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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

色づき始めた京都のモミジ

2009-10-13 | 日記風

あれほど暑さにネを上げていたのは、ほんの1ヶ月前だったように思うのだが、今朝などは寒さに震えるような有様になってしまった。気温は10℃に届きそうになった。北の国ではもはや積雪が始まっている。一年が過ぎるのはつくづく早いと思うし、季節の過ぎゆくのもまるで夢のようだ。

 一年前に小江戸川越から京の都に移り住んだときに感じた季節が再び巡ってきた。去年のブログをみると、紅葉が色づき始めた有様を楽しんだことが何度も書かれている。今年も暑さが無くなって、そろそろ野山に足を運びたいと思っている。

 この連休で久しぶりに観光をしてみた。京都に観光に来る人たちが、おそらく必ず足を運ぶと思われる金閣寺(鹿苑禅寺)に行った。金閣寺はもう○十年も前、小学生の頃、四国の街から修学旅行で訪れたことがあったが、実にそれ以来、本当に久しぶりだった。

 小学校の修学旅行では、京都・奈良・大阪を回って帰るという当時としては一般的なコースだった。京都で泊まった「いろは旅館」は、いまでも三条京阪の駅のそばに昔とあまり違わない風情で建っている。もっとも中はまったく変わっているのだろうけれども。京都のことはあまり印象に残っていないが、残っているのは宿の名前と、観光で見た金閣寺と銀閣寺の二つだった。その当時、小学生の私に残った印象は、金閣寺のきらびやかな金箔を貼った方丈が、足利義満という時の権力者の権力誇示を思わせ、当時の虐げられた人々の生活との落差を思って、幼い義憤を感じさせたことであった。

 一方、銀閣寺は多くの人が愛好するように、わびさびの世界を実感させる質素な(本当はけっして質素ではないのだろうが)たたずまいが好ましく感じられ、それ以降なんどか京都を訪れたときには、銀閣寺を歩いた。しかし、それよりも銀閣寺のそばにある白沙村荘という庭園が気に入ってそちらへもっぱら通ったものだった。橋本関雪という日本画家の小さい庭園をもつ家だが、入場無料で、人も少なく、静かにお茶を飲んで一人で京の雰囲気を楽しめるところだった。でも今では、いつの間にか有名になって人が押しかけるようになり、いつの間にか入場料を取るようになっていた。

 去年京都へ来てから、銀閣寺も金閣寺も白沙村荘も訪れたことはなかった。銀閣寺を訪れた家人が、銀閣寺のコケの展示の説明に「(銀閣寺にとって)邪魔なコケ」「必要なコケ」などと書かれていたと聞いてから、ますます銀閣寺に行こうという気持ちはなくなってしまった。もっぱら銀閣寺の裏道から東山を登り、大文字山から京の街を眺めるのを良としてきた。

 金閣寺のたたずまいはおそらくほとんど○十年前と変わっていないように感じられた。もちろん細かいことまで覚えているわけではないが、金箔で飾られた方丈を眺める場所の雰囲気は当時とほとんど同じだったような気がする。大勢の観光客が金色の方丈を眺めて感嘆の声を上げているのも同じだ。その観光客の単純な感嘆の声に反発を覚えたのも、昔と同じだった。権力者のおごりをこの建物に感じる人は、おそらく少ないのであろう。

 金閣寺の金色の建てもののそばのモミジの樹の葉が、梢の方ではすでに赤くなり始めているのを見て、ちょうど一年前、京へ来た頃を思い出した。