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「夫への不満」 吉村 昭 

2015年05月01日 18時11分59秒 | エッセイ(模範)
 「夫への不満」 吉村 昭 

 電話がかかってきて受話器をとると、妻の学校時代の女友達からで、私が電話口に出たことに恐縮している。品のある女性の声であった。
 私は妻に受話器を渡した。長い間会ったことのない友人らしく、妻はなつかしそうに話をしている。
 一応挨拶の言葉を終わると、妻は相手の話をきくだけになって、相槌を打っている。友人はなにかをしきりに訴えているようだった。
 友人との言葉のやりとりで、友人の夫が定年退職しているらしいことがわかり、訴えはそれに関することのようであった。
 黙って相槌を打っていた妻が、突然、
「そんなことは、私の家ではかなり前からそうよ。うちの人は小説を書いているから、毎日家にいて三食食べさせているわ」
 と、少し甲高い声でたしなめるように言った。
 これは、ただごとではない。二食なら飼っている犬か猫並みだ。
 妻は、時には笑い、時にはまじめな顔をして同調したりたしなめたりしている。友人は、夫に対する不満を述べているようだった。
 しばらくして、妻は、受話器を置いた。
「なんだね、私には三食食べさせているとは」
 私はたずねた。
 妻は、眼に笑いの色をうかべて説明した。
 友人の夫は、定年退職してから家にいて、そのため三度の食事をととのえ食べさせなければならず、それだけ仕事がふえている。
「外出でもしてくれればいいのに、一日中、今に坐ってテレビを見たりしている。それがうっとうしくて、と彼女は言うのよ」
 自分の家なのだから、坐っていてもよいではないか。
「かなり神経が参っているらしく、夫が私の前を通ったりするのよ、と、それも不満なのね」
 妻は、かすかに笑った。
 人間なのだから歩きもするし、妻の前を通ることもする。それが不満では、夫たるもの、立つ瀬がない。
 それから一年ほどして妻から、友人の夫が死んだと手紙で伝えてきたことをきいた。手紙には、夫がいなくなってぽっかり空洞が開いたみたいで、淋しくてたまらない、と書いてあったという。
「そうかい」
 私は、それだけ言って黙っていた。