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歌人、翻訳家としてのもりひさしさん

2018-12-27 16:55:40 | 絵本と児童文学
 今年も、ぼくがこれまでの暮らしでメディア等で親しんでいた多くの方が亡くなりました。その中の一人に、もりひさしさんがいます。もりひさしさんといっても知る人は少ないでしょうが、絵本『はらぺこあおむし』(偕成社 76年発行)の訳者です。この絵本は、350万部の発行され、半世紀近くたった今も再販を続けています。日本人の多くの人が手に取ってなじんでいる絵本です。作者のエリック・カールの絵本を、今日まで日本に知らしめた初期の作品です。

 もりひさしはぺんネームであり、森久保仙太郎さんとは親しく話すことがありました。
 氏の作った

 明るい朝です みどりです
 みどりの〇〇学園に きょうもはじめの鐘が鳴る
 ・・・・
 ・・・・
 リリンとペダルをふんでくる

 という歌は、子どもたち誰もが歌っていました。50年前後に作ったであろう歌は、おしゃれなものでした。ぼくが身近な人だったときはすでに絵本の著書があり、『はらぺこあおむし』を訳し、絵本『つきがみていたはなし』の著書があったのですが、それを意識できたのは後々になってからでした。

 改めてもりひさしさんを偲ぶ機会を与えてくれたのは、詩人であり、翻訳家でもあるアーサー・ビィナードさんでした。ラジオの文化放送の平日17時30分過ぎから「午後の三枚おろし」という5分ぐらいの番組で、アーサー・ビィナードさんが先週1週間にわたって歌人、絵本作家、翻訳家として氏の業績を紹介しました。
 ぼくの知らないことばかりで、改めてもりひさしさんについて考えたのでした。アーサーさんはご自身の詩人、絵本作家、翻訳家の立場から、もりひさしさんの向き合っていました。

 毎回氏の歌集から歌を紹介しました。その歌は兵士体験に向き合いながら戦後の心の軌跡、平和をについて歌いあげていました。たんたんと歯切れ良い歌は、氏の明るさやさしさといったものを十分に感じ取ることができました。
 101歳ですから兵士体験があるのでした。それが当然なのですが、氏と出会っていたのが50歳ぐらいだったのですが、とてもその年齢とは思えなく若々しかったのでした。
 兵士体験では房総半島(千葉県)で本土決戦にそなえた隊にいたものでした。かつて湘南海岸(神奈川県)で本土決戦に備えての兵士体験者から聴いたことがあります。兵器もろくになく息を止めて潜る等過酷なものだったと。その前提としては死を恐れないというものでした。その体験者から聴いていただけに、もりしさしさんの歌から想像に難くありませんでした。ぼくの知らなかった森久保仙太郎さんでした。

 ラジオ放送では、昨年放送されたインタビュー盛り込まれていました。世田谷美術館でエリック・カールを迎えての展覧会の会場のようでした。歯切れよく明るい声で語っていました。もともとアナウンサーのような歯切れ良き話し方でしたが、それと大方変わらないものだったので、これも驚きました。むしろ『はらぺこあおむし』の翻訳エピソードだったこともあってか、確信に満ちた力強い話しぶりでした。

 さて、『はらぺこあおむし』のタイトルが、編集者は、「はらぺこ」ではなく「おなかのすいた」という表記にする意見だったとのことでした。当時の編集者の意見は理解できます。「はらぺこ」という普段着のことばではなく「おなかのすいた」の方が日本語として標準的で良い言葉ということでしょう。絵本はまだかしこまった「こくご」的な性格を期待された子どもの文化材でした。
 ついでに触れておくと戦後いち早く本格的な子ども向けの絵本を出版した岩波書店の『ちいさなおうち』は、出版当初は翻訳本でありながらも文章が縦書きでした。横書き絵本が出版されたのは60年代からでした。その理由は国語が横書きになることはあり得ない、という考えです。(この部分は後程資料に当たって補足します)

 ところでエリッック・カールは、ドイツ系のアメリカ人であることもあって、英語とドイツ語で出版するとのことです。その際ドイツ語は、英語の表現より説明的文章になるため、2倍ぐらい長いものになるとのことです。それぞれの言語と文化の違いからでしょう。
 日本語は音が少なくオノマトペ(擬態語、擬音語)が多い、等の特徴があります。音韻が重要であり、説明的でない「はらぺこ」が絵本の内容をも表現されています。何よりも受け手である子どもの言葉であることが重要なことです。

 もりひさしさんは、わかやまけんの「こぐまちゃんシリーズ」の制作にもかかわっており、ガブリエルバンサン等の翻訳やほかにも多くの翻訳をしています。絵本の翻訳は外国語の専門性というよりは、訳されたものを子どもに届けるための橋渡しです。内容、絵、テーマ性等をを総合的にとらえることが重要なのでしょう。子どもに届けるために作品の後押しするという意味では、制作にもかかわっているようでもあります。
 

 森久保仙太郎さんは、人生後半は大学教員でした。その時講演をお願いし、いくつかの言葉を交わしたことを思い出したのでした。明るく爽やかで優しいおしゃれな紳士の先生でした。

 

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