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「語りの力と教育」 その7 高橋郁子

2014年07月23日 00時47分26秒 | 民話(語り)について
 「語りの力と教育」 その7 高橋郁子

「蘇った語り」

 また、話を昔話に戻し、形を変えて戻ってきた昔話を検証したい。
昔話の古い形での語りは姿を消したものの、その記録は研究者達により残されていた。

 しかし、問題点があった。
「なぜならば、そこにはせいぜい素材が提示されているだけであって、それがどのような意味をもち、
どういう教育的効果があるかなどは、いっさい述べられていないからである。
(略)地域社会において理想的な社会科教育を実施するためには、ほかの場合と同じように、
この場合もまた、まっさきに地域社会そのものの調査、
すなわち郷土研究から出発しなければならなかったのである(桜井P19」

 水沢謙一氏はその時代の小学校長であり、昔話研究者の旗手となった。
水沢氏は当時の様子を次のように記している。

「いまは、村の老女などは、自分の話を聴いてくれる人を待つさびしき人が多く、
たずねていけば喜んで語ってくれるだろう。
話は幼い日の青空にも似て、純な思い出と微笑みにあふれている。
昔話をきかせてほしいと頼まれて怒る人はいない。
(略)何のために昔話を集めるのか、その採集の意義なり、研究の意義なりを、
しかつめらしくなくやわらかに話して理解してもらうことも大切だ。
それがまた、語り手が人生意気に感じて、積極的な姿勢で語ってくれるようになることを、
私は経験している。(水沢3 P273」

 また、地方自治体の高齢者の文集の編集に携わった経験者も次のように述べている。

「原稿にはならないけれどもそれに付随したり、あるいは全く関係のない話の中でも
わたしどもが教えられることが沢山ある。
それに始めは遠慮されて中々話もとぎれがちだが、次第に話に力が入り熱がこもり、
顔に生気さえ帯びてくることが常である。Y生(P151こつ」

 高齢者はよく「知識の宝庫」「知恵袋」と称されるが、相手がいなければ効力が発揮されない。
それどころか力が失せていくようにも思われる。

 語りは聞く者にも、語る者にも力を与えるものなのではないだろうか。

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