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「書き下し文」がなかったら、 橋本 治

2014年12月24日 00時03分12秒 | 古典
 「ハシモト式 古典入門」 橋本 治 1948年生まれ  ごま書房 1997年

 「書き下し文」がなかったら、おじさんは随筆が書けなかっただろう

 平安時代の日本の貴族が書いた「日記」は漢文で、読むのが厄介です。でも、清少納言の始めた「随筆」は、「ひらがな」だったんです。「日記は構えて書かなくちゃいけないが、随筆は楽に書ける」という常識を、清少納言という女性は、作ってくれたんですね。それで、日本は楽になりました。つまり、「男の日記はちゃんとした漢文で書かなくちゃ恥ずかしいが、随筆ならそんなに構えて書かなくてもいいんじゃないのか?」という雰囲気が生まれたということです。漢字だけの中国にはないカタカナを使う、「カタカナの入ったわかりやすい書き下し文」が随筆の主流になれたのは、そのためでしょう。

 鴨長明は「漢字+カタカナ」でしたが、兼好法師以来、「漢字+ひらがな」がおじさん達の文章の主流になります。でもまァ、カタカナが「ひらがな」になっても、昔の日本のおじさん達の書いた「随筆」は、そんなに読みやすいものではありません。説教臭かったり、むずかしい漢文口調がいたるところに残っています。「昔」だけじゃなくて、今になっても「おじさんの書く文章」の多くはそうです。でもそれは、「今となっては」なんです。おじさん達が「漢文」で文章を書かなかったことに、感謝をした方がいいでしょう。「おじさんの書く文章」が説教臭くて、濃厚に漢文口調を残しているのは、そのおじさん達の文章のルーツが、「漢文にカタカナをまじえた、わかりやすい書き下し文」だったからなんです。今となっては「堅苦しいおじさんの文章」も、昔は、「リラックスして書かれたわかりやすい文章」だったんです。おじさん達は、とってもリラックスして「随筆」というものを書いていたし、リラックスしたいからこそ、「随筆」というものを書いたのですね。

 「和漢混交文の最初」が、『方丈記』や『徒然草』という「随筆」だったのは、これを書く人達が、「漢文の教養」を持っていて、それを「あんまり堅苦しくなく、自由に書いてみよう」とおもったことに由来するんだと思いますよ。