今日も髪はクルックル

コーヒーロースターの毎日です。

町おこしなるものに対する違和感の正体(あくまで私の)

2015-01-21 13:52:20 | Weblog
私が常々思っている(言っている)町おこしや地方活性化に関する
ものすごく気持の悪い違和感の話です。
それはたぶん、ほんとうは誰も町がおこって欲しくないんだろうなと感じるからなんだ。
一生懸命真剣にやっている人に対して失礼なヤツだって声が聞えてきそうだけれど
一生懸命真剣にやったっておこそうと思ってなければおこるわけがないと思うのです。

どこかで見たことのあるイベント。
昔からある伝統産業にスポットを当てたり
農作物の素晴らしさを売りにしようとしたり。
自然の大らかさ、あくせくしない豊かな暮らし。
あくせくしない豊かな暮らしなら、イベントなんてしないほうがいいんじゃないのかな?

何かやってますよ~っていう感じが続くことが大切なのかなあと思ってしまいます。
実際、町がおこると助成金も補助金もなくなってしまうし、それをビジネスにしている人たちも困ってしまう。
だからどこかでやっているようなことをやって、あえて町をおこさないんじゃないのかなあ。
そしていつものメンバーの中だけでお金も利権も回しあう。
たしかにその位置にいればそうなるよね。きっと私がその立場でいるなら保身に必死になるだろうな。

だいたい開業支援なんて意味があるのかしら。
自分が始める資金も調達出来ないような、誰かに教えてもらいながらでないと
開業できないような人を助けるのではなく、自分で始めて何年かがんばっていて
それでも苦しい思いをしている人を助ける(この言い方は好きじゃないのですが)ことが
ずっとずっと意義があるように思う。始めるより続けるほうがずっと大変なのですから(そう思いません?)

家をタダで貸してあげるから住みませんか?
インフラが整備されているからオフィスにしませんか?
高校生までの医療費は無料ですよ。などなど甘言はいたるところにある。
さて、人口が減り続けて老人が増えている日本でいつまでこのような補助金や助成金は続くのでしょう。
お金の切れ目が縁の切れ目。昔の人はいいことを言ってるなあ。

ってそんなことを批判しているのではありません。
いろんなことをやるのはいいことだと思うんです。
ただ、同じような考えで同じようなことばかりしているように見えるんです。
地方の均一化、いや、もはや東京も地方も風景は同じになっています。
同じ看板しか見えないし、同じ商品しか手に入らない。むしろそうでないと不安になったりするんですよね。

たかが地方のコーヒー屋が偉そうなことを言っているとは十分承知しています。
だけど私の子供たちは今住んでいる町で18歳までは生きていかなければなりません。
親として何が出来るか?何をしないといけないか?と日々考える今日この頃です(ハイ親バカです。いやバカ親)
考え方が同じような人たちのコミュニティがいつくかあり、自分の所属するコミュニティ以外はダメみたいな
他の価値観を認めない原理主義的な社会になるのが恐ろしいのです。

町はおこすものじゃない。
町は小さなは力が集まって、知らぬ間におきてるんだ。今でも私はそう信じてます。
でも違う考え方の人の意見に共感すれば、いつだって自分の考えなど変えるでしょう。
目的と手段がいつしか入れ替わり自分の信念に固執をしたり、お金や利権や自己表現(自己確認)のために
町おこしをするというのが違和感の正体だと思うのです。

一生懸命働いて
税金いっぱい納めて
美味いメシ食って酒飲んで
大声で歌う。
そんな人が増えると町はチャーミングになるんです。そう助成金や補助金なんてまったく必要ないんですよ。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする