今週、九州のとある町を歩いた。さすが九州だけあって日差しがあたたかい。イチョウの葉もまだこれから黄葉が始まるくらいだった。少し山際に行くと、もみじの紅葉も見られる。ハゼの木の葉はさすがに真っ赤に染まっている。ところどころ部分的な秋の紅葉を楽しんだ。
久しぶりにお寺で和尚さんの読経を聞いた。子供のころ、祖父の読経を毎日聞いていたので、懐かしい思いがした。座布団に正座して読経を聞いていると、子供のころを思い出す。しかし、正座も長く続くと足がしびれて辛い。子どもの頃も痛さに耐え兼ねてひっくり返り、祖父に叱られたものだった。
けれども最近のお寺では、座布団以外にも低い椅子を用意しているのでおどろいた。今ごろの人は長く正座が出来ない若者が多いからだろうなと、独り合点していたら,いやいや最近お参りする老人には肢が悪くて正座ができない人が多いから、という。なるほど。実は私も足が痛くてあぐらがかけない。正座できない人やあぐらがかけない人は老人には多いだろう。
自分も含めて、老人化社会を実感した一日だった。しかし、たまには静かなお寺で落ち着いて読経の声に耳を傾けるのも、精神を静めるのには良い。もっとそういう機会を持ちたいと思う。
久しぶりにお寺で和尚さんの読経を聞いた。子供のころ、祖父の読経を毎日聞いていたので、懐かしい思いがした。座布団に正座して読経を聞いていると、子供のころを思い出す。しかし、正座も長く続くと足がしびれて辛い。子どもの頃も痛さに耐え兼ねてひっくり返り、祖父に叱られたものだった。
けれども最近のお寺では、座布団以外にも低い椅子を用意しているのでおどろいた。今ごろの人は長く正座が出来ない若者が多いからだろうなと、独り合点していたら,いやいや最近お参りする老人には肢が悪くて正座ができない人が多いから、という。なるほど。実は私も足が痛くてあぐらがかけない。正座できない人やあぐらがかけない人は老人には多いだろう。
自分も含めて、老人化社会を実感した一日だった。しかし、たまには静かなお寺で落ち着いて読経の声に耳を傾けるのも、精神を静めるのには良い。もっとそういう機会を持ちたいと思う。

母は、月1回鎌倉のお寺で「写経」をしています。
時には、電話も鳴らない静かな環境で過ごすのもいいですよね。