銀座一丁目・ギャラリーゴトウにて、上野憲男個展 『 眼瞼の雲の下で 』 [ 4月7日 ( 月 ) ‐ 15日 ( 火 ) ] の案内状が届く。詩的な言葉ですが、「 眼瞼の雲 」 とはどういう意味なんだろう。 「 眼瞼 」 とは瞼 ( まぶた ) のことで、眼が曇ってきて、視界があまり良く見えなくなってきたのだろうか。ということも考えられて、目は大切にしましょう。
上野先生は80歳を越えてなお精力的にご活躍である。ご案内ありがとうございます。
銀座一丁目・ギャラリーゴトウにて、上野憲男個展 『 眼瞼の雲の下で 』 [ 4月7日 ( 月 ) ‐ 15日 ( 火 ) ] の案内状が届く。詩的な言葉ですが、「 眼瞼の雲 」 とはどういう意味なんだろう。 「 眼瞼 」 とは瞼 ( まぶた ) のことで、眼が曇ってきて、視界があまり良く見えなくなってきたのだろうか。ということも考えられて、目は大切にしましょう。
上野先生は80歳を越えてなお精力的にご活躍である。ご案内ありがとうございます。
RICHARD PAUL LOHSE ( 1902-1988 ) はスイス・チューリッヒ生まれのグラフィック・デザイナーであり画家である。つい最近、この本を手に入れた。書名は 『 リヒャルト・パウル・ローゼの構成的造形世界 』 ( 多摩美術大学ポスター共同研究会・編著 中央公論美術出版 2004年刊 ) という。2003年に多摩美術大学美術館でローゼの展覧会があった時に見に行って、とても感動したのを思い出す。ローゼの本は日本語で書かれたものはあまり目にしたことはなかったが、僕が気づかなかっただけかも知れない。外国の文献にはいい本がいくつか見受けられたが、ちょっと高価だったように思う。この本には、ポスター作品と絵画作品とローゼの論文などが収録されていて、僕のようなシロウトには、いいテキストである。その中で気になる言葉があった。
同じものの反復が全体の可変性を創り出す。
このアフォリズムは、ちょっと考えてみても面白いかも知れない。見方を変えれば、われわれの社会はある意味、「 同じもの 」 つまりピースで構成されているのである。ユニットはピースから構成されているのであるから、社会というユニットも、美というユニットも、表現というユニットも、ピースで構成されているということになれば、ピースの配列ひとつでモノの本当への入り口が見つかるかも知れない。 「 反復 」 という意味を、クローズアップする、という意味に取っても面白い、と思う。まあ、こういう言葉はいろいろ勝手に考えたほうがいいようである。単純に、変化を生み出すのは日々の反復の中でしかない、ということなのかも知れない。
油彩・キャンバス153×153cm ( 1953/1983年 )
ポスター ( リトグラフ ) 127×90cm ( 1958年 )
昨日のブログの続きで、昭和5年 ( 1931年 ) に脱稿されたという 『 つゆのあとさき 』 の二人の女の、僕なりのハイライト部分を抜書きしてみる。まず、モダン・ガール君江の生き方についての部分である。
十七の秋家を出て東京に来てから、この四年間に肌をふれた男の数は何人だか知れないほどであるが、君江は今以って小説などで見るような恋愛を要求したことがない。従って嫉妬 ( しっと ) という感情をもまだ経験した事がないのである。君江は一人の男に深く思込まれて、それがために怒られたり恨まれたりして、面倒な葛藤 ( かっとう ) を生じたり、または金を貰 ( もら ) ったために束縛を受けたりするよりも、むしろ相手の老弱美醜を問わず、その場かぎりの気ままな戯れを恣 ( ほしいまま ) にした方が後くされがなくて好 ( い ) いと思っている。
十七の暮れから二十 ( はたち ) になる今日が日まで、いつもいつも君江はこの戯れのいそがしさにのみ追われて、深刻な恋愛の真情がどんなものかしみじみ考えて見る暇がない。時たま一人孑然 ( ぼつねん ) と貸間の二階に寝ることがないでもないが、そういう時には何より先に平素の寝不足を補って置こうという気になる。それと同時に、やがて疲労の回復した後おのずから来るべき新しい戯れを予想し始めるので、いかなる深刻な事実も、一旦睡 ( ねむり ) に陥 ( おち ) るや否や、その印象は睡眠中に見た夢と同じように影薄く模糊 ( もこ ) としてしまうのである。君江は睡からふと覚めて、いずれが現実、いずれが夢であったかを区別しようとする、その時の情緒の感覚との混淆 ( こんこう ) ほど快いものはないとしている。 ( 以下、略 )
君江は、生きるに冷静な女であった。また冷静でなくては、女一人自分を見失わずに生きられないのである。 「 気ままな戯れを恣に 」 生きる君江に、僕は、ある種の理性と逞しさとを感じずにはいられないのである。 「 恋愛 」 を要求しない孤独な世界を 「 快い 」 とする君江の価値観は、そのまま作者・荷風の生き方でもあった、と思うのである。それが正しいか正しくないかというような形而下のことではなく、時勢に関わらないひとつの姿勢なのであった。自分のスタイルを貫き通すことは、これはモダニズムである。それはまた教養ある知性的女性・鶴子にも、そのままあてはまるのだった。最初、鶴子は子爵かなんかの人妻だったが、いつしか文学青年と恋に落ちて “ 不倫 ” を犯す。そしてこの文学青年は後 ( のち ) に流行作家になるや淫蕩生活を始め、鶴子を顧みなくなるのである。しかし逆に彼女は、男というものに失望したのである。男には依存しない、という生き方を彼女は選択したのである。依存しない、というこれもモダニズムであり、それが学問の世界だった。僕が思うに、鶴子を象徴的に書いたと思われる個所を引用する。
初夏の日かげは真直 ( まっすぐ ) に門内なる栗や楝 ( おうち ) の梢 ( こずえ ) に照渡っているので、垣外の路に横たわる若葉の影もまだ短く縮 ( ちじ ) んでいて、鶏 ( にわとり ) の声のみ勇ましくあちこちに聞こえる真昼時。じみな焦茶 ( こげちゃ ) の日傘をつぼめて、年の頃は三十近い奥様らしい品のいい婦人が門の戸を明けて内に這入 ( はい ) った。髪は無造作に首筋へ落ちかかるように結び、井の字絣 ( がすり ) の金紗 ( きんしゃ ) の袷 ( あわせ ) に、黒一ッ紋の夏羽織。白い肩掛けを引掛 ( ひつか ) けた丈 ( せい ) のすらりとした痩立 ( やせだち ) の姿は、頸 ( うなじ ) の長い目鼻立ちの鮮 ( あざやか ) な色白の細面 ( ほそおもて ) と相俟 ( あいま ) って、いかにも淋 ( さび ) し気に沈着 ( おちつ ) いた様子である。携えていた風呂敷包 ( ふろしきづつみ ) を持替えて、門の戸をしめると、日の照りつけた路端 ( みちばた ) とはちがって、静 ( しずか ) な夏樹の蔭から流れて来る微風 ( そよかぜ ) に、婦人は吹き乱されるおくれ毛を撫 ( な ) でながら、暫 ( しば ) しあたりを見廻した。
筑摩書房版 『 放哉全集 第1巻 句集 』 ( 2001年刊 全3巻 ) 。 午前、尾崎放哉 ( 1885-1926 ) の句集を読む。大正13年 ( 1924年 ) 、京都・知恩院時代の二句を掲載する。
庭石一つすゑられて夕暮れが来る
青空ちらと見せ暮るるか
午後、荷風 ( 1879-1959 ) の 『 つゆのあとさき 』 ( 岩波文庫版 ) を読む。昭和初期、銀座の巷間に 「 相手の老弱美醜を問わず、その場かぎりの 」 男と女の 「 戯れを恣 ( ほしいまま ) に 」 むしろ恋愛感情を捨てて、自立して生きる女給・君江と、通俗作家の夫より学問という困難な道を選んだ知性と品性ある人妻・鶴子の二人の女を描いて、男たちは旧弊を引きずりながら、女たちは自分を生き抜こうとするモダ二ズム小説である。
一日が偸安 ( とうあん ) に暮れて行く。日が長くなってきた。雪解けも早くなった。
アートサロン環 ( 中央区東出来島10-1-1F ) では 「 前山忠展 ― 同化と異化 ― 」 が開催中 ( 明日まで ) で、行ったらご本人が居られて、作品解説をしていただいたが、小さな素のままのキャンバス ( 3号大くらいかな ) 2枚の組み合わせで、いろいろなバリエーションを見せて面白い作品だった。何も描かれてないキャンバスの重なりはミニマルと言ってもいいが、しかしその重なりの陰影が日本的直線 ( 障子をイメージしてもいい ) をもたらして、実にリリカルであった。
「 前山忠展 」 個展案内状より
新潟絵屋ではきのうから 「 パリの書店より 林 哲夫展 」 を開催中で、こちらも今日はご本人が居られて、十数年以来の再会だったが、お客様も多く居られて大変盛況だったので、お話はあまり出来ずじまいだった。京都在住の林さんは古書コレクター ( 書籍冊子 『 sumus 』 創刊 ) としても有名な方であり、珈琲文化 ( 著書 『 喫茶店の時代 』 ) にも造詣がおありである。パリの古書店や年月を経た扉を描いて、ウージェーヌ・アッジェ ( 1857-1927 ) の古きパリ市街の写真をも思わせて、彼の本業を知ったように思う。会場写真を撮るのを忘れていて、残念だけどここに掲載する画像がないので、代わりに、といってもヘンだが、アッジェの写真を掲載します。正面の扉を開けると、そこが古書店である ( と思っていただくと、それはそのまま林さんの絵になるのである ) 。