ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

今日突かれたお言葉・その50

2009年06月24日 23時31分33秒 | 突言葉ねーさん
利他的な人たちが協力的であろうと心がければかけるほど、利己的な人たちは「ただ乗り」の恩恵をより多く受けることができることとなる。



「ただ乗り許せね~!」と思う必要はありません。
「ただ乗りを監視して罰を与える。」そんなことをする必要もありません。

ただ乗りの恩恵よりも、協力的にしたおかげの恩恵を知ってる人達が必ずいるからです。
それだけでひとまずオッケーです。

関係性の意識

2009年06月24日 23時01分39秒 | 観察屋ねーさん
関係性だけ意識していると、人間洞察がおろそかになるよねー。


人の顔色をうかがって、空気を読む、波風立てない、火の粉を飛ばさない、こういう行動パターン。


その人を洞察している訳じゃぁないんだよね。


あ、「これだからダメ」っていう話ではなくて、「そうだよね。」っていう事実。


だけど、そうやって立ち回っちゃうのを癖付けちゃうと、実は本当は人との上手な関係性を作れなくなっちゃうって知ってます?
ルール守られてないことがとにかく許容出来なくなってっちゃうんだよねー。


「空気を読まなくてもそれはそれでアリ。それが逆に偏りすぎを調和してオモロイ!」と昔から思ってるんだけど、あたしゃ。

「信頼できる・できない」を意識しなくていい環境

2009年06月24日 21時48分37秒 | 伝われねーさん
探らなくていいから気分が楽チンなんだよね~。
だから自然と集団意識が芽生える。


その逆で常に「信頼できるか・できないか」を探らなきゃいけない環境は自然と個人主義の意識が芽生えるわな~。
表向きは集団を乱さないような言動をしていても(そのほうが「他人に望まれる」と思い込んでいて)、実は超個人主義なのね。


何のために「信頼できるか・できないか」を探るのかって、「自分は損したくない・自分は騙されたくない」っていう意識からだと思うんだけど、「仮に損したところでどんだけのデメリットがあるんだ?」とか「騙されたところでどんだけのデメリットがあるんだ?」とか、その先の状況を具体的に考えられる人は、必要以上に「信頼性」とか「信頼感」を意識してないよね。
だから案外集団意識が強いっていうか。


ここを考えられないと、ずーっと「信頼」ってことを意識せざるを得ない。


それと、デメリットの分量は「信頼できる・できない」のものさしにはならない。


デメリットの分量が多かろうが対処できる人は出来ちゃうし、デメリットの分量が極々少なくても、それだけで「信頼できない、対処できない」となってしまう人はいる訳でね。


だから意識的な「信頼」って必要が無くて、結果として「信頼」を生めたら、「こんなに嬉しいことは無いね。」って、そんだけのことだよね。