みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

母のカメラ

2011-01-20 09:40:00 | Everyday is special
フィリピンからこんにちは。

こちらフィリピンは、とても涼しいです。
常夏ですが、1月から2月がいちばん涼しく過ごしやすい季節です。
いまは、本当なら乾期のはずですが、地方によっては大変な豪雨に見舞われ、17日現在51人の方が亡くなり、134万人もの方々が被災されているとのことです。
世界各地での異常気象による被災者の方々が、一日も早く通常の生活に戻ることができるようにと願っています。

さて、突然ですが母のカメラについて、真生会館聖書センター発行の「今日のみことば」の昨年12月7日の欄で書かせていただいたのですが、少しその初めの部分を引用させていただきたいと思います。

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―母のカメラ―
 母が帰天してから一年が経ちました。独身の司祭にとって母親の存在は大きいもの。両親が亡くなってから、わたしの心は、あたかも孤児(みなしご)のようになっていました。どこに帰ればよいのかと、自分が所属する修道院の中で生活していながら、道を見失ってしまった羊のように霊的にうずくまるような日々でした。そんな時、母の一周忌があり、今は長兄のいる実家に帰省してきました。二人の兄と形見分けの整理を終えて、ひとり母の居間に座っていると、ふとテレビの横に置かれていたデジタル・カメラに気づきました。母の愛用していたカメラです。中の画像を何気なく再生してみると、母の最後の半年間に撮られた写真が入っていました。そして、いちばん終わりの方に、母とわたしの並んだ写真がありました。それは、母の亡くなる二ヶ月前、わたしが海外に長期出張する前に日帰りで訪れた時の写真です。いよいよ別れる時、迎えに来たタクシーの運転手さんに撮ってもらったのでした。母は、精一杯の笑顔をしています。わたしは、涙があふれてきました。そして、ようやく自分がさがし出されたと実感しました。失われていた自分が見つけられて、再びあたたかな愛に抱擁されたのです。
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母は、美しい花や風景が大好きで、よく写真を撮っていました。その中から、いくつかの絵の題材も生まれました。
愛用していたのは、小型軽量のデジタル・カメラ。
あのとき、もう一年も経っているというのに、まだ電池が残っていて、すぐに画像を見ることができたというのも不思議に感じています。

この「今日のみことば」の聖書の箇所は、マタイの福音書の18章10-14節の百匹の羊の群れのたとえです。
この一匹の体験を、ぼくは一年かけて霊的にしていたのだと思います。

母の撮った写真は、ぼくのパソコンの中にも入っています。いま見ても、涙が出てきてしまいます。

きょうは、父の命日。亡くなって丸14年が経ちました。

いまは、両親も、亡くなった伯母や叔父も、天国で仲よくぼくたちを見守っていることでしょう。

下の写真は、母のカメラに残っていた最後の方の写真。絶筆ならぬ絶写です。居間から見える家の庭。ススキの穂が出て、少し紅葉しています。母は、最後まで、美しいものを目にし、それを記憶にとどめようとしていました。(いちばん上の写真は、前回行った蔵王温泉スキー場にて。)