風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

美しき三箇日/2009年の希望を構想する。

2009-01-04 00:58:47 | コラムなこむら返し
New_morning_09 素晴らしい三箇日の天候に恵まれた2009年の年明けだった。もちろん、それは東日本に限られた恵みだったかもしれない。北の国では雪と吹雪で明けたのかもしれない。しかし、ネィティヴ・アメリカンなら「インディアン・サマー」と呼ぶだろう素晴らしく晴れ渡った新年の(少なくとも関東地方の)三日間は、幸福感さえ与えてくれた。
 おそらく多くの人が生活防衛のため近所や、自宅で過ごしたに違いない新しい年の正月。何はなくとも、この恵みの太陽そして晴れ渡った冬の空は車と人口の少なくなった一年の中の何日間か東京が美しく感じられる環境を演出した。

 ああ、そうとも! 金はなくとも美しき日々を!
 貧困の渦中にいる境遇ほど、この厳しい冬の天候の恵みこそを心の底から感謝し、そして感じ入る事だろう。ボクらはアジアの旅で、その貧乏旅行の渦中で、貧しき人々こそその笑顔は屈託なく明るかったことを知ったはずだ。

 かってこの国でも、貧しく肩寄せあって生きていた下町では、鍵も掛けなかったし、他者を思いあっていた。落語で知る庶民の長屋暮らしは、まさにシェアしながら笑いあって生きている。人生を楽しんでいるのだ。ボクが少年時代を過ごした昭和30年代はまさしくそのような世界だった。
 そうだ! 物質文明に目くらまされていたボクらが、真の豊かさに目覚めるチャンスなのだ。この貧困化社会をこそをこころの豊かさのチャンスとしよう。
 規制緩和もナンセンスなら、なんでも国家、政府の対策に頼るのもナンセンスなのだ。自力で自らの運命を切り開き、助けあいながら自立するそんな他力と自力が調和する社会をこそ作ろう。
 地域の中で、助け合い、シェアしあうことを主力においた生活圏を主体的に構築するあらたなコンミューン構想がいま求められていると思う。

 立ちあがれ! 民よ!