藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

障害、てのは、なんだろね。

2012年12月02日 | 雑感

 風邪がやっっっとおさまりつつあります。

 長かったねえ~・・・。まだ、声が「青江ミナ」。


 熱があっても仕事には行ってましたよ。一杯着てマスクして。


 私の職場はお話しているとおり、主に精神障害の方達が働く場です。

 先日、その中の一人の方に「一緒に働いていて、ヘンにならない?」と聴かれました。

 答えは「ぜんぜん。」です。まったくそんなことはありません。


 今はどうかわかりませんが、小学校の理科室かな?<人体模型>、半分は裸の人で半分は内臓や血管が丸見えになっている模型がありました。
 私は長い間、だれの身体もみんなあのように規則正しく内臓やなんやらが体内に<配置>されていると思ってました。

 少し大きくなってからは、漠然と違う人もいるんだと思っていました。

 ところが、実際私自身の身体の中は、あの<人体模型>とは随分と違っていることに気づかされたんですね。病気をしてわかった。

 まず、尿管が左右一本づつが普通だけど、私は細い情けないのが二本づつあった。
 そして、動脈と静脈の位置がこんがらがっているところがあるらしい。
 眼球もいっこ、ゆがんでるようです。

 つまり、あの<人体模型>と同じ人はほとんど、いない。みんな一人ひとり違っているんですわ。
 それと同じに、顔だって正確だってちがうことを見れば、精神障害の人とだろうが、身体障害の人とであろうが、知的障害、発達障害などの人達と一緒に働くことは何にもどこも「おかしくなる」なんてことはないのです。

 「障害」というから、なんか<劣っている>ような響きがあるけど、この世の中でいわゆる<普通に働いている人>の中には、一般の人だけでなく、エライ人や有名な人も、「障害」がある人は大勢います。

 「しょうがい」っていったいなんなのだろう?
 確かに、歩行や食事、会話が困難な人は大勢います。内蔵が機能しない人も。
でも、それは、<劣っている>ことなのでしょうか。

 金子みすずは、「みんなちがって、みんないい」と言ったけれど、ま、今の政党を見るとそうは言い切れないとこあるわね。

 でも。
 <みんな違う>ということは、頭に入れておこうじゃありませんか。<優れている>とか<劣っている>とかじゃなくて。

 あ、これはしつこいけど、選挙公約のことじゃないからね。
 
 
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