『遅日抄』 (12/4一部改め)

2019-12-01 | 日記

           

今日は昨日と打って変わってとても暖かな日になった。午前中は用があったが午後には縁側で昨日に続いて佐藤春夫の詩集を読む。写真の詩集『遅日抄』(昭和17年 文園社刊) は詩人自身が選んだアンソロジー (詞華集) である。装丁・挿画は織田一磨 (1882-1956) 。昭和17年までに刊行された詩集の中からそれぞれ選んでこの一冊にまとめたもので、現在ではあまり読めなくなった詩がたくさん入っていて有難い。参考までにそれらの詩集名を書いて置くと、すなわち『殉情詩集』『我が一九二二年』『佐藤春夫詩集』『車塵集』『魔女』『一吟双涙抄』『小園歌』『春夫詩抄』『東天紅』『戦線詩集』である。昨日のブログで取り上げたのは『殉情詩集』である。今回は『車塵集』から「乳房をうたひて」を引いておく。『車塵集』は1929年 (昭和4年) に刊行された詩人自身による漢詩の訳詩集である。しかしそうは言っても訳文そのものが詩人の詩になっているのが分かる。唐・明代の漢詩集で、佐藤春夫のこの訳詩集では女性詩人の作品を訳している。

 

                        湯あがりを

                        うれしき人になぶられて 

                        露にじむ時

                        むらさきの玉なす葡萄

 

この詩は趙鸞鸞 (チョウ・ランラン、と読むか) という女性の詩である。「乳房をうたひて」という詩題がないと、何のことだろうと思う。「なぶられて」は「嬲る」という漢字を当てて、手でもてあそぶという意味に解した方が、湯上りの感じが出て、「うれしき人」とは誰のことだろうか。やはりこれは恋人である方がいいのである。湯から上がるその時のあたたかい湯水が乳房を流れ落ちて行く。それは恋人の手に触れられた時のように乳房のその喜びは、私の喜びの時である。芳醇な葡萄もまたその乳房に似て。このたった四行の詩に、冬のあたたかな日を僕はしみじみと慈しむ。冬の日のこんな日は、「遅日」であってほしいと思う。

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