5年前の今日、大連に着いたという記事を書き、8日に帰国したなんてことを書いていた。
そして日本に戻り三日後に、あの大震災。
山田監督の大連在住時代の家を見つけたこととか、そのあたりは開発の為壊される寸でのところだっとか、いろいろ書こうと思ってた矢先のあの大地震。
何もかもがぶっ飛んでしまった。
3・11が近づいたからだろう、関連番組が増えた気がする。
わたしも、あと何日だと心の中で思ってみたり、やはり3・11はカレンダーの中で特別に太字でくっきりと刻まれている。(気がする)
先日東京に泊まり横浜の海付近を歩いたがどうも落ち着かない。 羽田のホテルは避難経路確認したし、横浜行っても高いビルみてどれがいいかな?と探してたり。
やたら地下には潜らないようにし、行ったとしてもさっさと上がる、、気持ちが落ち着かないのだ。
みんなよくのんびり普通顔してすごしてるな・・ と思った、でも、当たり前。 あの辺の人にしたらそれが普通で当たり前の生活なんだもの。
そこに違いを感じた。 まだ体験していない人たちと、あの大震災まっただ中を生きた経験を持つ被災者の自分と。
絶対やりたいことだけして、そそくさと東京を離れた。
あと数日で5年経つけど、ぎっちりと感覚やこころ?に刻み付けられた痕は簡単に消えるものではないのだと、関東の海の傍でざわざわと落ち着かないこころから実感した。
そうそう、震災のはなしをしようと思ったんじゃなかった。
北京・仙台便が復活するかもしれないというニュースのことだ。 5年前は北京(大連経由)仙台で帰って来たわけだから、就航してたんだね。
地震の後からなくなったんだっけかな? 今は週二便上海行きだけ。 北京に行く時は上海経由となるはず。
北京・仙台便が復活するとわたしはうれしい! 中国の感触も良好そうだから、早めに飛んでくれることを期待したい。