民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「馬鹿の鏡」 藤田 浩子 

2013年02月18日 00時11分00秒 | 民話の背景(民俗)
 昔話に学ぶ生きる知恵 3 「馬鹿の鏡」  藤田 浩子 編著 2006年

 はじめに

 「世間様」の枠が消えて・・・

 私が子供の頃、道徳の規準は「世間様に笑われないように」と
「お天道様に恥じないように」ということでした。

 私は「そんなことをすると世間様に笑われる」とか
「ひと様に笑われないように」と言われ言われ、育ったのです。

 そして、叱られるときは「世間様に顔向けできないだろう」
「お天道様に恥ずかしいと思わないのか」と言って、叱られました。

 馬鹿なことをしては笑われ、笑われながら育てられ、
なんとか、ひと様に笑われなくてもすむ大人になってきたのです。

 お天道様に恥じないということも、結局は世間様に恥じないということで、
人として恥ずかしくない生き方をしろということでした。

 「笑われないように」「恥ずかしくないように」
これは一見、まわりの目ばかり気にして、
自分という存在を軽くしているように思われるかもしれませんが、
そうではありません。

 人とかかわって生きていくには、そこにおのずとルールができ、
枠ができてくることでしょう。
その枠からはずれると、笑われたり、恥をかいたりするのです。

 なにをもって恥とするか、個人的には多少ちがうとしても、
「世間様」という枠を知っておけば生きやすかったのです。

 以下 略

 昔話って、こういうことを、手を変え品を変え、
子供たちにわかりやすく、伝えようとしたのじゃないのかな。(akiraの感想)

「ならぬことはならぬこと」 

2013年02月16日 00時14分38秒 | 雑学知識
 「ならぬことはならぬこと」 

 会津武士(上士)の子は6歳になると、居住地域ごとに「什」という組織に入れられます。
「什」と書いてジュウと読みます。
什とは「十人」を一単位とする組織のことですが、別に十人ではありません。
地域ごとに8つに分けられているので、人数はまちまちでした。

 この什には身分差別は全く、ありませんでした。
例えばどんなエリート嫡子坊ちゃんから、無職浪人の末息まで同じ待遇で扱われたのです。
そして、その「什」が何をするのかというと単なる「遊び友達」なのです。

 子どもは毎日、当番の家に集まります。
そして最年長の什長の指示にしたがって「什」の誓ひ(掟)」というのを大声で復唱します。
「什の誓ひ」とは以下のとおりです。

一、年長者の言ふことには背いてはなりませぬ。
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
一、虚言(ウソ)を言ふ事はなりませぬ。
一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
一、弱いものをいぢめてはなりませぬ。
一、戸外でモノを食べてはなりませぬ。
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。

 ならぬ事はならぬものです。

 戸外で話をしてはならぬという婦人は母親、姉、妹にも当てはまります。
全ての婦人なのです。
 しかし、御年6歳にして「卑怯な振る舞い」と言うのはどこまでの認識があったのでしょうか。
外でお祭りの団子も食べられないのでしょうか。

 最後の「ならぬことはならぬものです」って締めくくりがまた一段と厳しいですよね。
しかし、この「什の誓ひ」を破ったものにはちゃんとそれなりの制裁があるのです。
軽いのは「しっぺ」やら重いのは「シカト」まであります。
幼いながらもしっかりと「罪と罰」を身につけさせられるのです。

 こうして、会津の少年達は4年間を「什」で過ごし、
10歳になると藩校「日新館」へと入学していくのです。

「湯西川のざっと昔」 

2013年02月14日 00時06分16秒 | 民話の背景(民俗)
 「湯西川のざっと昔」 湯西川の生活と昔話  中本 勝則

 伴 ハツさんの話

 「それで、背負ってきた杓子、よおーく、サメの皮で磨くんだわ。
きれいに磨くの。
磨けなんって、小っちゃい時だから、眠ったくて、ごめんだ。
けんど、夜っぱらからやったよ。
誰も夜の仕事だから。
だから、わしら、勉強ってしないんだ。
そういうことばっかしてて、バカみたいな話しだ。
本当にやだったよ。」

 「小っちゃい時から、仕事なんだよ。
おっかさまの後ついて、木いこりって、木拾って、背負わされるんだよ。
遊んでられねぇんだ。」

 

「閑話休題」

2013年02月12日 00時13分21秒 | 身辺雑記
 「閑話休題」

 こうしてタイピングするのもひさしぶりだ。

 ずっと、民話から離れていたけれど、
そろそろ、民話に戻んなくちゃ、なんて考えてる。

 なにせ、ブログタイトルが「民話」だからね。
 それにこだわって、 もう、一年ちょっと、民話に限定してアップしてきたけど、
だいぶ貯金も使い果たしてきた。

 それともう一つ、大きな問題。
なにより、民話に対する熱が、急激に冷めてしまった。
(まぁ、今までが異常なほどの取り組み方だったから、普通に戻ったと言えるんだろうけど)

 その理由はというと、囲碁に対する熱が、再燃してしまったこと。
今まで、民話に費やしていた時間は、今、すべて囲碁に費やしている。

 でも、民話をやめるつもりはない。
今までのような頻度でアップすることはできないだろうけど、
ここでアップすることを目標に、これからも、民話の勉強を続けていくつもりです。

「早川義夫のエッセイ」 その3 

2013年02月10日 00時16分11秒 | エッセイ(模範)
 早川義夫 エッセイ その3  「音楽には感動というジャンルしかない」
 「Rock In Golden Age」Vol.23 2006年3月1日号(講談社)

 音楽を聴いて初めてじんと来たのは中学生の時、日劇「ウェスタン・カーニバル」でした。
尾藤イサヲが足を痙攣(けいれん)させて歌っている姿に色気を感じました。

 そのうちビートルズがラジオから流れて来て、愕然(がくぜん)としました。
今まで聴いていた音楽とはまったく違う音楽だったからです。

 心の叫びでした。
その後も僕はビートルズだけで他はあまり聴いていません。

 しかしそのビートルズも実はくわしくないんです。
曲名も知らない。
解散理由も知らない。

 くわしいということがなんか恥ずかしいんです。
わからなくてもいい。

 知っていることよりも知らないでいることの方が何かを生み出せるような気がするんです。
ビートルズを知りたくてビートルズを聴いたわけではない。

 僕は僕を知りたくて音楽を聴いたり、本を読んだり、
恋をしたり、人と話したりしているんです。

 ビートルズの曲は歌い出しが好きです。
待ちきれないで歌う感じです。

 途中で拍子が変わるのも好きです。
意外な展開なのに奇をてらっていない。

 新しいのに懐かしい。
そんな曲を僕も作りたいがまるで出来ない。

 しかし、真似をしない真似をされないというのが創作の基本だと思っています。

 では何を歌うべきか。
自分の心です。

 自分にしか言えない言葉、自分にしか出せない音です。

 日常で喋(しゃべ)れるなら歌にする必要はありません。
言葉にできない本当の気持ちを歌に出来たらいいなと思っています。

 一九六八年、僕は二〇歳でした。
当時僕は「フォークは希望を歌い、ロックは欲望を歌い、
歌謡曲は絶望を歌う」などと発言してきました。

 しかし、そんなことはどうでもいんです。
そんなジャンル分けは人間を色分けするのと同じで、
便宜上(べんぎじょう)そう分けているだけです。

 感動するかしないか、音楽か音楽でないかの違いだけです。
ロックが一流で歌謡曲が五流というわけではありません。

 ロックの中に一流と五流があり、歌謡曲の中に一流と五流があるのです。
あなたが一流で私が五流なのではない。

 あなたの中に一流と五流があり、私の中に一流と五流があるのです。
こうも言える。
神様はまさか「私が神様です」とは言わない。

 美人も詐欺師(さぎし)も自分からは名乗らない。
おそらく本当にロックをやっている人は「俺はロックミージシャンだ」とは言わないでしょう。

  早川義夫 エッセイ その3 完