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気分だけの反石原では石原の引立て役にしかならない

2007年03月21日 08時39分02秒 | 反石原・’07東京都知事選
 今回の東京都知事選挙ですが、どうも私が一番懸念する展開になりそうな気がして仕方がありません。その展開というのは、「浅野vs吉田(若しくは反石原)の"どんちゃん騒ぎ"」が悪い方に作用して、「反石原」の大義自体が"道化・茶番劇"と化した場合です。当初は明確だった「反石原」の機運が、候補者乱立と三流芸能人紛いの泡沫候補の参入によって、「何となく、気分としての反石原」や「反石原の気分にのった機会主義者の単なる狂宴、劇場政治」に成り下がってしまって、逆に石原慎太郎を「低次元のバッシングに屈しない鉄の男」として引き立ててしまう事になりはしないか、という懸念です。丁度、郵政解散で追い詰められた小泉純一郎が「不屈の男」を演じる事で逆に自民党の大勝をもたらした時と同じ様に。

 実はこの間、自分の勤め先でも何人かの人に、「今度の都知事選、どうなると思う?」と、それとなく聞いてみたのです。今の勤め先はガテン系で「自民ウヨク大好きB層」も一杯屯する職場ですが、それでもごく数人ですが「これは」と思う人に、自分の「反石原」の立場を明らかにして石原都政の諸々の問題点も指摘した上で、さり気なく聞いてみました。すると案の定、浅野候補に対する評判はイマイチでした。彼らは政治の事や浅野・吉田・黒川の違いもよく分らないですが、それでも「浅野は、装いだけは何やらケバケバしいが、何だかんだ言っても結局は"後だしジャンケン"で出てきたタマじゃないか」という事は見抜いていました。そして、「結局、叩かれれば叩かれるほど余計に石原が引き立つのでは」という事を言っていました。

 これが杞憂であれば良いのですが、どうも現実になりそうな嫌な感じがします。世論調査では「一歩リードの石原を浅野が追う」というのが大方の見立てだそうですが、私はどうも「これは上滑りの観もあるのではないか」という気がします。確かに、浅野候補の方が吉田候補を凌いで、そこそこの得票はするでしょうが。

 この間、石原都政のデタラメぶりがここまで明らかになってきて、当初風は明らかに「反石原」の方に吹いていたのに、何故この様な展開になってきたのでしょうか。
 私ははっきり言って、浅野候補自身の責任が大きいと思います。浅野候補を支持する人たちは「共産党単独推薦の吉田では勝てない、ここは市民が推して保守層からの得票も見込める浅野候補への支持を"人民戦線"方式で広げていこう」と主張しますが、私はこの「保守層からの得票も見込める」云々のくだりが逆に仇となって、後々まで浅野陣営の足を引っ張る事になるのではないかと思うのです。

 政策や人柄では何といっても吉田候補がピカイチですし、私も吉田候補を支持する立場ですが(その上で場合によっては浅野氏への票の集中もアリだとは思っている)、確かに今のご時世では、かつての美濃部都政や黒田大阪府政が誕生した時の様な支持の広がりは期待できないのかも知れません(今回擁立したのが田中康夫氏ならまた違った展開を辿ったでしょうが・・・)。
 では仮に百歩譲って「かつての社共革新共闘の様な感覚ではもはや勝つ事は出来ない、ここは支持層を広げる為にもっとソフトに行かなければならない」「党人候補ではなく知名度のあるタレントや有識者・著名人を市民が担ぐ形にしなければならない」というのが正しいとしましょう。しかし、いくら「ソフトで行く」にしても、肝心要の政策・対立軸は、寧ろ戦術面でソフトに行くのなら尚更余計に鮮明にしなければ、有権者にとっては「一体今の都政の何が問題で、それをどう変えたいのか」が全然見えてこないのではないでしょうか。
 その中で、さあこれから石原三選阻止に向けてと言う時に、逆に浅野候補の「石原都政一期目の評価は80%だった」とか「オリンピックは一度立ち止まってやるか止めるか考えてみる」とか言う言明を聞くと、私などは「この人、今頃になって何でこんな興ざめするような事を言うの?」「本気で石原都政を変えたいと思って出てきているの?」「ただ何となく反石原の時流・気分に乗って出てきただけではないの?」「何でこんな人の為に吉田候補が降りなければならないの?」と思ってしまうのです。そしてウチの職場の「自民大好きB層」は、そこに更に「プロ市民」の陰を見てとってしまうのです。実際、私が聞いた中でも、「浅野が出たから丸山やドクター中松なんかも俺も俺もと出てきたんだ」と言っていた人もいました。

 浅野候補の政治的"曖昧さ"は、ひょっとしたら民主党支持層の支持を取り付ける為の方便なのかも知れません。しかしその事で「反石原」市民団体と候補者の政治性との間で齟齬を生んでいたのでは、逆にそれがある種の「胡散臭さ」や「ワザとらしさ」を醸し出す事になり、折角の「反石原」票も逃げてしまいます。それが吉田候補へと流れれば未だしも、「棄権」となって「石原の一人勝ち」となっては目も当てられません。
 東京の民主党など、元々石原与党でハナから反石原ではなく、単に勝ち馬に乗りたい一心で浅野候補に接近しているだけなのですから、前回都知事選でも石原支援に回ったような勢力などは浅野陣営の方から切り捨てて、反石原の革新色を鮮明にすればもっと支持が広がりそうなものを。何に遠慮しているのか知りませんが、周囲がことさら反石原を強調すればするほど、候補者自身の歯切れの悪さが余計に目につきます。「ルペン阻止の人民戦線」に投票したつもりが、蓋を開けたら「反ファシズムなど形だけだった社会大衆党」への支持にしかならなかったというのでは、投票した庶民がバカを見るだけです。

 この選挙、試されているのは石原慎太郎だけではありません。浅野・吉田・その他の候補の「反石原の本気度」もまた試されているのです。そういう目で各候補者を見ると、浅野氏には、個々の政策が新自由主義的とかいう以前の問題として、この「本気度、気迫」がイマイチ感じられないのです。これが私が浅野氏に対して魅力を感じられない最大の理由です。
 それは浅野候補が保守にもウイングを広げようとしている故なのかも知れませんが、しかし「八方美人」であろうとすればするほど「反石原」の焦点は逆にぼやけ、それだけでなく「B層」からは「反石原」の大義自身にまで「不信の目」が注がれる結果になる(従って単に浅野陣営だけの問題では収まらない)事を、もっと自覚すべきではないでしょうか。
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2 コメント

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まるで六者協議での日本みたいな日本共産党と社会主義者様の苦境 (原 良一)
2007-03-23 03:06:21
 お久しぶりです。社会主義者様のご心痛と悲憤慷慨お察し申し上げます(もらい泣き)。

 本当は、生業の繁忙期のピークだし、その状況下、閉鎖系で別の言論活動に手を染め始めていて、都知事選挙の話題にまで手を伸ばしたくはなかったのですが、自身も人生の大部分を現住所のある千葉県よりも東京都で過ごしてきたし、社会主義者様の熱心な活動にシカトを決め込むのも気が引けるのと、それに・・・

 一連の社会主義者様というか、日本共産党の置かれた立場を見ていてこのところ
>まるで共産党は、六者協議の日本みたいな苦しい立場に立たされてしまったな。
と身につまされる思いが募ったことが執筆、介入の動機です。

 世の中には、悪魔金正日や金正日の日本版たる石原珍太郎(Ⓒ鍋山さん)のような絶対悪が蟠踞していて、様々な害悪をもたらしている。その極悪な上に手強い両者に対抗するには広範な膺懲連合を形成する必要があるという状況があります。

 ところが、六者協議での日本は拉致問題、対石原包囲網での日本共産党は貧窮者への抜本的救済と、他の構成員とは異なる独自の政策目標を追求していて、利害を異にしている。妥協して包囲網に参加し続けても、独自の目標を実現できる可能性はほとんどなく、むしろその実現不可能性が確定させられる恐れがあり、かといって包囲網から離脱して孤立して活動することは、包囲網を破綻させて共倒れを招くだけで、絶対悪の存続・延命に手を貸して状況を今よりさらに悪化させてしまう危険が高い。

 だからといって包囲網への参加の維持のために独自の目標の実現を断念、放棄、棚上げすることは、
「小異を捨てて大同に就く」
どころではない
「大義を捨て、その実現を諦めて、野合に走る、甘んじる」
に等しい行動方針の転換を迫られるという苦渋の決断、究極の選択を迫られているというのが、日本共産党の実情に思えてなりません。

 私が困惑しているのは、運動に参加して知り合った知人たちの多くが雪崩を打って浅野氏支持に回ったことでした。

浅野史郎さんのハートに火をつけよう!
http://asano46.exblog.jp/i8

上記の賛同人の中に、その知人の一人が、これまで公的な場では決して明かさなかった実名で参加しています(名前を明かしていいかどうか私信を送る予定です)。

 またこちらでは周知のAMLで、RENKの活動への理解者でもある漫画家の山本夜羽音(やまもとよはね)氏も浅野氏支持で活発に発言を繰り返しています。
AML保存書庫2007年3月発信者
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-March/author.html

 さらに驚いたのは、戦争責任資料センターの幹部で、政治的、思想的には日本共産党に極めて近いと思っていた林博史関東学院大学教授までもが浅野氏支持を明言し、吉田万三氏の立候補辞退を明確に求めていることでした。
林博史研究室
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/

 私自身、部外者的な目で見て、吉田氏と日本共産党の単独行動に勝算があるとは思えません。このまま立候補を強行し、ガンバって票を集めれば集めるほど浅野氏と共倒れの可能性が高まることも理解できます。石原珍太郎の暴言とそれに阿る浜渦元副知事や都狂委(都教委)ら手下の行状にもいい加減にウンザリです。でもいくら石原下ろしのためとはいえ、対石原でもっとも原則主義的な行動を貫徹していた日本共産党外しをここまでやることには、いささか違和感を抱いているのです。

 政治や外交の世界では、正しさよりも勝つことを、一気呵成の抜本的な解決よりも妥協を重ねての漸進的な改善、激変緩和・回避が求められたり、必要になることは承知してはいますが、私には割り切れない思いが残ります。
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原さん&むじなへ (社会主義者)
2007-03-23 09:57:40
 あ~、二人ともそれぞれ違うエントリー記事にコメントを付けているから、こちらもあちこちにレスしなければならなくなった~。これでは何かと面倒なので、ひょっとしたら「浅野vs吉田」論争専用のエントリーを作って、二人とのやりとりもそちらに移動するかも知れないよ。

 若し私が東京都民だったら、今のまま10%以下の僅差で投票日を迎えたとしたら、多分、消去法でしぶしぶ嫌々ながらも浅野に入れるだろうな。理由は、何だかんだ言ってもやっぱり石原には勝たしたくないし、バカネットウヨどもが浅野如きにまで「反日サヨク」のレッテルを張り出しているので、それなら一層の事そいつらの鼻を明かしてやれという気持ちもあるからね。だけど、人にまで浅野の支持拡大をする気には到底なれません。

 まず、出馬に至る経緯からして問題あり。最初はその気は更々無かった癖に、周囲から持ち上げられた挙句に、やおら様子見で出てきて、今まで何も石原打倒で汗をかかなかった癖に、泥棒猫みたいに果報だけ失敬するという、そういう主体性の無さや卑怯な所が全然気に食わない。

 そして候補者としての魅力に欠ける。反石原にしても他の政策にしても、周囲がやたら持ち上げている割には、当の本人の言は歯切れの悪さ夥しい事この上ないし、顔も官僚然としていて姿勢に全然迫力がないし。はっきり言って、政策どうこう以前に「お前、やる気あんのか!」という感じで。

 若し石原陣営辺りからその点を突っ込まれても、私自身もそう思っているので、全然言い返せないもの。私が浅野に期待するのは「日の丸・君が代強制を止める、控訴取下げ、10.23通達の撤回」だけです。あんな頼りない知事では、他の事は多分何も期待出来ないでしょうし、早晩自公民の軍門に下るか倒されるかしかないでしょう。

 それまでは精一杯吉田支持で動くでしょう。こちらの方が人柄も政策も申し分ないし、浅野と違って、私も自信を持って人に支持を勧められるから。

 そういう意味でも、田中康夫が立候補していたら、今頃は全然違っていたのにと、悔やむ事しきり。彼は、吉田(政策と人柄の明確さ)と浅野(保守にも受ける幅の広さ)の両方の良い所を兼ね備えていますから。これならひょっとして沖縄型の野党統一も可能だったかも知れないし、若しそれが出来なくても、浅野とは比べ物にならない程の勝手連的な支持の広がりがあっただろうに。
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