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今、あさのあつこが注目されている

2005-04-24 21:15:20 | 絵本と児童文学
[242] 今、あさのあつこが注目されている (2005年04月24日 (日) 21時15分)

 今、児童文学作家あさのあつこが注目されている。書店では『バッテリー』の3巻までの文庫本(角川書店発行)が平積みになっている。出版社の広告を目にしていないが、そのうち3桁ぐらいの数字が出るのではないか、とわたしは予想している。『バッテリー』は、96年に出版され(教育画劇発行)、その後巻を増やし1月発行の第6巻を持って完結した。それを機にメディアに注目され出した。これからもっと大衆的注目も、増すこと間違いなしである。
 『バッテリー』は、出版されてから完結するまでの9年間で、地味な児童文学界にあって、しかも紙芝居出版を主としていたマイナーな出版社である教育画劇なのに、関心が高い。大手出版社の販売手法をとらないのに、である。
 実際は、角川書店による03年12月1巻目の文庫本化以降、注目度が高まったが。『バッテリー』の人気は、メディアミックス時代だけにNHKラジオで放送され、月刊のマンガ雑誌である『Asuka』(角川書店)でも連載中である。早晩アニメにもなるだろうと、わたしは予想している。
 恋愛小説(小説、ドラマなど)が百花繚乱の文学界にあって、およそ縁遠い中学1年生の野球少年をめぐる物語である。それに多くの人が共感していることに、わたしは関心を持っている。児童文学でいうヤングアダルトを対象としたものなのだが、読者は子どもだけではなく、20台から中学生を抱えている親にも読まれているのではないか、と推測している。その要因のひとつに、文庫本化したものは表現を若干変えるのと漢字を多く使って、対象をヤングアダルトと限定していないこともある。

 ところで『バッテリー』の内容についてふれねばなるまい。舞台は作家の出身地である岡山県である。少年野球時代から注目されていた、天才ピッチャー原田巧が父親の転勤を機に祖父の下へ引越しをする。その春休み、キャッチャーの永倉豪との出会いから始まる。2人はバッテリーを組むことになる。彼らが新田東中になった1年間の野球部の活動を中心に、家族、学校で繰り広げられる。
 物語はリアリズムであり、随所に出てくる風景、厚みのある人物像とその心理、人の関係性など描かれており、その筆致は巧みである。自然描写と状況表現は、その場をイメージできるようであり、しかも物語のドラマティクな展開に織り成すことで、人物の心理や場の空気や時間の経過などを間接的に表現する効果を生み出し、読者に心地よさをもたらしている。人物像はそれぞれの厚みがあり、時折気持ちを詳細に描き、それが中学生の心理をよく表現している。登場人物の個性(キャラクターといってもいい)の色合いが、展開のなかで関係性を対立や補完が織り成し、物語をいっそうおもしろくさせている。あさのあつこは、この人間の関係性をテーマにしている、といってよいのではないだろうか。
 1巻目が巻番号ないことで分かるように、当初から長編を構想してはいなかった。それが2年後の98年に2巻、00年に3巻と続くことになる。2巻以降は、学校の部活を中心に教師、生徒、そして事件などドラマティックに展開していく。

 物語を成功させている要素に、野球を素材にしていることがある。野球が国民的スポーツで読者に内容が了解されやすいのと、役割分業というスポーツ文化の特徴から、人間個人を鮮明に描きやすいという側面がある。しかもその上に人間の関係性が必要であり、タイトルでもあるバッテリーがそれを如実に表している。
 野球といえば、マンガとアニメで『巨人の星』が一時代をつくり、そのスポ根ものの対抗軸に友情をテーマにした『キャップテン』(ちばてつお)があった。『バッテリー』は児童文学であるから、それらと同列にすべきではないが、野球というスポーツ文化をどうとらえているか、という点を比較すると面白と思ったものだ。
 『バッテリー』は人間の深い部分と、リアリズムに徹した上で底流にあるメッセージ性は良質で、生き方の提案も読み取ることができる。ただこれとて少年マンガでいわれている「努力、友情、勝利」という視点で切り取ってアニメにしうるだろう。ただしあさのあつこは、努力が報われるとしていないし、慰めあう友情でもなく、勝利への道を描いているわけではない。しかしそれにも耐えうる良質のおもしろさの物語であり、野球という素材のなせる業でもある。
 次に地方の町を舞台にしていることも見逃せない。随所に表現されている自然のこともあるが、人間関係あるいは物語の舞台をおおよそ読者が把握できる、といったことも上げられる。これは『ズッコケ3人組』が、地方の町を舞台にして成功しているのと類似している。都市を舞台にすると、場面が点と点のつながりとなり、人間に付随しない風景が描きにくいのである。
 さらにあさのあつこの文章にふれることにする。センテンスが短いのが特徴である。シムプルで飾りがない。省略によるリズムのよさ、間のおき方などが、場の空気を読み取れるようである。子どもが心地よくどんどん読み進むだろう文章である。

 さて、作家あさのあつこについてふれることにする。わたしは3月13日(日)のNHKBS2の「週刊ブックレビュー」の特集出演したのを見た。とくに女性の作家にありがちな、世間との波長が違うライフスタリルをしているわけではない。3人の子どもを育てた普通の母親でもある、生活のにおいを感じさせる誠実な人のように見えた。もっとも児童文学者は、浮世離れしていては創作ができないものなのだ。わたしには、作風と人柄が一致した誠実な市井の暮らしをしている人に思えた。
 1954年生まれで、子育てに手がかからなくなってから書くようになったという。91年の『ほたる館物語』でデビューし、今日まで44冊を出版しているので、児童文学作家としては多いほうといってよい。後藤竜二の同人誌『季節風』への執筆がきっかけだとう。後藤竜二より一回り若いが世代であるが、時代の制約を受けながらなおも生きる活力を持った子どもたちを、子どもの立場に立ちながらリアリズム手法で書き上げていく共通点を持っている。
 また作家として影響を受けているのは、藤沢周平と辺見庸とのことだ。いずれもわたしも関心のある作家である。藤沢周平は、平易は表現で自然描写にすぐれおり、市井の人を繊細に描く。あさのあつこの文章は、藤沢周平の影響を受けているかもしれない。辺見庸は骨太で鋭い社会派でありながら、一気に読ませるいい文章を書き、ノンフィクションが多い。
 そういえば辺見は、この1年ぐらいメディアに登場していないようだ。病気療養といった記事をどこかで読んだような気がする。わたしは、辺見の発言がなくなっているのを寂しく思っている一人である。
 あさのあつこは、今後もヤングアダルト向けのものを書いていくとしているが、別冊文芸春秋に「ありふれた風景画」を連載開始する。またこれまでの作品を、7本ほど漫画化されて雑誌に連載されているという。

参考資料 HP作家の読書道  HPあさのあつこ著『バッテリー』ファンサイト・白玉
       雑誌『子どもと読書』5・6月号(親子読書地域文庫全国連絡会 編集発行) 
       特集あさのあつこの作品世界



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