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平安時代を歪めたのは、 橋本 治

2014年12月26日 00時33分33秒 | 古典
 「ハシモト式 古典入門」 橋本 治 1948年生まれ  ごま書房 1997年

 平安時代を歪めたのは、明治政府の事大主義 P-131

 明治以後、日本の首都は東京になりました。「新しい西洋の文化」や「新しい近代の考え」は、この東京を中心にして全国に広がって行きました。明治の東京は、もう一度「都が一番えらい」を復活させてしまたのです。もちろん、「東京」になる前から、徳川幕府の中心地である江戸は、「将軍様のお膝元」という形で”日本の中心”にはなっていましたが、でも江戸時代は、「お国自慢」という形で、日本全国が自分のところの特色を競っていた時代でもあるのです。

 今の日本各地に残っている郷土の名産とか郷土自慢の多くは、江戸時代に作られたものです。江戸時代の江戸っ子は、「お江戸が一番」といばっていましたが、徳川家康が開発して作った江戸という町は、日本の中では「とても歴史の浅い町」なんです。江戸に比べれば「古い歴史」を誇る場所は、各地にありました。しかも、その各地の大名が、自分の支配地に「産業を興(おこ)す」ということをしました。
江戸は政治の中心地で、後には「文化の中心地の一つ」にもなりますが、「永田町で誇れるのは国会議事堂だけ」というのに近いものはあります。江戸時代には、日本各地が「自分の土地」を誇れた――そうでなければ、「お国自慢」というものは生まれないのです。

 その江戸時代が終わって、明治維新がやってきます。明治維新のことを「王政復古」とも言うのをご存じでしょうか?「武士の時代」は終わって、天皇=王を中心とする政治が始まった――復活したから、「王政復古」なんですね。つまり、明治時代になって、日本は「武士の時代以前」に戻ろうとしたんです。「武士の時代以前」――つまり、平安時代ですね。それまではすたれていた「宮中行事」も、明治時代になると復活します。長い間の「武家支配」で、京都の朝廷は貧乏になっていましたから、「宮中行事」の中には復活のしようがないものはいくらでもありました。それを「復活させる」ということは「作り直す」ということで、明治時代になって作られた「平安時代のもの」いくらでもあります。つまり、新しい近代日本は、「平安時代の衣装を着て出てきた」というところもあるんですね。「平安時代のもの」が異様にえらくなってしまったのは、この明治時代のせいなんですね。

 なにしろそれは、「新しい国家体制の根本を作る衣装」です。へんにわかりやすかったり親しみやすかったり、困るじゃないですか。明治時代は、「国家はえらい」ということを国民の間に定着させて行く時代なんですから、その国家の中心をなす平安時代は、「えらくて重々しくて難解なもの」でなければならなかったのです。古典を難解にして平安時代を妙にえらそーなものにしてしまったのは、明治時代からなんです。だから、「古典はわからない」という考え方なんか、早く捨ててしまった方がいいんです。「古典は普通の人間にはわからないむずかしいものである」というのは、古い明治の考え方で、今の我々に必要なのは、「わかるものはわかる」でしかないからですね。