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「大放言」 その12 百田尚樹

2017年07月01日 00時21分57秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その12 百田尚樹  新潮新書 2015年

 やればできると思っているバカ その3


 魔法の言葉 P-24

「自分はやればできる」というのは魔法の言葉だ。
この言葉を常に心に持っていれば、どんな逆境にも耐えられる。「できない自分」に直面しても、「駄目な自分」の姿を見せつけられても、心底落ち込むことはない。落ち込んでも、「俺はやればできるんだから」と呟けば、たちどころに勇気が湧き、強い自分を取り戻すことができるのだ。

 そして自分よりも上にいる人間を見ても、大きな敗北感を感じることなく、「こいつら、これだけ頑張ってもこの程度か。俺ならこの努力の半分くらいで、これより上に行ってみせる」とも思えてしまう。すると彼の中の劣等感はたちまち霧散し、逆に根拠のない自信がふくらみ、まるで自分が能ある鷹のようにさえ思えてくる。

 しかしこの魔法の言葉が効果を持ち続けるためには、ある条件が必要だ。その条件とは、「実際にやってはいけない」ということだ。

 懸命に努力して、あるいは必死で挑戦して、もしできなかったら――その場合は、とんでもないことになる。冒頭の会話で出てきた少年が実際に野球をやったとしたらと考えてもらいたい。おそらく「やればできる」という彼の中の絶対不変の真理が音を立てて崩れていくに違いない。長い間、自分を支えていた最高の神殿が、実はハリボテのセットだったことに気付いてしまうことになる。

 こうなってはおしまいだ。だから彼らはそんな事態が決して起きないように巧妙に逃れる。何かを必死になてすることはなく、常に何らかの言い訳を用意することになる。つまりできなかった時の自己弁護だ。

 上司や先輩に無能呼ばわりされた若者は、たいてい心の中でこう言う。「俺はまだ本気を出していない」「俺がやるようなことではなかった」