民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「語り手の課題」 桜井 美紀 

2012年10月07日 00時26分49秒 | 民話(語り)について
 「昔話と語りの現在」 桜井 美紀 著  久山社 1998年

 五 語り手の課題(P-27) 1994年 執筆

 現在の語り口は、昔からの語りと異なる点が多く現れているが、その根本的な差異は、社会の近代化から起こったものである。
 文明の発達は、性能の良い、明快・強大・優秀なものの生産を目指し、人の心の、柔らかな、淡い、薄暮に沈むような感覚を奪いつつある。文明の進歩が無文字社会を消滅させたとき、そこにあったあたたかな心の交流や豊かな音声の文化も消滅する。機械化された社会環境・高度の教育環境で、人の心は機械のように管理されがちである。社会の近代化の進行とともに、地域共同体の崩壊、家族関係の崩壊、自然の破壊などが進んだことと、言語の伝達と伝承のありようが変化してきたことが、究極的には語りを変えた原因といえよう。

 このような社会の変遷や進歩の圧力を受けながらも、変わってはならない、大切にしなくてはならないものとして、この「語り」の活動が現代に求められてきたのではないだろうか。「心を癒(いや)すものとして、語りの必要性を感じる。あたたかい人間関係を回復したいから語る」という思いが高まり、そこで、聞く体験を持たなかった人は、本を読んで、本の中にある話を覚えて語るわけである。

 さて、そのような活動をする新しい語り手が考えておかなければならないのは、「文字を通して読んで、覚えて語る」ときに、失われるものがあることだ。昔の語り手の語りを知っている人や、民俗学関係の研究者は、それを恐れている。語り手と聞き手が同時に共感しあう、直接的に耳から聞く人間的な伝え合いで育てられた語り手の心の世界と、文字を読んで作り上げる昔話や物語の世界は、果たして同様に作られるのだろうか、という不安である。

 さらにもう一つの危惧は、「集団で聞かされるお話の時間だけで、次の時代の語り手は育つのか」というものである。
 新しい語り手の集団から、それらに対して返答できる実績を、今、作りつつある時期を迎えている。しかし、せっかちに反駁(ばく)する前に、「昔の語り手は、本当にうまかった。聞き手の心を、もっと、もっと楽しませてくれたものだ」という声を聞く余裕が必要である。ある研究者からは、新しい語り手たちへの批判として、「語る人だけが、いい気持ちになっているのではないか。心を和ませるどころか、聞き手は不安定になる」との声を聞いたことがある。この三十年間の新しい語りの活動を、反省点も含めて、総合的に検討していきたいものである。

 「伝承の語り」と「新しい語り」の区別なく、口頭の伝承は次の時代の文化の底流を創造する。ことばの伝承の形態は、目に見えぬところで時代の精神に浸透し、人間の生活と精神構造に関与するからである。次の時代の子どもがどう育てられるかを、ことばの文化の面から見る必要があるだろう。

 以下 略