ぼくは、飛行機の旅はできるだけ窓側を指定します。窓からの景色がすばらしいので、いつも見とれてしまいます。
上の写真はハワイからの帰りの夕焼け。
下の写真はハワイにつく前の朝焼け。
ダミアン神父の時代は、もちろん帆船の旅でした。彼の宣教チーム16人が乗った3本マストの商船は、ドイツの港を出てから大西洋を横断し、南アメリカの先端ケープ・ホーンを回って太平洋に出て一路ハワイへ。138日間の航海でした。
その間どこにも寄航しなかったそうですから、ハワイの島々が見えて、ホノルルに上陸したときの感慨は、ぼくらの想像をはるかに超えるものだったことでしょう。
イエズス・マリアの聖心会の最初の宣教師3人が1949年、アメリカから初めて日本に来たときも、船の旅でした。横浜港に着いて、しばらくその近隣の修道院にお世話になったわけですが、そのとき、その3人の宣教師に出会った青年が、今回の巡礼の旅のお一人の男性参加者でした。
クレーグ神父が友部でお元気で過ごされていることをお伝えすると、88歳の彼はたいへんよろこんでくださいました。(今回彼は、80歳の奥さまと巡礼に参加されました。本当にお元気なお二人です。)
飛行機の旅は、地理的な距離の移動を時間的に信じられないほどに短くしました。が、そのあまりの便利さによって、遠い外国に行って帰ってきても、なんだか本当に行って来たのか夢見心地で、実感をもたせない残酷さのようなものがあります。
地上の旅もきっとそうですね。芭蕉のように歩く旅と、新幹線や高速道路の旅とでは大きな大きな違いがあります。
ぼくも、こころの病をいただいてからは、なるべく歩くようにこころがけています。時間に余裕があるときは、車でも高速道路を使わずに行くようになりました。
福島のカナダ人のあるシスターが、「わたしは鈍行が大好き」と、青春18切符で京都に行ったことや、東京と福島の往復でも、鈍行を使うのよ、と、楽しそうに話してくれたことを思い出します。
お金をかけてはやく行くより、時間をかけてゆっくり行く方が、よっぽどぜいたくなのかもしれません。
今回は飛行機の旅でしたが、ダミアン神父が歩いていたあのモロカイの地を、ぼくも自分の足で踏みしめてきたのだ、ということを、これからゆっくり時間をかけて味わっていきたいと思っています。
上の写真はハワイからの帰りの夕焼け。
下の写真はハワイにつく前の朝焼け。
ダミアン神父の時代は、もちろん帆船の旅でした。彼の宣教チーム16人が乗った3本マストの商船は、ドイツの港を出てから大西洋を横断し、南アメリカの先端ケープ・ホーンを回って太平洋に出て一路ハワイへ。138日間の航海でした。
その間どこにも寄航しなかったそうですから、ハワイの島々が見えて、ホノルルに上陸したときの感慨は、ぼくらの想像をはるかに超えるものだったことでしょう。
イエズス・マリアの聖心会の最初の宣教師3人が1949年、アメリカから初めて日本に来たときも、船の旅でした。横浜港に着いて、しばらくその近隣の修道院にお世話になったわけですが、そのとき、その3人の宣教師に出会った青年が、今回の巡礼の旅のお一人の男性参加者でした。
クレーグ神父が友部でお元気で過ごされていることをお伝えすると、88歳の彼はたいへんよろこんでくださいました。(今回彼は、80歳の奥さまと巡礼に参加されました。本当にお元気なお二人です。)
飛行機の旅は、地理的な距離の移動を時間的に信じられないほどに短くしました。が、そのあまりの便利さによって、遠い外国に行って帰ってきても、なんだか本当に行って来たのか夢見心地で、実感をもたせない残酷さのようなものがあります。
地上の旅もきっとそうですね。芭蕉のように歩く旅と、新幹線や高速道路の旅とでは大きな大きな違いがあります。
ぼくも、こころの病をいただいてからは、なるべく歩くようにこころがけています。時間に余裕があるときは、車でも高速道路を使わずに行くようになりました。
福島のカナダ人のあるシスターが、「わたしは鈍行が大好き」と、青春18切符で京都に行ったことや、東京と福島の往復でも、鈍行を使うのよ、と、楽しそうに話してくれたことを思い出します。
お金をかけてはやく行くより、時間をかけてゆっくり行く方が、よっぽどぜいたくなのかもしれません。
今回は飛行機の旅でしたが、ダミアン神父が歩いていたあのモロカイの地を、ぼくも自分の足で踏みしめてきたのだ、ということを、これからゆっくり時間をかけて味わっていきたいと思っています。
Unknownさんへ、
「今、コンピューターと決別することを真剣に考えています。それは積み上げてきたキャリアとの決別を意味するのですが、自分の足で歩いてって、「こんにちは」と笑顔で挨拶を交わす人生の喜びにもう一度立ち戻りたい」とお書きくださった心境、相当深く考えてこられたのでしょうね。でも、こうしてインターネットをとおして知って語り合えたこともまた事実。なんとかバランスよく、上手に利用できないかと、ぼくも思案中です。
SEKIYAMAさんへ、
地球は、おっしゃるとおり小さな箱庭のようですね。そして、そんな小さな中で争いや憎しみが絶えないというのは、まったくおかしなことだとぼくも思います。
さすが気象学者のコメント。見方が宇宙的でいいですね。宇宙飛行士の毛利さんが地球を見たとき「地球は地球儀のような国境なんてまったくない」というようなコメントをされていたのを思い出しました。
今回のぼくの日記は、あのハワイでの一週間があたかも夢のようであったことを少々感傷的に書いてみました。
きょんきょんさんへ、
コメントを、どうもありがとうございます。ぼくも、なかなかコマクサの花のようにはなれませんが、どんなにつらいときでも神さまがしっかり支えて守ってくださっているのだということを、忘れないようにしたいと思っています。
自分が何の種だか、置かれた環境が何故ここなのか・・・そんな事はおかまいなくただ従順に「はい」と自分の花を咲かせるコマクサ。私ももっと小さくもっと従順になりたいです。
インドネシアに続いてハワイと 素晴らしい信仰の地をたくさん見せていただいて 感謝です。
飛行機の旅の便利さって僕も感じますし、昔の旅の大変さに思いを馳せると現代の旅はお手軽過ぎるとも思います。でも、僕は同時に「地球なんてその程度の大きさしかないんだ」とも実感するんです。天文学や地球物理学を学べば、地球とは宇宙の中でいかに小さな存在なのか、僕らが無限だと勘違いしている地球のキャパシティーなんてあっけないほど有限なんだ、と知る事ができるのですが、それを体感できるのが飛行機の旅だったり情報通信網だったりするんです、僕の場合。
地球なんてその気になれば徒歩で半周できるんですよねえ。その距離を飛行機なら僅か半日、人工衛星ならば10分で通過です。そんな小さな「箱庭」の上で人間って揉め事を起こしたり、他人を蹴落として競争したり、異文化を理解しようとしなかったり、何してるんだか。飛行機に乗る度にそんなことを考えちゃうんです、僕。
鈍行で旅をすると通過していく町の特徴や人びとのにおいや生活に触れられていいですね。自分の足で知らない町を歩くと、もっと、豊かな何かに触れられる気がします。
わたし、悩んでいました。はじめて仕事についた時は手動式タイプライターでした。それがいつしかコンピューターとなり、そしてインターネットで世界がリアルタイムでつながっていく。バーチャルな世界、スピードとの勝負になって、職場から笑顔が消えてしまって。
今、コンピューターと決別することを真剣に考えています。それは積み上げてきたキャリアとの決別を意味するのですが、自分の足で歩いてって、「こんにちは」と笑顔で挨拶を交わす人生の喜びにもう一度立ち戻りたいと。
本来、コンピューターも飛行機も人の生活を便利にするために開発されたものだけれども、神父さまのブログを読んで考えさせられました。
物づくりを真剣に考えると、深い祈りになります。ワイキキのオーガスティン教会、とても美しいです。
教会づくりに携わった方々の祈りが伝わったくるようです。