ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

朋ちゃん、響くなぁ。なんでだろう。

2009年10月03日 21時03分51秒 | 味わうねーさん
いやさ、globeのKEIKOだって、それはそれでいいんだけどさ。

朋ちゃん。

なんだろうなぁ。
響くなぁ。

朋ちゃん、純粋すぎるのね。


小室さんもなんかフォローしてやってくんないかなぁ。罪滅ぼし。

KEIKOさんもそこら辺、懐で理解してやってさ。


朋ちゃん。

響くんだなぁ。


私だけかなぁ。

「事実であるか」とか「正しいか」とか言う前に「正直か」かと。

2009年10月03日 12時18分31秒 | 考えるねーさん
まぁ、世の中がねじれまくっちゃって、もう。


「事実を!」とか「真実を!」とか「正しくない!」とか突っつき合戦、飽きませんか。
つまんなくないですかねー。愉快じゃないじゃんねー。


それよりも何よりも「正直か!?」


ここを見たほうがなんか楽しくないでしょうかねー。
ここを見た方が人となりが浮き彫りになって楽しくないでしょうかねー。


「正直者の嘘」ってねー、「人を傷つけない為の嘘」をつくのよねー。

一瞬「人を怒らせる嘘」をつくかもしれないけどねー。
延々「人を傷つける為の嘘」をついてないと思うのよねー。


正直者は目で語ったりするからねー。表情で語るんじゃないのねー。目で語るのねー。
アイコンタクトが上手な人は正直かと思うよー。


事実だけ信じたりさー、正しいってことだけ探そうとしたりさー、疲れませんかねぇ。


そういうところばかりに目がいくと、正直じゃなくなっちゃうんだよねー。


正直じゃなくなっちゃうとさー、歪曲したりさー、自分を誤摩化したりさー、そうしなきゃいけなくなるからねー。


わい‐きょく【歪曲】
1 物をゆがめまげること。また、ゆがみまがること。



親切で面倒見が良いヤツについて。

2009年10月03日 03時01分59秒 | 観察屋ねーさん
親切で面倒見が良いヤツっていうのは、

「どんなことでも求められたことには応えよう。」と一生懸命になる。



ここでひとつ、ズレが起きている場合が必ずある。

「求めた側」っていうのは「必ず応えていただくことを期待してるとは限らない」ってこと。

「断られる事も承知の上の対等の気持ちも持ち合わせてる」ってこと。



親切で面倒見が良いヤツっていうのは、

「求めに応えることが好きな人」だったりする。

だから、「そもそも期待が薄い人」に一生懸命応えた時にあんまりにも反応が無かったら、がっかりして逃げ出したくなる。



もうひとつ、ズレが起きている場合が必ずある。

「求めた側」っていうのは「質まで向上したいってもうひとつの側面まで同時に合わせて求めてる場合がある」ってこと。

「「応えてくれたら嬉しいわ。」じゃなくて「応えないという事は絶対に許されない。」という気持ちを持ち合わせてる」ってこと。



親切で面倒見が良いヤツっていうのは、

「求めに応えることが好きなんだけど、あくまで無茶せずに自分が出来る範囲のことをする人」だったりする。

だから、「求める」が「強制」になった時に、興ざめして逃げ腰になる。




結婚生活が上手くいかなくなる夫婦の原因のひとつかと思う。


言い訳じゃないが、あたいの離婚は旦那が発症した難病が原因。
普通に働けない状態の難病を抱えてしまったから、お互いの家の結論として、「結婚という状態を解消した」ってこと。
この部分は、病気の内容が内容だっただけに伝わりづらくて、状況が状況だけに説明が不足していて、とある友人にも誤解されたままになっているかと思うが、説明が不足してようが伝わっている友人がいるのは救い。


「求める事」って、具体的にして伏線は張らない方がいい。

例えば、

「マイホームが欲しい。でかつ、生活の質もあげたい。マイホームを持てば必ずこうなるわよね!」

ってこういうのは大抵ダメ。

「マイホームが欲しいナ。」「やった!うれしいわ。」ここで止められないとダメ。


「もっと給料を取って欲しい。それが出来なきゃ私の言う事を聞くまでね。」

ってこういうのは絶対にダメ。

「給料が上がると助かるわ。」「がんばってそうならないものは仕方が無いわね。」ここで止められないとダメ。


求める事に伏線を張ったら大抵それってダメになるかと思う。
伏線を張りたいのなら、「その先の展望を語り合う時間を取るようなお互いの心配り」をしてなきゃダメだと思う。




もと・める【求める】
1 欲しいと望む。ほしがる。
2 相手に要求する。


きょう‐せい〔キヤウ‐〕【強制】
権力や威力によって、その人の意思にかかわりなく、ある事を無理にさせること。


ふく‐せん【伏線】
1 小説や戯曲などで、のちの展開に備えてそれに関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと。また、その事柄。
2 あとのことがうまくゆくように、前もってそれとなく用意しておくこと。また、そのもの。


あなたは○○に向いている。

2009年10月03日 01時15分15秒 | 考えるねーさん
「あなたは○○に向いている。」

例えば、「医者に向いている」とか、「俳優に向いている」とか。

そういうことを言う占い師、どう思われます?

私、これが、まったく、「占い師」として信用出来ない。

占い師なんて所詮、「「人生相談のオバチャン」とか「人生相談のオジサン」にしかなれないでしょう?」って思ってる。

占いなんて所詮、「統計学」の何ものでもないのだから、「統計的にこうでてますよ?」って程度の話を、信じるでもなけりゃ疑うでもない。

そういう単純作業(ですよね。)で長年いろんな人を相手に占ってきて、
いろんな人を顔を見たり、口調を聴いて来たり、悩みの内容を聴いて来たりして、何かを積んできて、
「人間洞察が優れてくる人」もいれば、「まったくそこら辺が優れていかない人」がいて、
そこが大衆に「ウケるかウケないか。」「信用されるか、されないか。」という分かれ道になるんだと思う。

基本的に自分で何か積んできて思う所があって初めて、
「あぁ占いしてみたらなんか裏付けされちゃったなぁ。」って思うだけのもんで、
「言われた内容をそのまま信じてなにかを起こす」なんてもんじゃぁまるでない。
「てことはつまりどうしたらいいもんだろうか。」と自問自答する材料にしかならない。

だから、「細木数子」も「○○の母」も「江原さん」も「美輪さん」も、あたしにとっちゃ全部同じ。
「おいおい、違いますよ!」とツッコミを受けそうだが、
「違う」ということが自分にとっては何も問題にもならなけりゃ、違いの意味も何もない。

「私にとってその時にどう選択するか。」ってことだけで、
「その時数子」「その時母」「その時江原さん」「その時三輪さん」って、そういう感じなだけ。

そしてこれらの商売をしている人は、あくまで「家族」でも「友人」でも「自分のかかりつけの医者」でもなんでもない。
こういっちゃなんだけど、「こういう商売している方を利用させていただく」ってだけ。

関わり方の問題なだけで、仮にこれらの方たちと、もっと密接につき合うような事柄が出て来たら、
「契りを交わす」っていうか、「その時だけの意識じゃない、もっと別の意識」で関わるようにならざるおえない。
「必然が訪れればおのずとそうなるだけ」のことで、「あえて必然を装う必要も作り出す必要もまるでない」。


「細木数子」が詐欺に引っかかりそうな奴を狙って金を巻き上げるような詐欺師だろうがなんだろうが、どうでもいい。
乱暴な言い方かも知れないが、どうでもいい。
細木数子の詐欺に引っかかるんだったら、わかってあえて引っかかる。私はそれでいいから。
逆に「これはちょっとなぁ。」と思えば、離れればいいだけの話。

「○○の母」が東北なまりの見た目軽そうな憎めないオバチャンだろうがなんだろうが、どうでもいい。
乱暴な言い方かも知れないが、どうでもいい。
○○の母の軽さを求めれば、それとわかって引っかかる。私はそれでいいから。
逆に「これはちょっとなぁ。」と思えば、離れればいいだけの話。

「江原さん」や「三輪さん」が見えないものが見えたり特殊なパワーを出せたりして、うさん臭さかろうが、それがホンモノだろうが、どうでもいい。
乱暴な言い方かも知れないが、どうでもいい。
江原さんの特殊なパワーを試したくなったら、それとわかって引っかかる。私はそれでいいから。
逆に「これはちょっとなぁ。」と思えば、離れればいいだけの話。



ただひとつ問題点がある。

「自分で何かを積んできて思う所があって、「あぁ占いしてみたらなんか裏付けされちゃったなぁ。」って思うだけのもんだ。」と割り切れない人がいるってこと。

「自分で自分を前に一歩踏み出せないから、占い師に確定してもらいたい。」と思ってるような人がいるってこと。

「自分で自分を立て直せないから、スピリチュアル的何かで助けてもらいたい。」と思ってるような人がいるってこと。


「こういう人達が問題だ。」ってことじゃぁない。

こういう人は「何かに依存してないと自分が保てない人」だったり「自分の感情の何かを抑えてないと自分が保てない人」だったりするので、非常に丁寧に扱ってあげる必要はあるかと思う。

「こういう人達もいるのだ。」ってことを分ってない占い師とかスピリチュアルな師がいて、そうではない強い人相手と同等に振る舞うのは問題かと思う。

「こういう人達を狙ってしまえ。」っていうような分ってない占い師とかスピリチュアルな師がいて、洗脳して勘違いさせて金を巻き上げるようなのは問題かと思う。


確かに、

「いきつくところその当人の問題で、あちらとこちらは金で割り切れている。こちらに問題は無い。」

というような占い師とかスピリチュアルな師の言い分も分かる。

だけど、「そうだと頭で分っていながら、どうやってもそういう行動が出来ない人が事実いるんだ。」ってことは頭に置いておかないとマズイ。


あたいは占い師でもなけりゃ、スピリチュアルな感性をもった人間では無い。
だけど、妖精(妖怪)は、子どもの頃にこの目でしっかと見たけどさ。

だから、占いとかスピリチュアルを頼らないと自分が保てないような人に対して、そういったような助言は出来ないし、補助も出来ない。てか、する気もない。

唯一出来る事って言ったら、「正直に心と腹を割って、ずーーーっとつかず離れずつきあってあげること。」、そんくらいだ。

あえてそういう状態の人に対して「同情心」を向けることもしたくない。
「そんなのって人に対して大変に失礼だ。」と思うからだ。
案外、同情してあげるとかえって癒えないっていうか、どつぼにハマらせる(悪化する)可能性もあるからだ。

「同情」なんてことより、「常に気にかける」ってことくらいしかできない。

相手が離れたらそこに執着する気はまるでない。
てか、執着なんかしても、ちっともいいことないから。

ただ、「離れちゃったなぁ。なんでだろうなぁ。」っていう執念の気持ちで、そこからの日々を過ごすことは確かだ。
「なんでだろうなぁ。」を解く日々を過ごして行くことは確かだ。