『太陽』1994年11月号

2016-01-05 | 日記

      

貞心尼(俗名・奥村ます 1798-1872)が良寛に贈った歌。

      いかにせむ学びの道も恋草のしげりて今はふみ見るも憂し

良寛(俗名・山本栄蔵 1758-1831)から貞心尼への返歌。

      いかにせむ牛に汗すと思ひしも恋の重荷を今は積みけり

1828年頃、奥村ますと山本栄蔵は、一人の女として一人の男として互いに相聞歌を交わしていたのである。「いかにせむ」とは、互いが互いの我が「恋の重荷」をどうしようとしたのだろうか。

ここに本居宣長(1730-1801)の『源氏物語』について書いた源氏論『排蘆小船』(あしわけおぶね)があるが、この中で宣長は、「和歌が道徳を教えるものでもなく、儒教や仏教の教理に合うものでもなく、ものはかなく、めめしい、人間の情を歌うものであること、人間性の真実を表現するものだ」(大野晋著『語学と文学の間』より)と書いている。

歌ハオモフ事ヲ程ヨクイヒ出ル物也。心ニオモフ事ハ善悪ニカヽハラズヨミイヅルモノ也。サレバ心ニオモフ色欲ヲヨミ出タル、何ノ事カアラン。其ノ歌ヨロシクイデキタラバコレマタ何ゾ美(ホメ)賞セザランヤ。スグレタル歌ナラバ僧俗エラブベキニアラズ。(『排蘆小船』より)