民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「語り婆(ばっぱ)を送る」 池田 香代子

2014年01月13日 00時40分06秒 | 民話(語り)について
 「語り婆(ばっぱ)を送る」 池田 香代子のブログより 2010年9月21日

http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51476712.html

 婆(ばっぱ)と言うにはたおやかすぎます、櫻井美紀さん、きのうはあなたを送る会でした。
それにしても、献花を待つ間のあのおしゃべり! 
あなたの精神的な妹や娘たちと、少数の兄や息子たちの、まあかまびすしいこと。
あなたは、「あらまあ、ほんとに語りの好きな人たちだこと」と面白がっていらしたでしょうか。
紅薔薇が足りなくなり、一度献花されたものをそっと使い回していたのを、私は見逃しませんでした。予期せぬほどたくさんの方がたが、全国からお集まりだったのです。

 初めてお会いしたのは、20数年前、奈良で開かれた学会でしたか。あるいは松江だったでしょうか。あなたは、日本の昔話と思われていた「大工と鬼六」は、
明治期にノルウェイの聖者伝を翻案したものだ、ということを鮮やかに立証したばかりでした。
いつかきっと私もこんな論文を書いてみたい、と胸躍らせて拝読したものです。
懇親会で、あなたがほかの方とお話しなさっているのにぴったりとくっついて、
ひと言も聞き逃すまいと耳をそばだてていました。
そのうち、私に向けて、「私ね、語り婆(ばっぱ)の会をやってるの」とおっしゃいました。
私は一も二もなく、入れてください、と言ったのでした。

 それは、学校などで語り聞かせをしたり、集まって語りを楽しんだりする方がたの勉強会でした。
私は、そうした実践はやらないくせに、理屈ばかりこねていました。
そんな私をあなたは面白がり、グリムについてなど、話をする機会を設けてくださいました。
「語り手たちの会」は、あなたの感化力と努力、忍耐力と組織力で全国に会員を増やし、
海外との交流も年々盛んになり、NPO法人となって今日に至っています。
もちろん、会にはあなたに劣らず優秀で献身的な方がたがたくさんいらして、
それらの個性のぶつかりあいから、語りの考え方も会の進む方向も生まれていったのですが、
それでも、あなたのキャラクターなしには考えられないなりゆきであったと、私は思います。

 あなたからは、厳しさを求められているような気がしていました。自分にたいする厳しさです。
あなたご自身が、自分に厳しい方でした。でも、当たりはあくまでも柔らかく、優雅でした。
ささやかなもの、軽やかなものを愛し、でも浅いものやまやかしは峻拒なさいました。
テクストのあるものを語る時は、テクストを一字一句違えてはならないというのが、
語りの世界の主流をなすなかで、あなたが勇気をもって異議を唱える反主流だったことも、
これと無縁ではありません。

 私も私なりの思考の経路をたどって、同じ見解に達していました。
人が、この話を語りたい、と思う時、その話にはその人のなにがしかがあらかじめ語りこめられている、それが何かは本人にも明らかではないばあいがむしろ多い、
伝承物語には、そうやって無数の人びとの生のなにがしかが、
多くは無意識のうちに無数回語りこめられ、話のいのちとして息づいている、
話のいのちのありかをおのおのの語り手がそのつどさぐりあて、それに新たないのちを吹きこむのが、語りという行為だと、私は思うのです。

 中略

 ですから、あなたや会や、そして私の考えだと、てにをはまで丸暗記してテクストどおりに語るなど、ありえないことです。
字面にとらわれるのは浅いことなのだと、心にもないまやかしを語ることになるのだと、
あなたはおっしゃるでしょう。
あなたは、語りは創造であり、語り手はクリエイターだ、ともおっしゃいました。
あなたの主催する語りの勉強会では、自分の経験を物語に構成して語ることが課されましたが、
それもまた、伝承の中に自分を見出し、伝承を自分の物語として語ることへの、
逆方向からの重要なアプローチなのでした。すべての語りは「わたくし語り」なのですから。

 中略 

 あなたはたくさんの人びとの憧れの的でした。私も憧れを寄せるその他大勢のひとりでした。
あなたは私の持っていないものをすべてお持ちでした。
文庫を開けるほどのお金と自宅、経済力も理解もあるおつれあい、決定的なのはお育ちのよさ。
あなたは、「大工と鬼六」の次に飛騨高山の「味噌買橋」に着目し、現地にも足を運んでおられました。「いっしょに行きましょうよ」と言ってくださいましたが、生活に追われていた私は、
さびしく諦めるよりありませんでした。
その「味噌買橋」のルーツをイギリスの民話に同定した論文もおみごとでした。

 さらには、水茎(みずぐち)うるわしいその筆跡、優美なしぐさとたたずまい、
美しい声とおっとりとした日本語は、誰にもまねのできないものでした。
そのパロール(音声言語)は、語りだけでなく学会発表でも議論でも、
うっとりと聞き惚れさせる魅力にあふれていました。
あなたが絶世の美女を語る時、あなたは絶世の美女以外のなにものでもありませんでした。
そんな語り手は、残念だし悔しいことに、ほかにはいないと思います。

 中略

 司会の大島廣志さんが最後におっしゃったことはほんとうです。
私も言います、あなたにお会いできたことは私の名誉です、と。
ありがとうございました。櫻井美紀さん、77歳なんてあまりにも早すぎるお別れですけれど、
悔やんでも今となっては詮ないことです。今ごろあなたは、あなたの夕顔のように、
さばさばと笑っておられるのでしょうか。

合掌