気持ちがなんとなく暗くなるのは天候の理由だけなのだろうか。雲がたれ込めた青森の海を半日眺めたあと、JRで海峡を越えて函館に来た。海峡のあちらとこちらでなぜか雰囲気がかなり異なる。住みたい町の日本一が函館なんだそうだ。なぜなんだろうか。水産業と函館どっくしか産業はないといわれた函館が、住みたい町と慕われる理由がよく分からない。
しかし、住みたい町の第3位が京都だと言うのを聞いて、ああなるほどと思った。函館も京都も観光地が多い。神戸も横浜も函館と同じ港町の伝統を持っているが、函館はその中でもエキゾチックな雰囲気が強いのかもしれない。港町の雰囲気と蝦夷地としてのエキゾチックさが、その理由なのだろう。京都が住みたい町に入っていることを聞いて、住みたいと思うのは住んでいない人なのだと言うことがよく分かった。住んでいる人は、ここがほかの町よりも住みやすいと思ってはいないだろう。
函館市と隣の北斗市の境界あたりにある七重浜に海を見に行った。満潮に近い時刻だったので、砂浜は狭く海が広がっていたが、遠くまで砂浜が延びて、久しぶりに伸び伸びとした心持ちになった。やはり海はいいなあ。砂浜にはたくさんの貝殻が転がっていて、種類も多く見ていても楽しい。町のすぐ横の海岸でこれだけの砂浜があるところが日本では無くなってきている。昔わたしが若かった頃は、このような景色が至るところにあったような気がするが、今は探してもなかなか見られなくなった。函館市内でも探してみたが、ほとんどない。市内電車でのんびりと終点の谷地頭まで乗り、そこから歩いて立待岬のすぐそばにある白浜という場所に行ってみた。おそらく昔はそこにはきれいな砂浜があったのだろうが、行った先にはコンクリートで固められた海岸があり、わずかな浜がそのコンクリートの狭間にあるだけだった。
浜からの帰りに驟雨があり、函館山の横にきれいな虹がかかった。久しぶりに見た虹だった。同じように雨に降られたのだが、青森の暗さと函館の明るさの違いはなんだろうか。不思議に思う。函館山の紅葉は今が盛り。すばらしい紅葉が期せずして見られた。京都へ帰ればこれから紅葉を巡る「狂騒曲」が始まる。
残念ながら、カメラの電池が途中で切れてしまった。充電器も持ってこなかった。カメラ屋さんに聞いたが、デジカメの充電可能な電池はカメラと一体でしか売っていないそうで、電池も充電器も売っていないのだそうだ。これはいったいドウしたことなのか。電池が切れたり充電器をなくしたりしたら、カメラと一緒に買い換えないといけないと言うことなのだろうか。メーカーの販売戦略なのだろうか。無駄遣いを奨励する戦略だとすると、止めて欲しい。せっかく函館の海と山を眺めて楽しんだのに、カメラの件でちょっと嫌な気持ちになってしまった。素直に楽しめないのは私の性格なのだろうか。
しかし、住みたい町の第3位が京都だと言うのを聞いて、ああなるほどと思った。函館も京都も観光地が多い。神戸も横浜も函館と同じ港町の伝統を持っているが、函館はその中でもエキゾチックな雰囲気が強いのかもしれない。港町の雰囲気と蝦夷地としてのエキゾチックさが、その理由なのだろう。京都が住みたい町に入っていることを聞いて、住みたいと思うのは住んでいない人なのだと言うことがよく分かった。住んでいる人は、ここがほかの町よりも住みやすいと思ってはいないだろう。
函館市と隣の北斗市の境界あたりにある七重浜に海を見に行った。満潮に近い時刻だったので、砂浜は狭く海が広がっていたが、遠くまで砂浜が延びて、久しぶりに伸び伸びとした心持ちになった。やはり海はいいなあ。砂浜にはたくさんの貝殻が転がっていて、種類も多く見ていても楽しい。町のすぐ横の海岸でこれだけの砂浜があるところが日本では無くなってきている。昔わたしが若かった頃は、このような景色が至るところにあったような気がするが、今は探してもなかなか見られなくなった。函館市内でも探してみたが、ほとんどない。市内電車でのんびりと終点の谷地頭まで乗り、そこから歩いて立待岬のすぐそばにある白浜という場所に行ってみた。おそらく昔はそこにはきれいな砂浜があったのだろうが、行った先にはコンクリートで固められた海岸があり、わずかな浜がそのコンクリートの狭間にあるだけだった。
浜からの帰りに驟雨があり、函館山の横にきれいな虹がかかった。久しぶりに見た虹だった。同じように雨に降られたのだが、青森の暗さと函館の明るさの違いはなんだろうか。不思議に思う。函館山の紅葉は今が盛り。すばらしい紅葉が期せずして見られた。京都へ帰ればこれから紅葉を巡る「狂騒曲」が始まる。
残念ながら、カメラの電池が途中で切れてしまった。充電器も持ってこなかった。カメラ屋さんに聞いたが、デジカメの充電可能な電池はカメラと一体でしか売っていないそうで、電池も充電器も売っていないのだそうだ。これはいったいドウしたことなのか。電池が切れたり充電器をなくしたりしたら、カメラと一緒に買い換えないといけないと言うことなのだろうか。メーカーの販売戦略なのだろうか。無駄遣いを奨励する戦略だとすると、止めて欲しい。せっかく函館の海と山を眺めて楽しんだのに、カメラの件でちょっと嫌な気持ちになってしまった。素直に楽しめないのは私の性格なのだろうか。
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