民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「語りの世界」  ブログ「変幻自在」より紹介

2012年10月19日 00時03分33秒 | 民話(語り)について
 語りの世界  ブログ名 変幻自在 より

長岡を中心とする新潟中越地方は、物語を人に聞かせる「語り」の文芸が著しく発達した地域だそうです。
「昔話」など人に話しかける「話語り」。そして、今回の「瞽女唄」などに代表される、
楽器の伴奏を伴い歌いながら語る「唄語り」。

《文章に記された「昔話」は楽譜みたいなもので、語られることで完成する。》
みたいなことをこのイベントの中で聞きました。(←誰が話されたのかとか、もう、うろ覚え;;)
約40年前の記録映像作品『雪国の夜語り』での、下條登美さん他3人の昔話伝承者であるお婆さんたち。
そして、第二部で実演された4人の現代の語り手の方達。
ふと興味を持ってから初めて「昔話」の「語り」を目の当たりにして、それを実感しました。

『越後山襞(やまひだ)の語りと方言』(高橋実・著/雑草出版)の中での一文。
「かつての昔話は、聞き手に相槌を要求し、聞き手が退屈していると、話をはしょってしまう。
昔話は語り手が一方的に話すのではなく、聞き手と一緒になって作ってゆく世界だった。」

「サーンスケ」と子ども(聞き手)が相槌を打つ、本来そうであった形の「昔話」の姿を映像で確認。
映像では過不足なく語られていたが、聞き手の具合によってはしょったり、
逆に興が乗って盛ったり、といった本来はアドリブ全開の世界なんだなあと納得。
また、映像や実演で語られた方それぞれの声やテンポや間(ま)。語り手そのものが醸し出す雰囲気。
「音」として耳に入る擬声語・擬態語、あるいは方言が、文字以上に話を生き生きとさせる効果――。

本当に、もとの楽譜たる「昔話」が、語り手(演者)によって微妙に違う味わいで完成されるのですね。
なるほど、なるほど。
地味にしみじみと、そんなことに頷いて、とても楽しんできました。

10年近く前に長岡に引っ越した時は、「なんで長岡?」なんて訊かれ、
私自身よくわからないけど「なんか長岡」なんて答えたものでしたが。
漠然となんとな~く興味があった「昔話」。
これが長岡に来てみて、興味深い本に幾つか出会う中で、
生まれ育った新潟中越地方というのが非常に「昔話」が充実している地域であることを知り。
昨年の「長岡アジア映画祭」で「瞽女」という盲目の女旅芸人の存在とその文化を知って、
よりこの地方の口承文芸の豊かさに触れ。
漠然とした興味だったものが、尊敬と畏敬の念をもって明確になっていき。
そして今回、このような催しを見ることもできて。
や~、長岡に越してきて良かったな♪ 

この地方の「語り」の文化、本当に素敵だと思います。
時代の中で一時は失われかけた「昔話」や「瞽女唄」。
この貴重な口承文芸がこれからも保存・継承され、また豊かになっていくことを祈ります。
(楽しんで祈るばかりで恐縮ですが…;;)

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