友部は昔、常陸国と言われた頃、宍戸が町の中心部だったそうで、今でこそ常磐線の友部駅周辺が中心になっていますが、宍戸には古い町並みが残っています。
で、この宍戸に、江戸時代初期にフランシスコ会の修道院があったとのこと。
宍戸は、イエズス・マリアの聖心会の友部修道院のすぐ近く。
街道沿いの火の見やぐらの下には、マリア観音といわれるご像が建っています(写真)。
この着色は新しいものですが、「文政」年間の文字が見えるので(江戸後期)、本当に江戸時代初期からのものかは不明です(あとから「文政・・・」と彫られたのかもしれませんが)。
また、完全寺というお寺に、たまたま散歩で行ってみたら、こちらにもマリア観音とおぼしきご像が2体建っていました。
2番目の写真では、首のあたりに修復の痕が、また3枚目の観音像は、あきらかに頭が後から付けられたことがわかります。
これらが本当にキリシタンの時代からのものかはわかりませんが、歴史的に何かがあったことはわかります。
来年は、ペトロ・カスイ岐部と187殉教者の列福式が行われます。
これを機会に、意外と身近に存在するキリシタンの歴史に目を向けてみたいと思っています。
で、この宍戸に、江戸時代初期にフランシスコ会の修道院があったとのこと。
宍戸は、イエズス・マリアの聖心会の友部修道院のすぐ近く。
街道沿いの火の見やぐらの下には、マリア観音といわれるご像が建っています(写真)。
この着色は新しいものですが、「文政」年間の文字が見えるので(江戸後期)、本当に江戸時代初期からのものかは不明です(あとから「文政・・・」と彫られたのかもしれませんが)。
また、完全寺というお寺に、たまたま散歩で行ってみたら、こちらにもマリア観音とおぼしきご像が2体建っていました。
2番目の写真では、首のあたりに修復の痕が、また3枚目の観音像は、あきらかに頭が後から付けられたことがわかります。
これらが本当にキリシタンの時代からのものかはわかりませんが、歴史的に何かがあったことはわかります。
来年は、ペトロ・カスイ岐部と187殉教者の列福式が行われます。
これを機会に、意外と身近に存在するキリシタンの歴史に目を向けてみたいと思っています。
みちあき神父様がマリア観音(?)をお写真に撮られたのには驚きました!
私も港区で歴史をやっていますが、区内には芝田町智福寺内にキリシタン殉教碑が昭和32年に上智大学カトリック研究会の人と地元のカトリック信者によって立てられました。
元和9年(1623)シシリア人神父、スペイン人修道士、千葉臼井城主の子原主水を含む50名が火刑に処せられたとのこと。
他に柴口でキリシタン23名が海中に逆さづりになったとの記録もありました。
その他高輪大木戸の周辺でも何かあったと聞いております。
個人的には殉教史や、隠れキリシタンのよりどころとなったマリア観音像・キリシタン灯籠には興味あります。
ですが、公的機関としてはこれは取り上げにくい面もありますので、みちあき神父様が興味を持ってお調べ頂けましたら、非常にありがたいと思いました。
お調べの際、お手伝いできるところはしたいと思いますので、お声をかけてください。
それから11月26日に高輪教会で「江戸の殉教者記念ミサ」が行われるようです。
頭はキリシタン弾圧に功をあげた榊原某の所領だったようですね。幕府の旗本か小名です。
そういえば私が疲労困憊して琵琶湖のほとり 堅田浮御堂を訪ねた時 10センチくらいの厨司におさまった白い像が目に飛び込んできました。見た瞬間直観的に「マリア観音だ!」と思って受付の人に聞いてみたら どうもそうらしいとのこと。今から40年程前、こどもが浮御堂の下で泳いでいるときに水中から引き上げたそうです。たまたま丁度のサイズの厨司があったから薬師如来の隣に並べたとのこと。…数年前行ったらもうありませんでした。あの御像を見て私はカトリックを訪ねてみようと初めて思ったのですが…それにしても妙な御像だったな。
百合庵さんへ、
ぼくがキリシタンのことに興味を持ったのは、米沢教会に赴任したからでした。
それまでは、恥ずかしながら何も知らないほどでした。
それから、当時仙台教区にいらっしゃった溝部司教さまの、東北のキリシタンについての講座を受けたり、少しずつ勉強しています(この講座は、福島市の「桜の聖母生涯学習センター」で開かれ、米沢の信者さん方といっしょに聴講しました)。
真理庵さんへ、
なるほど、江戸の大殉教の、今回は一般信徒代表として原主水が列福されるのですね。
有名なホテルを目の前にした高輪教会に殉教の記念碑があり、その記念ミサが行われるのは、いろいろなことを思い起こさせますね。
イットウさんへ、
琵琶湖のほとりの不思議なマリア観音。
歴史、というか、その御像がたどった道のりはどんなものだったのでしょうね。