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『いない いない ばあ』の作品郡を読み解く-その1

2004-10-11 11:41:12 | 絵本と児童文学
185] 『いない いない ばあ』の作品群を読み解く-その1 (2004年10月11日 (月) 11時41分)

大人へ愛着が芽生える

 生後5カ月頃から、親のような特定の大人に愛着(アタッチメント)をもてるようになります。その頃から10カ月頃まで愛着を持てる人を識別できるようになるため、知らない人を受け入れないということがおきます。それが人見知り、といわれていることです。子どもは恐怖から逃れ安心できること、つまり自分を守ることは生命を維持するため備わっているように思われます。したがって人見知りするということは、特定の人に愛着をもてていることであり、情緒の安定とコミュニケーション能力の土台形成にとって大事な行為でもあります。
 このようなコミュニケーション力の萌芽の時期の子どもが「いない いない ばあ」と、親しい人に働きかけられることによって、目の前の人の顔が手で隠されていなくなる不安な気持ちと、まもなく顔を確認できる満足の気持ちが行き交い、特定の人との関係をつくる体験となります。子どもが愛着を持っている大人が、それをやることによって関係が深まり、絆をつくるにつながるといっても過言ではないでしょう。
 また「いない いない ばあ」は、日本だけでなくおよそ世界中の子育てで、6ヵ月前後からおこなわれることでもあります。それはコミュニケーション発達の側面以外に、ワーキングメモリーといって、この年齢では数秒間の記憶ができるようになるため、それを楽しむ行為でもあるとのことです。

「いない いない ばあ」遊びの意味

 ところで「いない いない ばあ」の遊びは、どのような意味があるのでしょうか。この遊びは、子どもに向かい合って「いない いない」といって顔を手で覆って消えるかのように思える、あるいは顔をなにかで覆うか物陰に隠れるのです。この遊びの初期には不安や驚きの感情がわきあがるが、次の瞬間出会えることは安心しわくわくの喜びの感情になります。遊びを繰り返しているうちに、出会える喜びがあるために顔が見えなくなることは、次に出会える期待になっていくのです。
 かりに「いない いない」で顔が隠れたまま現れないとしたら、子どもはどうなるでしょう。実際やってはいけないことだが、子どもは不安と恐怖の感情を持ち、何回か繰り返すとしたら大人を当てにしなくなることでしょう。感情的にもつれるし、コミュニケーション力が萎えてしまいます。
 「いない いない ばあ」は、この年齢の子どもにとって、そのやり取りで安心の心を育て、間やタイミングの心地よさを体験し、大人と子どもの絆をつくりコミュニケーショ力をも育てるのです。  子どもからすれば、見て確認した顔が一瞬消えてまた出会うのは記憶を確かめられるのと再度の出会いを確かめられた安心してつながっているのです。
 また、この「いない いない ばあ」が、1歳半ば頃になると子どもが自分から大人に向かってやりだす場合があります。よくあることでは、カーテンに子どもが隠れて「いないない」といい、大人が「いなくなった」とか「どこへいったのかな」などと対応すると、子どもは得意になって驚かそうとして「ばあ」とカーテンから姿を現します。じつは大人から見ればカーテンに隠れているということが分かるのですが、自分がカーテンで覆うために暗くなったりするので、子どもにとっては大掛かりな行為だと思われます。
 さて「いない いない ばあ」がこのような意味があるのですが、それをさまざまな人が絵本として作品にしています。この「いない いない ばあ」という素材は、絵本の制作技法としてもっとも使われる繰り返しが含んでいます。素材が同じでも、当然のことながら作家によって作品は異なります。
 ここでは「いない いない ばあ」遊びの意味を作家がどのようにとらえているか、ストリー展開に盛り込まれる繰り返しをどのように使っているかを、個々の作品にあたってみるのも興味がそそられます。そのことが子どもにどのようなメッセージを伝えることになるか、という観点で作品を比較検討してみることにします。
 
■『いない いない ばあ』 松谷みよ子ぶん 瀬川康男え(童心社 67年4月発行)

 発行当時は、わずかしか出版されていなかった赤ちゃん(0歳)を対象にした絵本の、さきがけとなった「松谷みよ子あかちゃんの本」のシリーズの1冊です。
 最初の見開きのページは、右ページに
「いない いない ばあ/にゃあにゃが ほらはら/いない いない・・・・・・・・・」
と語りの文章があり左画面いっぱいにねこが手で顔を隠しています。次の見開きは右ページにねこの笑顔が描かれており、左ページに大きな文字で「ばあ」となります。
 このように見開きを絵と言葉組み合わせ、しかも絵と文字のページを違えているのは、「いない いない」で次のページを開くと「いない いない」の絵の紙と表裏をなして「ばあ」となるので、連続性が表現されています。そのためにページをめくることに、間を託しているのです。しかも絵が白に描かれ文字は淡い緑色にしているのは、このような効果を意図した表現技法です。
 ねこの次は、くまが同じように書かれています。ところが次のねずみは左ページの下の方に小さく籠に入って顔を隠しています。右ページの語りは
「いない いない ばあ/こんどは だれだろう/いない いない・・・・・・・・」
として、次の見開きは大きな文字で「ばあ」で、ねずみが籠の上にたちおどけているようにも見えます。繰り返にストリー性をもたせるために、起承転結の転であろう変化をもたせています。次のきつねは黄色と赤も使って、あかるく高揚感をつくっています。
 最後は見開きの中央に
「こんどは/のんちゃんが/いない いない/ばあ」
と語りを入れて右ページに顔を強調した赤ちゃんが顔を手で隠し、左ページはにこにこ顔ののんちゃんが「ばあ」をして終了となります。
 瀬川康男の絵は、やわらかく温かみのあるもので、「いない いない ばあ」の根源的な意味を子どもに届けるのにふさわしいものです。この本を手にすると、子どもに大人の息使いを感じさせながら安心の言葉と心を届けることができるでしょう。

■『いない いない ばあ のえほん』 安野光雅(童話屋 87年5月発行)

 左側の表紙は、端正で柔らかな、しかも完成度の高い絵で女性が手で顔を覆って、「いない いない」をしています。裏表紙は「ばあ」の絵で、しかもタイトルもあります。表紙から開始していることと、裏表紙からすすんでもよいのです。しかも、まったく文字がないので、すべて受け手にゆだねられている絵本なのです。
 奥付が右にあることから左からすすむとして、最初のページは「いない いない」と顔を覆う手がその形に切られてあるのでそれを開くとうさぎが静かに穏やかに静止しています。次の見開きの左ページがいぬで、右ページがねこで中央に顔を覆う手が両面に描かれています。次のページがらいおんととら、という具合に進みあかちゃんやぴえろやさんたくろーすも登場します。
 この絵本は、「いない いない ばあ」というシムプルなコミュニケーション遊びを、言葉を添えずに手に取る親子が望むように扱うよう委ねているのです。そういった扱いが可能なような、子どもにおもねない絵と装丁に仕上げられています。きっとしっとりとしたていねいな大人と子どものやり取りになるのではないか、と想像できます。
 おもちゃでいうと積み木は、制作者がシムプルに提示したものを遊び手によって制作者の意図を超えて創造的に遊びが展開するよう期待します。この本を手にした親子は積み木で遊ぶように、「いない いない ばあ」からどのような想像の世界がつくられるか、楽しみでもあります。

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