ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

にんげんをかえせ

2013-08-13 | 日記風
   ちちをかえせ ははをかえせ
   としよりをかえせ
   こどもをかえせ
 
   わたしをかえせ わたしにつながる
   にんげんをかえせ
 
   にんげんの にんげんのよのあるかぎり
   くずれぬへいわを へいわをかえせ
                峠三吉「原爆詩集」より

68年目の原爆記念日も、猛暑の中に終わった。戦争をしたがっているアベシンゾー首相もメッセージで空疎な言葉を羅列して見せた。私は、その数日前、実に何十年ぶりに映画「ひろしま」を鑑賞した。この映画は、戦後すぐに広島原爆の悲惨さを再現して、ふたたび戦争を繰り返させないという強い思いで作られた。私も子供の頃、この映画を学校の授業の一環として見た覚えがある。とにかく原爆の恐ろしさ、被害の非人間的なむごさなどが、幼い心を強烈に打った事だけを覚えていた。ところが、アメリカの占領政策によってこの映画は、その後日の目を見ないまま、どこかの倉庫で眠り続けていた。アメリカは原爆の悲惨な実態を世界の人に知らせることを拒否した。

あれから何十年も経ってようやく再び日の目を見た「ひろしま」。懐かしさもあったが、最後のシーンに目が釘付けになった。子供の目では何のことか分からなかったのだろう。ほとんど記憶に無いが、ラストシーンは、広島の町からあふれ出る人々の群れが平和公園に向けて集まってくる。彼ら彼女らは、戦争を再び起こそうとする人たちの策動に反対し、二度と戦争をさせないための平和集会に集まろうとしている姿なのだ。広島市で原爆に殺された20万人の人々の魂魄とそしてその後を生きる何十万人という人々の静かな意志が、この映画には描かれていたのだ。再びこの映画「ひろしま」を見て良かったと思う。そして、アメリカと日本政府がこの映画を見せたくなかったことが、よく分かる。軍隊を持ち、アメリカのために戦争をしようという安倍政権の今こそ、この映画が見られるべき時代的な必然性がある。

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