風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

映画三昧三題(2)/まぼろしの邪馬台国

2008-11-20 15:07:48 | コラムなこむら返し
 『まぼろしの邪馬台国』:この映画は吉永小百合主演の何本目の映画になるのだろう。ともかくも「国民的美少女」のはしりだった吉永小百合は、ボクの姉の世代なのにいまだ美しい女優さんだ。恐れ入ってしまう。
 しかし、映画作品としてはいかがなものか? 単に『まぼろしの邪馬台国』というベストセラーを書き、邪馬台国論争を引き起こした宮崎康平(怪優、竹中直人が演じる)という人物の奇人ぶりばかりが強調されて妻和子(吉永小百合)との夫婦愛がいまひとつ伝わってこない(それがこの作品のテーマだったのではないか?)。
 島原鉄道のオーナーの家に生まれた宮崎康平は、おそらく盲人としては破天荒な人物だったと思われる。しかし、それは男尊女卑の九州男児たるものといった教育を受け、またそれを許した郷土が生み出した人物でもある。つまり、九州男児という幻想は、小児化した男をもり立ててきた九州の女性の成熟しない問題でもあるのだ。

 『魏志倭人伝』の記述に、そのすべての論争の根がある邪馬台国はどこにあったのかという問いと邪馬台国発掘調査という裏づけの部分は、かなり恣意的なものがある。考古学的な仮説の裏側には、恣意的な郷土愛がかぶさってくる。
 映画でも宮崎康平が卑弥呼の墳墓だと確信する場面でも、一切の根拠は触れられず宮崎康平の直観をなぞってゆく。しかし、それは論証されたことではない。だから、論争なのだ。
 まぼろしの邪馬台国論争というのは、邪馬台国ブームをこの国にひきおこすきっかけになった。だが、その論争自体は宮崎康平という郷土愛に満ちた、だが、破天荒な人物の頭の中に醸造された壮大な「ゆめまぼろし」のことだったのかもしれない。

 ひとつの疑念がある。あたかも邪馬台国はその後の大和朝廷につながるような思いがあるのだろうか。考古学的な証拠としてはよく分からないが、卑弥呼そしてその支配する邪馬台国とは、古代日本の一地方豪族、それもネイティヴなひとびとのことだったのではないだろうか?
 ハヤトや、クマソや、ツチグモと呼ばれたこの国の古代にいた先住の民、部族、豪族のほうがよっぽどボクなどの想像力を駆り立てるのだが……。

 この映画でみるべきものがあるとするのなら、宮崎康平役を演じた竹中直人が口ずさむ「島原の子守唄」だ。この子守唄が宮崎康平そのひとが作詞作曲したものだと言うことを知らなかったボクは、竹中が低い声で歌う「島原の子守唄」に鳥肌がたった。それは、ラストシーンで歌う子ども時代の憧れのひと吉永小百合の歌声より素晴らしかった!
 評価【★★★】

 監督:堤幸彦 脚本:大石静 2008年日本映画

 まぼろしの邪馬台国公式サイト→http://www.mabotai.com/