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チンパンジーの戦争

2010-09-20 | 日記風
国際霊長類学会という類人猿などを研究する学者の集まりで、市民公開講座が京都大学で開かれた。講座のタイトルは「暴力の起源とその解決法」という。面白そうなので聞きに行った。一般市民が対象なので、さまざまな人が来ている。そしてさすが京都だけあって、着物姿の女性が目立つ。外国人も多い。なぜかというと、講師はハーバード大学のリチャード・ランガム教授と京都大学の市川光雄名誉教授、同志社大学の小原克博教授の3人で、メインはランガム教授の「チンパンジーと人類の戦争の起源」という非常に興味深い話だったからである。

 ランガム教授はチンパンジーの研究を長年続けている生態学者で、彼の講演は興味深い新発見が紹介されていた。チンパンジーでは、集団で赤ちゃんチンパンジーを襲って食べてしまうという行動が十数年前に発見されて、話題になった。チンパンジーは雑食なのだが、生きた動物の肉も食べる。その対象に、同じチンパンジーの赤ん坊も入ると言うことが衝撃を伴って受け入れられたのだ。しかし、あくまでそれは何か異常な興奮があったときにたまたま近くの赤ん坊サルが攻撃に対象になってしまったいわば過誤によるものではないかと考えられた。ところが、同じような例がその後も見つかったことから、かならずしも例外的なことではないかもしれないと思われるようになった。

 最近の研究では、チンパンジーの群れの間では、ときどき攻撃が起こり、その結果死亡するサルが出ていることが明らかになった。チンパンジーの群れ同士が戦争をするというきわめて人間的な行為が観察されるようになったらしい。戦争は人間だけのものだと考えていたが、人類の進化的兄弟と思われる類人猿でも戦争に類似したことが起こっているというのは、衝撃的な話であった。そこから、彼の話は人類の戦争の起源に結びつく。その行程は、(1)群れの離合集散が続き、(2)群れ間の数の不平等が生じ、(3)戦闘による結果、大きい群れが小さな群れを吸収してさらに大きくなる、(4)それがさらに群れ間の確執を大きくして、戦争に発展するというシナリオが、初期人類の群れ間でも起こったのだろうという。その上で、ランガム教授は、戦争を回避する努力を人間の義務として紹介する。

 一方、市川名誉教授は、南米のインディオやアフリカのピグミーなど原始的な生活をおくる人々の生活を追いかけてきた文化人類学者であるが、彼の講演は、このような民族の生活が基本的には戦闘や戦争を避けるような共存、共生の生活様式を持っているかを紹介した。所用のために、小原教授の話は聞けなかったが、神学者の彼の話は宗教と暴力の話だったようだ。

 途中で出てしまったが、この講演会はなかなか面白かった。ランガム教授の話では、暴力の内容が戦争とその解決法というくくりで話されたが、市川さんの話では個人的な戦闘が中心で、群れの中の暴力を避ける仕組みを人間の群れが作りだしていくありさまが中心であった。部族間の戦闘=戦争もその延長上で話されたように思う。面白く感じたのは、ランダム教授が基本的に個体間や群れ間の関係を闘いという目を通して考えているのに対して、市川さんの話は、共存と共生を中心に考えているというところだった。アングロサクソンの白人の考え方が競争や闘争を諸関係の動因としてとらえるのに対して、モンゴロイドの日本人の考え方は、自然との共生や個体間・群れ間の共存を中心に考えるという違いがきわめて鮮明だったことである。もちろん、日本人研究者も西洋科学の影響を受けて競争や戦闘を個体間の関係を解明する中心に置く人が増えてきている。しかし、やはり私たち日本人には、競争・闘争ではなく、共存こそが個体間、群れ間の関係性を説明するものであるはずだ、あるべきだ、と思う信条があるように思う。

 宗教と暴力や戦争との関係は、またきわめて面白く興味深いものだが、類人猿から始まる暴力や戦争と、類人猿には見られないと思われる宗教との関係については、やはり違った面から考える必要があるだろう。霊長類学会が主催する講演会で宗教と暴力の関係がどのように議論されるのか、関心はあったが、俗世間の関心事に負けて最後まで聞けなかったのは、ちょっと残念だった。

 北海道の地の果てに近いところや、関東でも田舎に住んでいると、このような知的な刺激を受ける機会は少ないが、京都の町中に住んでいると、そのような機会は溢れるほど多い。その結果、大事に思わずに、またの機会に等と思ってしまう。でも関心のあるこのような催しをすべて参加していたら、私の日常は成り立たない。山へ行く機会も持てなくなってしまう。悩ましい。贅沢な悩みかもしれないが。

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