5月も残り一週間となってしまった。日々の流れは相変わらずの速さでアントンKを急かしているが、新年度になって趣味的見地からすれば充実した日々を送っている。週末が中心だが、線路端に立って鉄道撮影にも集中でき、音楽鑑賞にも過去のアーカイブの中からテーマを絞って聴くことが出来ている。これから雨の季節を迎えるから、音楽鑑賞が増えてくるだろうが、撮影にも可能な限り挑戦していきたい。撮りたい被写体やポイントは一向に減らないので、まずはそれらを熟すことが目標なのだ。
今月は、久しぶりに新潟~福島へと遠征することができた。上越線に旧型客車が運転されるのをきっかけに計画を立て、若手の心強い友人とともに同行できたのである。上越線の旧客列車なんていつ以来のことだろう。アントンKが知る限り、2000年前後に旧客3両で走った「レトロトレイン駒子号」まで遡ってしまうのではないか。上越線でも南側の水上までは年に何度も運転はあるが、新潟側では珍しいはずだ。こんな想いを抱きながら、かれこれ数年振りの上越を目指したのである。
数年ぶりの上越国境は、現代の鉄道では当たり前になった、沿線では草木が伸び放題の哀れな光景が広がっていた。別に驚きはしなかったが、国鉄時代から度々訪れ、広大なループ線やオメガカーブの線形は変わらずとも、岩原を中心とした高層ビル群のくたびれた姿に目のやり場を失ったのだ。アントンKの思い入れのある80年代からすれば、スキーヤーも何十分の一になったとか。時代が変わったとはいえ、やはり現実は厳しく寂しく映ったのである。
もちろん、日中にL特急「とき」が行き交う訳でもなく、貨物列車でさえその存在を忘れさせてしまうダイヤ。目の前にはアントンKの知らないローカル線化した上越線が延びていた。今やこの日のような、イベント列車が走る日のみ活気を取り戻す、そんな路線になった現実を受け止めなくてはならない。
数年ぶりに中里の直線に立った。沿線には旧客列車を撮影しようとファンの山があちこちに出来ていたが、近年報道にあったような過激なファンは皆無でその向きでは一安心できたのである。左奥からロクヨンが姿を現わした時、なぜかゴハチのスキー列車が蘇り、この地で心を燃やした日々の事が次々に思い出されたのである。
今回は国鉄末期に運転された、同じ場所で撮影した「重連の旅」を合わせて掲載しておく。