが、オバチャマには衝撃だった。
「あ、この子、賢い。やらせを通り越して売るための作りに利用されてる感じを嫌ったんでは?」って直感した。
それで篠原涼子の次ぎに華原の朋ちゃんが出て来た。
まぁ小室サイドは「恋人同士という「やらせ」をしたかっただけ」だろうに朋ちゃんは純粋だった。
いや小室さんって人も「やらせ」を「本気」に取られちゃって、相当困ったんだろうが、
「態度」や「言葉」がウラハラで勘違いさせたり、同情を向けさせるのが上手な人なんだろう。
その後去年の春あたりのグータンヌーボー(江角マキ子達のガールズトーク番組)にKEIKOがゲストで出た。
明らかに朋ちゃんらに当てたような相当なイヤミとしか思えない言葉を吐いてビックリした。
「この人、女性の趣味が悪い~ってず~っと思っていたのね。」そう言ったんだからね。
自分が好きになった男性に向けてこういう言葉を吐く女性はちょいと敬遠するし、
所詮そういう女性と一緒になるオトコってことだ。
「やらせ」が「作り」になってしまう人は敬遠だ。
それと質が違うんだけど窪塚君なんかもそのいい例かと思う。
彼の(過去の)奇行がどうであれ、ああいった持って生まれた純粋さを利用して追いつめる社会。
そんなんだから「的が絞られないような人」が沢山出てきてしまった。
いまさらそんな人達に、「情念を持て」だの「業の深さも理解しろ」だの言ったところで、「ぽかーん」とされるのがオチである。
だから手っ取り早く、「じゃぁみんなが主役でいっか。」とこうなる。
「阿呆もいい加減にしろ。」って、相当ムカムカ怒り出したくなる。