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「昔話を幼い子に語る」 藤田 浩子 その2

2013年10月14日 00時28分17秒 | 民話(語り)について
 「子供と読書」 5/6月号 393号 2012年4月発行
 特集 日本の昔話 語ること、伝えること


 「昔話を幼い子に語る」藤田 浩子 その2

 <聞き手に合わせて語る>

 私は、その小父さんの語り口調から
「幼い子どもに語るときには、おはなしの筋を伝えることより、相手を楽しませることのほうが大事」
なのだということを学んだように思います。

 相手を喜ばせ、楽しませるには、聞き手の理解度に合わせて語ることが必要です。
当時の妹のように赤ん坊の域をでないような子には、歌うように語って、
体ごと一緒に遊んで、その楽しさを伝えると喜ぶのです。

 もう少し大きくなって、「おはなし」として聞けるようになったら、
物語を自分の頭の中に描けるように、小父さんは手振り身振りだけでなく、絵や人形を使って、
その子が頭の中におはなしの世界を描く作業を手伝っているつもりなのです。

 たとえば、「一粒は千粒」を語るときには、爺様の人形と狸の人形を使うと、
「一っ粒は千粒になぁれ」と、歌う爺様と、
「一っ粒は千粒のまぁまよ」と囃す狸とがはっきり区別できるようですし、
爺様が狸を追いかけて捕まえようとする場面も、爺様をからかいながら逃げる狸を楽しんでくれます。

 その次の段階になれば、言葉だけでおはなしの世界を描けるようになるでしょう。
ただ、子どもの側から考えますと、いくら言葉だけで聞くことができる年齢になったとしても、
山に芝刈りに行ったり、川に洗濯に行ったりという日常とかけ離れた情景は、
今の子どもたちには想像しにくいことも確かです。

 この半世紀余り、私たちの生活は大きく変わり、子どもを取り巻く環境もすっかり変わりました。
私が子どものころまであった囲炉裏も井戸も藁葺き屋根の家も、子どもたちのまわりには見当たりません。
これだけ明るくなってしまっては、部屋の隅っこに住むという「隅っこお化け」も想像しにくでしょう。
それで、私は絵を使ったり、ちょっと手品がかった小道具を使ったりして、
その年齢の子どもたちも楽しんで昔話を聞くことができるように工夫しています。

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