ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

怖れを持った強さが真の強さではない。

2009年10月07日 23時55分26秒 | 伝われねーさん
怖れを持った「勇気」が真の強さだよ。


怖れを持つからビビるだと?


違うな。ははん。


「ビビる」のは「怖れ」じゃなくて「実は勇気が湧いてしまった時なはず」なんだな。


怖れが「ビビる」うちは、真の強さが出るわきゃないのだよ。


怖れてビビって戦略を打つなんて、今の世では、単なる「うつけ」じゃよ。


なぁ、あの世の信長さんよ。

現代の○○さんよ。



小娘より、神様へ。

待って終わりを知る…てか。

2009年10月07日 23時09分45秒 | 観察屋ねーさん
角田光代さんのインタビュー記事だったか。


随分前のことなんだけど、その記事の中で、

「何が(あなたの)原動力になってるか?」

という問いに対して、

「怒り」

と言っていたのを読んで、

「うわーおんなじ人がいたもんだ~!」

って突き刺さってきてから、何となく気にしてる作家さんだ。


プロフィール欄などでチェックしたら「同い年だわ~」とわかって、

「あぁ昭和40年代初期組って、もしかしたら同じかもしれないぞ。」

と思って、ますます親近感が湧く。


いまさっきNHK教育の「人物伝」にたまたまチャンネルをあわしたら、彼女が太宰治のある小説について語っていた。

その小説の題名までは確認が出来なかったけど、最初から最後まで、「何かを待つ、あれかと考える、それかと考える、だけどどうも違う、だから何かを確認したいから延々に待つ」みたいな風な小説について語っていた。

(これで題名が出るくらいじゃなきゃダメですか?ハハハハ。)


「わたしは「待つ」ってことには「必ず終わりがあるんだ。」ってことを知ったんですね。「あぁこういうことだったのか。な~んだ。」っていうものもあるし…」


そうやって語る彼女に、なんだかさらに親近感が湧いた私。


なのでお節介かもしれないけど、一言ツッコミたい。

「延々と待って終わりを知るだけじゃ悲しすぎるぜ?光代さん??」


「待ちながら進む」と、「終わりを知る」より、「始まりがわかる」のよ。ホントなのよ。

大はずれの今晩。

2009年10月07日 22時04分48秒 | 味わうねーさん
帰りに入った中華屋(案外混んでる)が、超マズイ店で。「怒りだしたくなるくらい」で。

「あんまりだ、ひどいよぅ。ばかーん。」と泣きながら(これは脚色してます。)知り合いのレストランを尋ね、美味しいケーキで口直しをして気持ちを戻して電車に乗り込んだ。


そしたらなんだ、今度はとなりの席にアルコールをたらふく呑んだと思われる男性二人が座ってきた。

特に酔っ払っちゃいないのだが、二人は仲良しさんの様子で故郷(伊豆)の話や家族(特に娘談議)の話が弾みに弾んでる。


どっしゃ~。


お兄さん、てか、オヤジぃっ!

あんた口臭が酷すぎるよぅ。
アルコール臭と口臭のミックス。
えーんど、脂クサイ体臭。


奥さんにちゃんとチェック入れてもらい?


あーぼーばなででぃぎぎゃでげなでぃ…
(あーもー鼻で息が出来ない…)


「ピーコンピーコン、緊急事態発生!緊急事態発生!!」

「口による呼吸に切り替え、よーし。」

喉が奥が渇いて痛くなってきたじぁんかぁ。

あーもぅ(牛)、怒りを通り越して泣きたいや。こんな日本。

ドハハハハ…



(脚色してるようでいてぇ、

「少~し本気、かな~り本気」

大原麗子です。(さんま風))



しかし自民党は小泉さんから涙続きで、中川さんがお亡くなりになったら戦友?達がこれまた涙。


泣きたがってるのね、日本は。

我慢してきたんだね、イロイロと日本は。

今日突かれたお言葉・その64

2009年10月07日 21時35分11秒 | 突言葉ねーさん
実験のないところに新しい伝統が生まれてくる道理がないとするならば、われわれは古い主題の巧妙なウ゛ァリエーション、古い枠の中でのテクニックの高度の洗練、といったものに眩惑され、同化されないために、常に「これは本当に○○だろうか」という問いを心の中に持ち続けることが必要であると思われる。


これも伊丹氏の本より抜粋。(○○には映画が入る)



これを読んで突かれまして、「必然的に思いを巡らされちゃったわけであります」が。


「実験」をすることよりもなによりも、「心の中で常に問いを持ち続ける」のが「一番大事」なんですよね。


心の中で問いもしないでね、頭だけ働いちゃってね、「あ、そうだ、こういう実験ありだな。」とひらめいたってね。

そんなもんは、

「何かをいきなり変えてしまう為」

とか、

「何かをひとまず消却してしまう為」

とか、

「自分だけがすり抜ける為」

とか、

「手段としての実験」になってしまうんですよね。

それをして、どういう意味を持ちますか、持たせますか。


これについて是非一度、国民全員が「相当悩んでみてほしいなぁ…」と思った。



頭で考えないで、心に問うた先に思うところがあってから、

「何かを生み出す為の実験」

をしなけりゃ、何の意味を持ちますか、持たせますか。



是非一度相当悩んでみて欲しいなぁ、と思った。



とにかく考えないで(ここ重要)、心に問うてひとまず悩むわけであります。苦悩するわけであります。産みの苦しみを味わうわけであります。



「考えるより悩まないと(心に問わないと)、人間は成長しないわよ?」

とは、子供の頃から耳にタコが出来るほど、親から親戚から聞かされてるんだわなぁ、わたし。

若い頃は「言わんとしてることの境目がよくわからないぞ~」って聞き流してるんだけど、サブリミナル効果の如く、気がつけば身体に染み込んでるものなのね。


母親には、

「そういうあなたにイマイチその形跡が見られないんだけどねぇ。どうしたことかねぇ。」

と言っては(わざと)虚仮にするわけですが。


ワハハハハ…

なにが「主役ばっかり!」じゃ。

2009年10月07日 18時31分08秒 | 吠えるねーさん
ダイハツのコマーシャル。

子どものお遊戯会に行くと、そこには「主役の桃太郎」ばかり。


なんだよ、このコマーシャル。
ユーザーなめくさっとるな。
揚げ足取りもいいとこ。


「みんなが主役になりたい」みたいな、
「そういう風土を作ったのに手を貸してるのもおまんらじゃ~~~っ」て、
「言っちゃうよ?」(タケちゃんマン風)


「みんなが主役」みたいな演出したら混乱するでしょうに、もー。
なにさ、混乱させたいわけ?


「みんなが主役」なんて言うようなそんな人間に「ウザイな、ズレてるな。」と潜在的に思ってる人間は沢山いるのですよ?


「みんなが主人公」だからこそ、「和」していけるんじゃないですかぁ。


コマーシャルでそういうこと(「みんなが主役」)を平気で伝えてどうすんのよ、もー。


「君らをからかってるのだよ?
裏を読み取れよ、一般大衆?」って感じがあざといよ。


やめましょう、ホントに。
こういうぜ~~~~んぜん笑いのセンスがないようなCM。


「失笑」もしくは「はぁ?(呆)」しかないよ、こういうのは。


しかし、ソニーのプレステも「みんなが主役」っていうコンセプトだと聞いたし、どこのシンクタンクが裏で大手を振ってるんだ。

もう、世の中もこんな状態なんだからさぁ、ここまできたら「悪」だよ、こういうのは。

ユーザビリティ=消費者が買いやすい=製造元は沢山売りたい

本質としてこういう商売を本気でしたいならさぁ、もっと違う表現がいいかと思うよ?

捨て身なんでしょうか。

まぁ魂が込められているようで抜けちゃってるから思い描けないのだよね。