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「昭和三十年代がなぜ流行るか」 南 伸坊

2014年12月14日 02時40分11秒 | エッセイ(模範)
 「オレって老人?」 南 伸坊(1947年生まれ、元「ガロ」編集長  みやび出版 2013年

 「昭和三十年代がなぜ流行るか」 P-134

 前略

 しかし、昭和三十年代を懐かしむ人々は、「明るさ」に憧れている人ばかりじゃないのではないか。貧しかった当時の日本人なら、格別の努力を必要とせずに「けなげ」になれた、その「けなげ」さを懐かしんでいるのではないかと私は思う。
 親兄弟、ご近所同士、たすけあって生きていかなきゃやっていけない時代、には人々は「たすけあう」ことに努力を必要としない。そうするのがあたりまえ、とみんな思っていたからだ。
 そうして、そのみんなが、ぜんたい世の中を「貧乏」から救わなきゃと思っていっしょけんめいに働いたのである。それが悪かったとは言えないが。豊かになると人々は「助けあう」のがむずかしくなってくる。
 隣人が、ふるさとから送られてきた野菜を、おすそわけに持ってくるのを、口では感謝しながら胡乱(うろん)に思っている。豊かな時代は、人々をそのように隔てることになってしまったのだった。
 せっかく貧乏からみんなで脱出したのに、貧乏の方がよかったのか!?と、いっしょけんめいにはたらいた私たちの父母や先輩は思うだろう。私たちだって、やっぱり貧乏から逃れようと、いっしょけんめいに働いたのだ。
 貧乏の象徴みたいな、古ぼけた下見板張りの木造アパートや、すすけたモルタルの壁や、線路脇のホーロー看板や、裸電球や、さみしいカサのついた街灯や、野暮ったい、名前を書く欄のある黒いズック靴や、練炭や豆炭や、タドンや、アンカや、ブリキの湯たんぽや、ブリキのバケツや、アルマイトのやかんや洗面器や、ベタベタする蝿取紙や、ちびた下駄や、クルクル回る便所の空気抜きや、二十燭(しょく)の電球や、そうしたあれほど嫌っていた物たちが、なんで今はこんなに懐かしいのか。
 貧乏くさいアズキ色の電車や、黒い木造のゴミ箱や、愛国党のポスターとどもり赤面対人恐怖のハリガミや、枕木を廃物利用した線路脇の柵や、コンクリで作った安物の瓦や、コールタールを塗った波板トタンや、七輪や、お釜や五徳や十能や、ペンキを塗り重ねた郵便ポストや、向こう側が歪んで見える硝子戸や、粗悪なボタンや、駄菓子やメンコやビー玉や、キビガラ細工やリリアンや、けんだまやベーゴマや、はっかパイプや、しょうのうで走り回る船や、ソースせんべいや、くりぬきや、フガシや、ぱんぱんいうだけのピストルや、そういうモノを見つけるとジーッと見てしまう。
 思わず買ってしまったりもする。
 中国や東南アジアを旅行すると、そんなものと、全く同じではないにしても、同じ匂いのする安っぽい、貧乏くさいものを、やっぱりじっと見てしまうのだ。
 思わず買ってしまったりもするのだった。あんなに豊かなアメリカや、すすんだヨーロッパのハクライ品がえらいと思ってたのに、いったいどういうことだろう?と考えてしまうのだった。
 それは、私がおじいさんになったからである。自分の若かったころ、コドモだったころが好きなのである。そのころには嫌いで嫌いで大ッ嫌いだったものだって、自分の若々しい時代のものだったら好きなのだ。
 おそらく、人間は懐かしがる動物である。懐かしがるのは、きっと脳ミソのくせである。懐かしいと楽しかったり、うれしかったりするのが脳ミソには好都合なのに違いない。