民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「民話 ガイドブック」  米屋 陽一

2012年10月13日 00時43分32秒 | 民話(語り)について
 「日本の民話」 日本民話の会 講談社 1991年 ガイドブック 米屋 陽一

 -----語りの場-----

 昔話は、古くは、大歳(おおどし)、正月、祭り、日待ち、月待ち、出産、通夜など、神々と人々が出会う神聖な特別な日、ハレの日に語られていたようです。
そういうハレの日には、ハレのごちそうが用意され、ハレがましい姿で神々の前へ行きました。
語り手は神々の代理者として語り、聞き手も厳粛な気持ちで語りの場にのぞんだようです。

 このような語りの場のなごりが、昔話とともに受け継がれてきました。
語り手によっては、語り始める前に身だしなみをきちんと整えてから、聞き手の前に姿をあらわしたり、
一礼してから語り始めたりしました。
また、かしわ手を一つポンと打って、語り納めた語り手もいました。

 柿の皮をむきながら、ひしゃくを作りながら、収穫したたばこの葉をのばしながら、竹細工・わら仕事をしながら、語ったように、家内労働の場も語りの場になっていました。
 おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんが、子供たちに、寝床、いろり端のようないこいの場でも語りました。

 -----語り始める前に----- 

 昔話の語りの場は、語り手と聞き手がいて、初めて成り立ちます。
いちだんと古い語りでは、語り手がその場にのぞむための宣言を、語り始める前に聞き手に言い渡しました。

 このことをいち早く紹介した早川孝太郎は、「古代村落の研究」(1934年)で、
鹿児島県黒島の例をあげています。
 「さるむかし、ありしかなかりしかしらねども、あったとして聞かねばならぬぞよ。」
という言葉で、「いまから語ることは、ほんとうにあったことか、なかったことかは、私は伝え聞いただけなので知らないけれど、事実あったこととして聞かねばならないそよ」と、語り手は聞き手に強く要求したわけです。

 この言葉は、長い間一例のみで、まぼろしの言葉のようでしたが、昭和40年代になってから同系統の言葉が大隅・薩摩半島などからつぎつぎに報告されました。
山形県最上郡からも、つぎのような言葉が報告されています。
 「トントむがすのさるむがす。あったごんだが、なえごんだったが、トントわがり申さねども、トントむがすァあったごとえして聞かねばなんねェ、え」

 このような昔話に付随する言葉からも、かつての語りの場が単なる娯楽の場としてあったのではなく、「むかしを語る」儀礼的な、神聖な場としてあったのだということが伝わってくるようです。

 -----語り始め-----

 昔話はいくつかの形式にのっとって語りつがれています。
語り手は、語りの開始を意味する特定の言葉を言います。
これを「語り始め」または「発端句」「冒頭句」と呼んでいます。

 語り手は、いつのことだかわからないけれども、とにかく、「むかし」のことだよ、と語り始めるのです。この語り始めの言葉は変化にとみ、各地にさまざまな形で語りつがれています。

 ○むかし、あったずもな(岩手県)
 ○むかし、あったんやってなあ(岐阜県)
 以下、例、省略

 「むかし・・・」という言葉は、語りの場にはなくてはならぬものでした。
それは、現実の世界と異なる世界へ、語り手と聞き手がいっしょに入ることを意味する重要な役割を持つ言葉なのです。
語り手が「むかし・・・」と語り始めると、聞き手は昔話の世界にひきこまれていきます。
そして、いつしか ゆたかな語りの世界で、語り手とともに遊び始めるのです。

 -----語りのリズムとあいづち-----

 昔話は語り物の一種として、形式にのっとってきちんと語りつがれてきました。
語り始め、語り納めの言葉とともに、語りの切れ目切れ目に、「げな」「そうな」など、伝聞をあらわす特定の言葉が使われてきました。
 この言葉は、それぞれの土地の日常の言葉が長い年月のあいだにみがかれ、その土地の独特な語り口になっています。

 ○むかし、爺(じい)と婆があったげな
 ○娘が三人おったそうな
 以下、例、省略
というぐあいに、語り手が語ります。
すると、聞き手はその一句切れごとに、あいづちを打つのです。
「うん」「ふん」「はい」はふつうですが、

 ○「フントコショ」(群馬県)
 ○「ハァーレヤ」(宮城県)
 以下、例、省略
など、独特な、しかも語りの場のみでしか使用されないあいづちを打つのです。

 語り手 むかし、あったてんがの
 聞き手 サァーンスケ
 語り手 じさとばさがあったてんがの
 聞き手 サァーンスケ
 
というふうに、語りはすすんでいきます。
この「・・・てんがの」が「聞いているのか」というあいづちの要求であるならば、
あいづちは「聞いているよ」という返事と言えるでしょう。

 語り手は、あいづちを打たないと語らないのがふつうでした。
また、語りが気に入らないときには、聞き手は「サソヘソデベソ、デングリベソカヤッタ」(新潟県)と、はやしたり、語りが停滞すると、「フンフフフンノフン」(長野県)と言って、話の先をうながしたりしました。

 このように、語り手と聞き手とのやりとりは、両者の心をしっかり結びつけるばかりでなく、語りのリズムをきちんと整えるうえでだいじな役割をはたしているのです。

 -----語り納め-----

 昔話の語りが一つ終わるときに、語り手は「これでおしまい」という意味を示す特定の言葉を言います。これを「語り納め」または「結句」「結末句」と呼んでいます。
これは、語り始めの言葉と対をなすもので、昔話の形式のうえからも重要な言葉として注目されています。

 ○どっとはらい(青森県)
 ○とっぴんぱらりのぷう(秋田県)
 ○いちがさかえもうした(福島県)
 ○しゃみしゃっきり(岐阜県)

 これらの語り納めは、二つの系統に分けて考えることもできます。
その一つは、神聖な尊い昔話そのものが語り終わったので、「尊(とうと)払い」「尊かれ」と語り納め、それが、「どっとはらい」「どんどはれ」などに変化したというものです。

 もう一つは、主人公がめでたい結末をむかえたので、その人物の「一期がさかえた」と語り納め、
それが、「いちがさけた」「えっちごさっけ」などに変化したと言うものです。