2013年4月その1
『北朝鮮のリアル』(一般書)
チョ・ユニョン 著 東洋経済新報社 2012年4月
北朝鮮の世代交代が行われ、1年半が経過。
報道から流れてくる話題と言えば、「核開発」や「ミサイル攻撃」と言った不穏な空気ばかりである。
少なからず、私から見える北朝鮮の国は、金正恩を中心とした一部の裕福な権力者と何も食べることのできない国民というもの。
しかし、それが北朝鮮の全てではないことははっきりしているが、その全てではない部分と言うのはどのような形になっているのかは、正直知る由もない。
そんな中で、ハッとするタイトルの本書にであった。
本書は韓国や日本に脱北した人たちの取材を通して見えてきた北朝鮮の姿をまとめたものである。
「はじめに」で著者はこの取材から、北朝鮮の政治構造が不動であることは認識しなければならないものの、住民の心は大きく変わっていると指摘している。
それを第1章では「等身大の北朝鮮人」としてまとめ、第2章では「脱北者の実像」、第3章「北朝鮮経済と庶民の商魂」、
第4章「北朝鮮の生活文化」、第5章「東アジアと北朝鮮」として構成しており、各章は更に項目ごとに分かれている。
この中で興味深かったのは、国民の中に資本主義的状況が生まれているということである。
とりわけ中国との国境の市町村では、何某かの理由をつけて北朝鮮の住民が中国にわたり、物を仕入れて、国内に戻り仕入れたものを売っているようである。
この取材が行われた2011年頃、なんと北朝鮮でも韓国ドラマがブームになっており、韓国ドラマに出て来るヘアスタイルやファッションが流行っていたようである。
そのため、北朝鮮のとあるオバサンは中国に古着を仕入れに行っている。
そこで著者とであったわけだが、彼女は著者に「北朝鮮の人たちが世界のことを何も知らないなんて思わないでほしい」と訴えている。
しかし、北朝鮮の国民だからと言うことで蔑まれ、値段交渉に出られず、韓国人にはこびへつらわなければならない」という証言が記されている。
また、北朝鮮内の自由市場でいちばんよく売られているのが、文房具のようである。
なんと北朝鮮の家庭も教育に熱をいれていると言うのである。将来的に平壌や海外での就職の道が開けるため、とりわけ英語やコンピュータの科目は人気だという。
そのために、家庭教師をつけている家庭もあるというのだから驚きである。著者の言葉を借りると、
「北朝鮮では『自力更生』というスローガンをよく見かけるが、住民は食べ物を手に入れるための自力更生から、自分の未来子どもたちの未来までも考えた自力更生へと重心を移している」(p49)
話はそれるが、このような一面を見ると東アジアは「儒教」でつながっているなとつくづく感じる。
どれだけ親が子どもの教育に熱心か(日本はちょっと外れてきたようにも感じるが)。
韓国の大学入試でのお祭り騒ぎや、中国の小学生からの加熱気味な受験競争などと北朝鮮の教育熱もだぶってみえてくる。
しかしながら、本書で著者も指摘しているが、このようなことが出来る家庭もあれば、全くそれが不可能な家庭も存在する。
これもまたありがちではあるが、北朝鮮もまた「格差社会」となっている。
それも、これまでの幹部と国民と言う区分ではなく、庶民の中に資本力で武装した新しい階層が出来、国民の中にも格差が拡大したということである。
実際、本書での取材は脱北者を除けば、中国国境付近に住む人たちか平壌に住む人たちである。
国境に近い人たちは何らかの手段を通じて、売るための品物を中国から買い付けることは可能である。
また平壌に住む人たちは私の知識が正しければある程度もともとそれなりに裕福な家庭が集まっている。
ともすればそれ以外の国民はどのようになっているのだろうか。実のところ、本当に欲しい情報と言うのはそこである。
しかし、本書でもそれははっきりと分からなかった。
本書から全ての北朝鮮の姿が明らかになったとは言えない。それでも、庶民の中に資本経済が入ってきているという状況(何せ、韓流ブームというのには驚きである)。海外への就職をもとめて教育に力を注いでいる家庭があるということ。少なからず、一部の庶民の生活ではあるが、メディアでは見ることのできない北朝鮮の姿に逢える1冊ではある。
『北朝鮮のリアル』(一般書)
チョ・ユニョン 著 東洋経済新報社 2012年4月
北朝鮮の世代交代が行われ、1年半が経過。
報道から流れてくる話題と言えば、「核開発」や「ミサイル攻撃」と言った不穏な空気ばかりである。
少なからず、私から見える北朝鮮の国は、金正恩を中心とした一部の裕福な権力者と何も食べることのできない国民というもの。
しかし、それが北朝鮮の全てではないことははっきりしているが、その全てではない部分と言うのはどのような形になっているのかは、正直知る由もない。
そんな中で、ハッとするタイトルの本書にであった。
本書は韓国や日本に脱北した人たちの取材を通して見えてきた北朝鮮の姿をまとめたものである。
「はじめに」で著者はこの取材から、北朝鮮の政治構造が不動であることは認識しなければならないものの、住民の心は大きく変わっていると指摘している。
それを第1章では「等身大の北朝鮮人」としてまとめ、第2章では「脱北者の実像」、第3章「北朝鮮経済と庶民の商魂」、
第4章「北朝鮮の生活文化」、第5章「東アジアと北朝鮮」として構成しており、各章は更に項目ごとに分かれている。
この中で興味深かったのは、国民の中に資本主義的状況が生まれているということである。
とりわけ中国との国境の市町村では、何某かの理由をつけて北朝鮮の住民が中国にわたり、物を仕入れて、国内に戻り仕入れたものを売っているようである。
この取材が行われた2011年頃、なんと北朝鮮でも韓国ドラマがブームになっており、韓国ドラマに出て来るヘアスタイルやファッションが流行っていたようである。
そのため、北朝鮮のとあるオバサンは中国に古着を仕入れに行っている。
そこで著者とであったわけだが、彼女は著者に「北朝鮮の人たちが世界のことを何も知らないなんて思わないでほしい」と訴えている。
しかし、北朝鮮の国民だからと言うことで蔑まれ、値段交渉に出られず、韓国人にはこびへつらわなければならない」という証言が記されている。
また、北朝鮮内の自由市場でいちばんよく売られているのが、文房具のようである。
なんと北朝鮮の家庭も教育に熱をいれていると言うのである。将来的に平壌や海外での就職の道が開けるため、とりわけ英語やコンピュータの科目は人気だという。
そのために、家庭教師をつけている家庭もあるというのだから驚きである。著者の言葉を借りると、
「北朝鮮では『自力更生』というスローガンをよく見かけるが、住民は食べ物を手に入れるための自力更生から、自分の未来子どもたちの未来までも考えた自力更生へと重心を移している」(p49)
話はそれるが、このような一面を見ると東アジアは「儒教」でつながっているなとつくづく感じる。
どれだけ親が子どもの教育に熱心か(日本はちょっと外れてきたようにも感じるが)。
韓国の大学入試でのお祭り騒ぎや、中国の小学生からの加熱気味な受験競争などと北朝鮮の教育熱もだぶってみえてくる。
しかしながら、本書で著者も指摘しているが、このようなことが出来る家庭もあれば、全くそれが不可能な家庭も存在する。
これもまたありがちではあるが、北朝鮮もまた「格差社会」となっている。
それも、これまでの幹部と国民と言う区分ではなく、庶民の中に資本力で武装した新しい階層が出来、国民の中にも格差が拡大したということである。
実際、本書での取材は脱北者を除けば、中国国境付近に住む人たちか平壌に住む人たちである。
国境に近い人たちは何らかの手段を通じて、売るための品物を中国から買い付けることは可能である。
また平壌に住む人たちは私の知識が正しければある程度もともとそれなりに裕福な家庭が集まっている。
ともすればそれ以外の国民はどのようになっているのだろうか。実のところ、本当に欲しい情報と言うのはそこである。
しかし、本書でもそれははっきりと分からなかった。
本書から全ての北朝鮮の姿が明らかになったとは言えない。それでも、庶民の中に資本経済が入ってきているという状況(何せ、韓流ブームというのには驚きである)。海外への就職をもとめて教育に力を注いでいる家庭があるということ。少なからず、一部の庶民の生活ではあるが、メディアでは見ることのできない北朝鮮の姿に逢える1冊ではある。