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「葬式は、要らない」 その3 島田 裕巳

2017年07月13日 00時10分52秒 | 生活信条
 「葬式は、要らない」 その3 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年

 葬式無用の主張 その2 P-22

 日本で最初に葬式無用論を唱えたのは、自由民権運動家の中江兆民だった。兆民が最初にそれを提唱したのは、1887(明治20)年だが、彼は1910年に咽頭ガンの宣告を受けてから、『一年有半』といった著作の中で、霊魂の不滅や紙の存在を観念的なものとして退け、唯物思想を展開した。

 兆民は、ガン宣告を受けた年に亡くなるが、遺言は「おれには葬式など不必要だ。死んだらすぐに火葬場に送って荼毘にしろ」というものだった。実際、葬式は行われず、遺体は当時としては珍しく解剖され、墓碑も建てられなかった。

 ただ、残された者たちは、彼の死を悼んだ。自由民権の運動に参画し、生前の兆民と親交のあった板垣退助や大石正巳たちが青山会葬場で、宗教的なものをいっさい排除した「告別式」を開いた。これが、今日一般化している告別式のはじまりだとされている。

 葬式を望まなかった兆民が、告別式の生みの親になるとは少し皮肉な話だが、葬式にかんして個人の遺志と周囲の意向との不一致はいくらでも起こる。そこに葬式の問題をめぐる難しさがある。