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「たらいで通う娘」 佐渡の民話

2014年02月02日 00時38分01秒 | 民話(昔話)
 「たらいで通う娘」  出典「無邪気な大人のための残酷な愛の物語」 西本 鶏介 PHP研究所

 佐渡は 越後の西の方に見える 日本一の 大きな 島である。
昔、この島に住む娘が たまたま 越後に渡った時、一人の若者と 知り合った。
島へ 戻っても、娘は 一日とて 若者のことを 忘れることができなかった。
(どうせ 身分の違う身、とても 一緒になることなどできない)
と、自分に言い聞かせてみても、若者への思いは つのるばかりである。
だが、海の上を 歩いて行くことはできない。
それに 許可なく島を出るのも 禁じられている。
娘は 思い切って 船を探してみたが、勝手な願いを聞き入れてくれる漁師など 一人もいなかった。

「あの人に ひと目でも会えたら、もう 死んでもかまわない」
ある晩、娘は たらいに乗って 沖へ出た。
磯明神の常夜灯が ぽつんと見える。
娘は 両手で水をかきながら、常夜灯をめざし、たらいをこいだ。

 夜明け前に、やっと 越後の浜に たどりつき、若者の家へ走った。
激しく 戸を叩く音に、何事かと 若者が外へ出てみたら、ずぶぬれの娘が立っていた。
娘は、いきなり 若者の胸に飛び込み、顔を埋めた。
(会いたかった・・・・・)
娘は ぽろぽろと 涙を流した。
「お前は いつかの娘。よく来てくれた」
若者は 娘を抱きしめた。
もう二度と会うことのない娘と思っていただけに、よけいにいとしさがつのる。
欲情を抑えながら抱きしめている時、どこかで一番どりが鳴いた。
娘ははっとして顔を上げた。もう東の空が白くなり始めていた。
「帰らなくては・・・・・」
「だって、今 来たばかりじゃないか」
若者は娘を放そうとしなかった。
「明日は、きっと早く来る」
娘は若者の手をふりほどき、浜辺へと急いだ。浜辺にはたらいが一つあった。
「まさか このたらいで」
若者が驚いてたずねた。娘はこっくろとうなずき、たらいに乗った。
「明日、待っている。きっとだぞ」
遠ざかっていく娘に向かって、若者が手を振った。

 娘は次の日も、夜の明けないうちに たらいでやってきた。
二人はせきをきったように、激しく愛し合った。
ひとときの、だが満ち足りた逢瀬に満足して、娘は、晴れやかな笑顔で 島へ戻っていった。

 それからというもの 娘は毎夜欠かさず、たらいに乗って若者のもとへ通い続けた。
娘は幸福だった。
若者に会えると思えば、49里(約190キロ)の波などだんでもなかった。

 ところが、最初のうちは、娘の気持ちをうれしく思っていた若者も、毎夜欠かさずにやってくる娘が、
しだいにわずらわしくなってきた。
「毎日というのも大変だ。たまには休んだらどうか」
それとなくいっても、娘は承知せず、
「たとえ 海で溺れ死んでもかまわない。こうして あなたと会えるのだから」と笑うだけである。
娘の手は波に洗われ、痛々しいほど白くふやけていた。

 そのうち 若者は浜へ出るのも面倒になった。すると、娘は家まで追いかけてくる。
(なんと しつこい女だろう)
若者はいよいよ娘がうとましくなった。
だが、娘の方は天にものぼる思いで、今では、若者に会うためにだけ 生きているようなものであった。
(いったい、どうすればいい)
若者は頭をかかえた。ふいに 娘へのわけのわからない憎しみがわいてきた。
(そうだ、いいことがある)
若者は娘がいつも常夜灯を目当てにやってくることを思い出した。

 ある晩のこと、若者は娘が沖へ出た頃を見計らって 磯明神の常夜灯を消した。
夢中でたらいをこいでいた娘は、はっとして手をとめた。
(どうしたのかしら)
娘はしばらく常夜灯のついていた方を見たが、いっこうにつく様子もない。
明かりがなくては、どこへこいでいけばいいのか わからなくなってしまう。

 真っ暗な海の中で、聞こえてくるのは波音だけだ。
運悪く、その夜は星ひとつ出ていなかった。
娘は必死でたらいをこいだ。だが、行けども行けども波ばかり。
そのうちに風が出て来て、たらいが激しく揺れ始めた。
波はいよいよ高くなっていく。
ふと、気がつくと、たらいには半分も水がたまっていた。
かい出そうにも、手を放すことができない。
手を放せば、たちまち海へころげおちてしまうからである。
「だれか・・・・・」
娘はたまらず、大声を上げた。
しかし、その瞬間、大きくもりあがった波が、娘もろともたらいを飲み込んだ。

次の朝、海は夕べの風が ウソのように 凪(な)いでいた。
波を赤く染めて、日が昇り始めた。
(ひさしぶりに ゆっくり 休めた)
若者はほっとして海辺へやってきた。
すると 波打ち際に、だれか 女の人が倒れていた。
長い髪が波に洗われ、ゆらゆらと動いている。
若者ははっとして女のそばへかけよった。
「あっ!」
若者は思わず声を上げた。
なんと、それは変わり果てた、あの娘の姿であった。
美しい顔が うらめしそうに 真珠のような歯を くいしばっていた。
不思議なことに 娘の下半身は 魚に変わっていて、赤と銀をとりまぜたうろこが、きらきら光っていた。

 おしまい(佐渡の民話より)

すさまじいばかりの情念、
「怒りゃふくれる、叩きゃ泣く、殺せば化ける」俗諺(ぞくげん)
きびしい生活のなかでは 恋すら ぜいたくな夢である。そんな娘がひとたび男を知った時、
おいそれと身を引くことができようか。
恋しい男に会うために 命をかける女のすさまじい情念。