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「オジサンの背中」 マイ・エッセイ 13

2015年05月13日 01時01分32秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「オジサンの背中」 マイ・エッセイ
                                                                               
 去年の秋、朗読劇を中心に活動するグループ「劇団ほっと」を立ち上げた。練習場所を探していて、宇都宮駅東公園の東側に宇都宮市まちづくりセンター(愛称、まちぴあ)という市民の活動を支援してくれる施設を見つけた。
 月に一度、練習に行くうち、毎週土曜日の午前一〇時から午後五時まで、「ゆるーい将棋教室」というのをやっていることに気がついた。「ゆるーい」ってどういうこと? 調べてみると「鶴仙人と亀仙人の二人が代表をやっていて、老若、男女を問わず、将棋が楽しめる居場所づくりをめざしている」ということらしい。わたしは興味を持った。
 将棋は学生時代にずいぶん夢中になっていたが、社会人になってからはすっかり遠ざかっていた。退職したら好きなだけ将棋が指せる、とその日がくるのを楽しみにしていた。それなのに、いざリタイアしてみると、ほとんど将棋を指すこともなく、もう五年もたっていた。
 ここで将棋教室に出会ったのも、なにかの縁かもしれない。自転車に乗って「ゆるーい将棋教室」に行ってみた。鶴仙人も亀仙人もいた。白髪の老人を予想していたが、まだ二人とも三十代の若さだったのには驚く。部屋は思ったより広い和室だった。タタミにすわって将棋を指すのはいい。今はたいていがテーブルに椅子である。
 オジサンが一番多い。小学生も何人かいる。亀仙人の奥さんと就学前の子どもが三人いてにぎやかだ。まさに老若、男女、バラエティがあって、なかなかいい雰囲気をかもし出している。
「一局どうですか? 」
同じ年代の人に声をかけられ対局する。将棋盤をはさんで向かいあい、駒を並べていると、学生のころのことがよみがえってくる。

 わたしが大学に入ったのは昭和四十二年(一九六七年)。二年になると大学紛争が激しくなった。大学にはバリケードが築かれて構内に入れない日が続いた。うろついていたわたしを、「将棋でもやろうか」と友だちが連れていってくれたのが、五反田駅のすぐそばにある五反田将棋道場だった。
 間口は一間半、奥行きは四間ほどあったろうか。まさにうなぎの寝床のようなタタミ敷きの部屋に、ずらりと将棋盤が並んでいる。壁にはびっしりと模造紙に名前とマルとバツの判を押した成績表が貼ってある。
 タバコの煙がもうもうと立ちこめているなかで、ひと癖もふた癖もあるようなオジサンたちがそれぞれに将棋を指していた。それは初めてのぞき見る大人の世界だった。 
 その日は、はじっこで友だちと将棋を指しただけで帰った。あの独特な雰囲気がなかなか頭から離れない。しばらくして、今度はひとりで道場の門をくぐった。
 わたしたちの世代はたいてい将棋の指し方くらいなら知っている。しかし、道場で指しているような人にかないっこない。負けてばかりいた。それでもみんなイヤがらずに相手をしてくれた。
 強くなりたい、と自分が意外と負けず嫌いであることを知って戸惑いながらも、かたっぱしから将棋の本を買って読んでは、それを試しに道場に通った。下宿が大学と道場のほぼ中間にあり、道場の方がわずかに近かったのがいけなかった。毎日、午後一時ごろから道場がしまう十時まで、将棋にどっぷりつかる生活が始まった。それは、「いつまでも遊んでいないで帰ってこい」と親に言われるまで、五年間も続いた。

 「ゆるーい将棋教室」は思いのほか居心地がよかったので、行くのが楽しみになってきた。
 わたしが道場に行ってたころは女性や子どもを見かけたことはなかった。いまは道場も教室と名前が変わり、小学生が多く来るようになった。
 ある日、七、八人の高校生と一緒になった。学生服の詰襟についているマークを見ると、わたしの母校ではないか。
「おっ、○○高じゃないか、何期生? 」と聞いてみる。
「五十二期生です」という返事。
わたしは二期生である。なんと五十年、半世紀もたっている。その区切りのいい数字に思わず絶句してしまった。
 将棋部に入っているという。それでは実力拝見、と何人かと指してみた。話にならないくらい弱い。話をしてみると、設立してまだ二年しかたっていないし、顧問の先生だって、名前だけで、ちっとも将棋を教えてくれないという。それじゃ、強くなるのは大変だ。
 そんな母校の後輩たちを見て、わたしが道場のオジサンたちにいろいろ教わってきたことを思い出し、今度はそのお返しに、わたしがこの高校生たちにいろいろ教えなくてはならないのかな、そんなことが頭をよぎった。
 道場のオジサンたちは決して口でああしろ、こうしろ、とは言わなかった。わたしはオジサンたちのシワの刻まれた顔、ふだんのなにげない動作を見て、いわゆる背中を見て、自然といろいろなことを学んだ。
 いまの高校生は、同じ方法で学ぶことができるだろうか。わたしの背中は、それだけの年輪を積んできただろうか。