風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

映画は幻影である/幻影師アイゼンハイム(1)

2008-06-12 23:59:23 | コラムなこむら返し
 そもそもシネマがリュミエール兄弟の手で技術的に完成された頃(1895年)、人々にとっては映画(シネマトグラフ)それ自体はまさにイリュージョンであり、幻影の投影だった。スクリーンを前にして、正面から迫ってくる汽車に人々は歓声をあげて逃げまどった、というウソのようなホントの話が伝わるくらいである。
 また、物語性をもった娯楽映画を世界最初に製作したのは『月世界旅行』(1902年)のジョルジュ・メリエスで、彼はそもそもマジシャンだった。
 つまり、「映画」はマジックと相性がよく、そもそも映画技術自体が光と影で構成されるマジックのようなものだったと言えるだろう。シネマトグラフでヒトコマヒトコマ動き出す前に、それは幻灯機とよばれファンタスマゴリア、つまり「変幻する光景を投影する機械」と名付けられていた。

 ボクは確信している。人々が映画に何を求めているのかを!
 ひとときの娯楽、もしくは時間潰しであろうとも、暗闇の中で椅子に座った人々が求めているものは、それまでの人生で見たこともない風景であり、見たこともない光景であると……。

 少年~青年の頃、母子家庭で孤独だったボクを慰めてくれたものは、貸本マンガ(劇画)であり、音楽(ジャズ)であり、映画だった。わずかの小遣いで毎週のように映画館へ通い、ジャズ喫茶へ通った。
 映画も、音楽もボク自身にとっては表現手段とはなりえなかったが、ボクの人生を豊かなものにしてくれた。貸本マンガ(劇画)については別の機会に語ろう。

 ボクが敬愛するレイチェル・カーソンの著作『センス・オブ・ワンダー』(驚異を驚く感性)をもじって言うなら、ボクは映画によって「センス・オブ・ファントム」つまり幻影(幻覚)を見る感覚を磨いていった。スクリーンの上の幻影(幻覚)はボクを時に、タヒチに連れていっただけでなく、深い海溝に(そう、海底2万マイルほどの!)、月の冒険へ、他の天体へ連れていった。ボクの文学体験はドストエフスキーとSF(なかでもレイ・ブラッドベリー)から始まったから、ジュール・ヴェルヌはドストエフスキーと肩を並べていただけでなく、『お化け煙突』(初期劇画誌『迷路』掲載)のつげ義春や『漫画家残酷物語』の永島慎二とも同等だった。

 ボクはきっと戦後最初の「クレオールな世代」だった。

 そして、そんなボクがエンターティメントだったが、『幻影師アイゼンハイム』(2006年アメリカ・チェコ/監督・脚本ニール・バーガー)という映画を見た。

(つづく)