ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

北京・仙台便 復活か?

2016-03-04 | 2016年

5年前の今日、大連に着いたという記事を書き、8日に帰国したなんてことを書いていた。 

そして日本に戻り三日後に、あの大震災。

山田監督の大連在住時代の家を見つけたこととか、そのあたりは開発の為壊される寸でのところだっとか、いろいろ書こうと思ってた矢先のあの大地震。

何もかもがぶっ飛んでしまった。

3・11が近づいたからだろう、関連番組が増えた気がする。

わたしも、あと何日だと心の中で思ってみたり、やはり3・11はカレンダーの中で特別に太字でくっきりと刻まれている。(気がする)

先日東京に泊まり横浜の海付近を歩いたがどうも落ち着かない。 羽田のホテルは避難経路確認したし、横浜行っても高いビルみてどれがいいかな?と探してたり。

やたら地下には潜らないようにし、行ったとしてもさっさと上がる、、気持ちが落ち着かないのだ。

みんなよくのんびり普通顔してすごしてるな・・ と思った、でも、当たり前。 あの辺の人にしたらそれが普通で当たり前の生活なんだもの。

そこに違いを感じた。 まだ体験していない人たちと、あの大震災まっただ中を生きた経験を持つ被災者の自分と。

絶対やりたいことだけして、そそくさと東京を離れた。 

あと数日で5年経つけど、ぎっちりと感覚やこころ?に刻み付けられた痕は簡単に消えるものではないのだと、関東の海の傍でざわざわと落ち着かないこころから実感した。 

 

そうそう、震災のはなしをしようと思ったんじゃなかった。

北京・仙台便が復活するかもしれないというニュースのことだ。 5年前は北京(大連経由)仙台で帰って来たわけだから、就航してたんだね。

地震の後からなくなったんだっけかな? 今は週二便上海行きだけ。 北京に行く時は上海経由となるはず。

北京・仙台便が復活するとわたしはうれしい! 中国の感触も良好そうだから、早めに飛んでくれることを期待したい。

 

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今日はひなまつりだった

2016-03-03 | 2016年

お雛様、何年も押し入れの真っ暗な中で息をひそめてる。

というか、わたしがすっかり忘れて出してあげないからだけど。

うちのお雛様は、仙台の堤焼のお雛様。

今年も出さずじまいになってしまった、せめて写真だけ。

 

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雲南の旅 食事編

2016-03-03 | ■雲南の旅 2016

解説もコメントも薄目の 「食事編」 をアップ!

それも中途半端な三分の一くらいの写真だ。 8泊9日ともなると食事回数、料理の品数が多過ぎて写真撮るのも段々面倒になってきて・・ それと疲れてくると料理の写真なんてどうでもいいって気持で、まず食べようよ、、 になってくる。 だから初めの方の食事の写真だけだ。

全日通して野菜たっぷりメニュー! 肉類は牛肉鶏肉、たまに豚肉って感じかな。 魚メニューも時々。 地域柄や宗教の関係。

デジブック 『中国 雲南の旅』

デジブック、使い方がよく分らないところがあって、なんかこれパラパラ4ページで終わってしまう・・。

フルウィンドーにすると全部見れるみたい。 小さいままでも最後まで見れる方法あるんだと思うけどね。

ちなみに見れるのは30日だけ。

 

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三日前に帰宅

2016-03-02 | ■雲南の旅 2016

27日帰国の28日帰宅。

27日は夜だったので東京に一泊した。

翌朝ホテルのテレビをつけたら、「日曜美術館」。 なにかやってるかな? 五姓田義松だった。

紹介された 『老母図』 が観たくて横浜まで足を延ばしてから帰って来た。

 

ホテルで目覚めた瞬間、しまった! の気持ち。 

加湿器も借りてたから(といっても寝る時は止めた)気を許したのかマスクしないで寝たら、翌朝完全に喉と鼻の粘膜やられた。

日本についてからずっと鼻水出っ放しの今日この頃だ。

疲れもあるかもしれないけど、帰ってすぐ風邪ひいた感じ。

旅行から帰って疲れを引くことなんて今までなかった気がするけれど、今回は内容が結構ハードというかキツイというかそれはあるにしろ、わたし自身の体力も前とは違うのかもしれない。

きつさの一例を申し上げれば・・・  初日、ホテル着2時 それから翌日必要なものだけとりあえず出して寝たの3時。 とか。

モーニングコール4時半 5時半出発で朝日見に行く! とか。 

充実してたけどそれによく付いて行けたな 自分! って感じかな。

数年前のように力入れて旅の記録みたいなまとめ方するのは、ちょっと面倒になってきたけど、追々まとめてみることにする。

 

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