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「破天荒の計画」 吉田東伍

2014年12月16日 00時05分56秒 | 雑学知識
 「知の職人たち」  紀田 順一郎 著  新潮社  1984年(昭和59年)発行

 「天才学者の一本勝負」 吉田東伍

 「破天荒の計画」 P-18

 前略

 起稿が明治28年末、第一冊の刊行が33年3月、最終の『汎論・索引』が40年10月である。分冊仮綴本で全11冊、総5,180頁、「歳月を閲すること十有三春秋、悪戦僅かに生還するの想いあり、回顧して偏(ひとえ)に短才微力に愧(は)ず」(序言)という控え目な表現の中に、万感がこもっている。生活苦と闘いながら32歳から44歳まで、人生の最も気力充実した期間をこの著作に捧げつくしたのであった。
 悪戦苦闘というのは、執筆そのものの苦しみを指すことはいうまでもないが、参考文献の閲覧に際しての苦労をも意味している。まず蔵書機関に出入りするために人を介する必要があった。蔵書家も上流の人が多いが、なかなか警戒して見せない。貸し出し不可という場合も多かった。そうした家は写字生が同行するのさえ嫌うので、一人で出かけて行って、その場で暗記しなければならなかった。
 しかし、ここに余人の及びがたい点は、東伍の抜群の暗記力であった。彼は参考書をすべて頭に入れてしまい、自在に引用することができるという超人的な頭脳を持っていた。これこそ、数千頁の大著述を僅々13年で完成し得た第一の理由でなければならない。
 つぎに彼は書物を読むのが非常に早かった。二行、三行を一度に読んでしまうという特技を持っていた。古語に「五行倶(とも)に下る」とあるのを文字通り実践したのである。平たくいうなら今の速読術であるが、このために借りた本は10日以上手許にとどめたことはなく、しまいには書物の扱いに喧(やかま)しい蔵書家も安心して貸してくれるようになった。

 中略

 そいう具合に転々とし、その間ほとんど一人暮らしだった。家族がいると気が散るという理由からである。写字生は置かない期間もあったが、多い時には4人雇っていたこともある。その一人、新潟出身の松本弘の回想によると、終日机に坐ったきり滅多に話をすることがなく、笑いもしなければ怒りもしない。朝6時に起きるとホンの申しわけにチョコチョコと顔を洗うが、時間が惜しいので歯は磨かない。食事は朝も昼も簡単にパンで済ましてしまう。夜は雑炊という、いかにも質素な食生活であった。就寝は10時だった。運動不足のため、顔色は悪く痩せていた。一時は結核の気味もあったという。

 中略

 大きな計画を立てて、長丁場を倦(う)まずたゆまず、ひたすら歩み続ける根気と執念、なによりも、世俗的な顧慮をしながらでは到底できない仕事である。唯一、羽目を外す可能性のある酒癖さえも抑えこんで、日常の関心を己れの学問専一に集中したところは、まことに人間離れしているとしか言いようがない。