もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

170102 リテラ:天皇が「主権回復の日」に「沖縄の主権は回復されてない」と異議を唱えていた! 安倍政権に奪われる天皇の発言機会

2017年01月03日 00時27分47秒 | 沖縄と共に生きる
1月2日(月):
リテラ天皇が「主権回復の日」に「沖縄の主権は回復されてない」と異議を唱えていた! 安倍政権に奪われる天皇の発言機会
     http://lite-ra.com/2017/01/post-2820.html  2017.01.01. 天皇「主権回復の日」批判に官邸は  
  天皇の言葉を聞く機会がどんどん少なくなってきている。これまで毎年、元日に「新年の感想」を文書で発表してきた天皇だが、今年から負担軽減のためという理由で、「新年の感想」がとりやめになった。
  23日に公開された誕生日会見もそうだった。本サイトが22日にスクープしたように、宮内庁記者会からの質問がひとつにしぼられてしまい、天皇は結局、「生前退位」に関して踏み込んだ発言を一切することができなかった。
  これらは本当に天皇の本意なのだろうか。例の「お気持ち」表明の後、安倍官邸は内閣危機管理監の西村泰彦氏を宮内庁次長に送り込んだが、こうした新体制を使って天皇の言葉を奪おうとしているとしか思えない。
  「国会では圧倒的多数をしめ、マスコミは完全屈服と、怖いものなしな状況の安倍官邸がいま一番、気にしているのが天皇の動向なんです。官邸は天皇が自分たちの改憲・戦前回帰路線に批判的なことを重々わかっている。もし、天皇が本音を少しでも口にしたら、自分たちのもくろみが一気に崩壊しかねない。そこで、生前退位問題が浮上したのをいいことに、天皇が生の声を発する機会を少しずつ減らそうとしているんでしょう」(宮内庁担当記者)
  実は、最近も、天皇が安倍政権と真逆の考えをもっていることを明らかにする報道があった。昨年12月24日付の毎日新聞朝刊。「考・皇室」という連載シリーズ記事のなかに、2013年4月28日に政府主催でおこなわれた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」をめぐる、天皇の“注目すべき発言”が記されていたのだ。
  4月28日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、本土がアメリカの占領から独立した日だ。第二次安倍政権は3年前、この日を「主権回復の日」として政府主催で初めて式典を開き、天皇と皇后を出席させた(挨拶はなし)。式典の開催は、自民党が野党時代から公約にかかげるなど、安倍首相の強いこだわりがあったが、天皇・皇后は事前段階から周辺に拒絶感を吐露していたといわれている。
  そして式典当日、菅義偉官房長官が閉式の辞を述べ、天皇・皇后が退席しようとしたとき、あの“事件”が起きる。突然、会場の出席者らが両手を挙げて「天皇陛下万歳!」と叫んだのだ。安倍首相らも壇上でこれに続き、高らかに「天皇陛下万歳」を三唱。天皇と皇后は、足を止め、会場をちらりと見やり、わずかに会釈してから会場を去った。表情は固まったままだった。
  だが、このとき天皇は、安倍政権に「政治利用」されたことの他に、もうひとつ“大きな怒り”を覚えていたようだ。前述の毎日新聞24日付記事には、まさにそれを証明する、こんな記述がある。
  〈陛下は、式典への出席を求める政府側の事前説明に対し、「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘されていた〉
  これは、サンフランシスコ講和条約で本土から切り捨てられた沖縄を無視してはならない、という天皇の気持ちに他なるまい。安倍首相は1952年4月28日を機に日本の主権が回復されたというが、沖縄は1972年5月15日の本土復帰まで米軍の統治下に置かれ続けた。ゆえに沖縄では講和条約発行日は「屈辱の日」と呼ばれており、当時の仲井眞弘多沖縄県知事も「主権回復の日」式典を欠席していた。
  つまり、毎日新聞によれば、その式典にたいして、天皇は沖縄が取り残されたという事実を持ち出し、政府側に反論していたというのだ。記事では続けて、宮内庁幹部の証言としてこう記されている。
  〈宮内庁の元幹部は「歴史的な事実を述べただけだが、陛下が政府の説明に指摘を加えることは非常に珍しい」と説明する。憲法で天皇は政治的権能を持たないと規定され、天皇の国事行為は「内閣の助言と承認に基づく」とされる。式典出席などの公的行為も内閣が責任を負う。元幹部は「政府の助言には象徴天皇として従わざるを得ない。国民統合の象徴として沖縄のことを常に案じている陛下にとって、苦渋の思いだった」と打ち明ける。
  陛下は皇太子時代に訪れた沖縄で火炎瓶を投げられた。関係者は「陛下は皇太子時代から沖縄問題を系統的に勉強している」と話す。陛下としては政治的な行為とならないぎりぎりの範囲で指摘したとみられる〉
  日本国憲法を遵守するがゆえに、政権によるみずからの「政治利用」を食い止められなかった今上天皇。だが、それでも安倍首相が無視する沖縄への思いだけは抑えることができなかった。そういうことなのだろう。
  実際、今上天皇の沖縄への思いは並々ならぬものがある。毎日の記事も触れているが、皇太子時代の1975年7月、美智子妃とともに沖縄を初めて訪問。当時、3年前に本土復帰したばかりの沖縄では、天皇に対する反感が強くあった。朝日新聞12月18日付によれば、訪問前、琉球文化研究などの第一人者である外間守善氏から「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心して下さい」と心配された今上天皇は、「何が起きても受けます」と述べたという。
  はたして、今上天皇がひめゆりの塔で献花したそのとき、潜伏していた過激派の男から火炎瓶を投げつけられた(ひめゆりの塔事件)。しかし、その後も、天皇は何度も沖縄を訪れ、そして、いくどとなく公の場でその心中を口にしてきた。
  たとえば2012年の誕生日会見では、その年の訪問について記者から質問され、このように語っている。
  「多くの沖縄の人々に迎えられたことも心に残ることでした。沖縄は、いろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども、段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり、これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは,日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています」
  また、2003年の誕生日会見では、翌年1月に予定されていた沖縄訪問について、こう言及していた。
  「今度の沖縄県の訪問は、国立劇場おきなわの開場記念公演を観ることと、それからまだ行ったことのない宮古島と石垣島を訪問するということが目的です。しかし、沖縄県と言いますと、私どものまず念頭にあるのは沖縄島そして伊江島で地上戦が行われ非常に多くの、特に県民が、犠牲になったということです。この度もそういうことでまず国立沖縄戦没者墓苑に参拝することにしています。この沖縄は、本当に飛行機で島に向かっていくと美しい珊瑚礁に巡らされ、いろいろな緑の美しい海がそれを囲んでいます。しかし、ここで58年前に非常に多くの血が流されたということを常に考えずにはいられません」
  そして天皇は、サンフランシスコ講和条約に触れながらこう続けた。
  「沖縄が復帰したのは31年前になりますが、これも日本との平和条約が発効してから20年後のことです。その間、沖縄の人々は日本復帰ということを非常に願って様々な運動をしてきました。このような沖縄の人々を迎えるに当たって日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び、沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです。私自身もそのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました
  こうした天皇の言葉を踏まえれば、今回毎日が報じた、「主権回復の日」式典への出席を求める安倍政権の事前説明に対し「当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘した、という話に疑いはない。
  また、昨年は「生前退位」をめぐる話題に注目が集まったが、この生前退位問題にしても、天皇はただ自らの高齢化だけを理由にしたのではなく、例のビデオメッセージを「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」と結んだことからもわかるように、今上天皇はこうした“象徴天皇の在り方”を、皇太子に継承したいと考えている。
  そのなかに“沖縄と沖縄の人々を忘れてはならない”という気持ちがあることも、やはり間違いないだろう。再び03年の誕生日会見から引用する。
  「沖縄は離島であり、島民の生活にも、殊に現在の経済状況は厳しいものがあると聞いていますが、これから先、復帰を願ったことが、沖縄の人々にとって良かったと思えるような県になっていくよう、日本人全体が心を尽くすことを、切に願っています」
  しかし、周知のように、安倍首相は天皇のこうした沖縄への思いなど一顧だにすることなく、「主権回復の日」式典を強行し、天皇、皇后を無理やり出席させた
  そして、安倍政権による“沖縄いじめ”は年々熾烈さを増し、それに抗する言葉を発する機会を天皇からどんどん奪っている。
「保守」を自認する安倍晋三だが、やっていることはもはや「逆賊」としか言いようがない。天皇はこのまま沈黙をしいられ続けるのだろうか。(編集部)
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161102 池澤夏樹【終わりと始まり】内地から見る沖縄問題 「植民地の叛乱」の構図

2016年11月03日 00時06分48秒 | 沖縄と共に生きる
11月2日(水):    

 普段漠然と感じている思いに言葉が与えられた。このコラムは朝日新聞夕刊に掲載されているが、決して朝日新聞社の記事ではない! アウトソーシングの記事である。

朝日デジタル(終わりと始まり)内地から見る沖縄問題 「植民地の叛乱」の構図 池澤夏樹  2016年11月2日16時30分
  (以下に書いたことは十月三十一日の琉球新報に載せたコラムとほぼ同じ内容である。なぜ沖縄の地方紙と朝日新聞に同じことを書くか、お読みいただけばわかると思う。)
  沖縄を離れて十三年になるが、あの島々を忘れてはいない。機会を得れば行くことにしている。先日も恩納村の図書館から講演に呼ばれた。
  その前の日、急に思い立って高江を見に行くことにした。政府が米軍の意向を汲(く)んでオスプレイなどの離着陸場(ヘリパッドと呼ばれる)を新設している現場。そのやりかたが強引すぎるとぼくは思っていた。そもそも、ヘリコプターではなく垂直離着陸機であるオスプレイの基地をヘリパッドと呼ぶのは意図的な誤訳である。
  新川ダムの先にある反対派のテントを訪れ、リーダーの山城博治さんに挨拶(あいさつ)し、集まったみなさんを労(ねぎら)った。翌日の土曜日には、反対派の人々二百人以上が現地に集結したと聞いた。
  数日後、ぼくは小豆島にいたのだが、大阪府警に所属する機動隊員が反対派に向かって「土人」、「シナ人」という言葉を使った、という報(しら)せが入った。
  これらは相手を侮蔑する場合のために予(あらかじ)め用意された言葉だ。未開の地の、文化的に劣る民が「土人」であり、日本人より劣る民族が「シナ人」。シナは China と同源だが、しかしかつて日本人は蔑視の文脈でこの言葉を使った。だから今も中国の人はこの語を嫌う。使えば挑発になる。
     *
  なぜ沖縄人が土人と呼ばれたのか?
  東京の政府や警察庁にあるのは、遠い植民地の叛乱(はんらん)という構図なのだ。
八世紀の末、陸奥(みちのく)に新しい砦(とりで)を造ろうとしたら、蝦夷(えみし)が集まって反対と言って騒ぐ。鎮圧のために中央から五百名の軍勢を送る。
  そう教えられてきたから公務執行中の大阪の機動隊員は「土人」といった。「シナ人」という言葉も使った。そして松井一郎大阪府知事は「よくぞ言った」とばかりこれを追認した。
  高江のヘリパッド建設に反対する理由を整理してみよう。
  1 沖縄はすでに過剰な数の軍事基地を負わされている。県民にすれば、もうこれ以上は一メートル四方でも基地を増やしたくない。今回の新設は北部訓練場の返還と引き替(か)えと言うけれど、返ってくるのはもともと米軍が使っていなかった土地。朝三暮四そのままの欺瞞(ぎまん)である。
  2 外交と軍事は国の専管事項と国は言う。それならば生活は国民の専管事項である。平穏に暮らす沖縄県民の日々を乱す権限は国にはない。日本国憲法第二十五条、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」がこれを保障している。軍用機の騒音と事故の危険は明らかにこれに違反する。
  3 生態系への影響が大きい。やんばるの自然林の木を二万四千本伐(き)って四ヘクタールの空き地を作る。やんばるの自然はまだまだ未知であり、ヤンバルクイナやノグチゲラのような新種がいないとは言えない。
  これは沖縄県民がよく知っていることである。問題は内地の人たちの無知と無理解。
     *
  「土人」発言はさすがに暴言として内地でも話題になった。多くの新聞が記事にしたし、テレビのワイドショーで取り上げるところもあった。おかげさまで大阪府知事の正直な発言が話を大きくしてくれた。
  しかし、そこまでなのだ。後は下品な週刊誌が尻馬に乗って反対する人々を更に罵(ののし)ったくらい。
  朝日新聞は普段から沖縄の事情に理解を示す新聞であって、この件については二十日の朝刊の社会面で六十行ほどの記事を載せた。翌日、「差別構造が生んだ暴言」という社説を掲げた。
  そして、そこまで
  なぜ沖縄の人たちがこの高江の基地新設にかくも反対するか? なぜ沖縄のメディアが辺野古と並べて高江を報じるか? それをていねいに解説する紙面はない。速報と、社説の総論のみ
  この一件には(内地から言うところの)沖縄問題が集約されている。厄介なものは沖縄に持っていけばなんとでもなる。あそこは戦後七十一年間ずっと抑圧されてきたから抑圧慣れしている。騒ぐのは一部の活動家ばかり、内地の機動隊で押さえ込める。予算の分配を少し増やしてやれば県民もおとなしくなる。送電線さえ延ばせれば、原発もみんな沖縄に集約できるのに。
  そう気づいたところで、また別の構図が見えてきた。泊(とまり)も東通(ひがしどおり)も柏崎刈羽(かしわざきかりわ)も敦賀(つるが)も美浜(みはま)も大飯(おおい)も伊方(いかた)も玄海(げんかい)も川内(せんだい)も、実は高江である。米軍基地と原発はよく似ている。どちらもなくても済むもの、ない方がいいものなのだ。

  平等という原理は自由や友愛と並んで近代国家の基本理念である。機動隊の「土人」発言は国としてみっともない、とあなたは思わないか。
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161031 琉球新報:【社説】土人発言抗議決議 沖縄差別の政策やめよ 国民と県民の分断強める

2016年11月01日 00時02分02秒 | 沖縄と共に生きる
10月31日(月):
琉球新報:【社説】土人発言抗議決議 沖縄差別の政策やめよ 国民と県民の分断強める  2016年10月29日 06:01
  県議会はヘリパッド建設現場での機動隊員による「土人」「シナ人」発言について「県民の誇りと尊厳を踏みにじる」とする抗議決議、意見書を可決した。政府、警察は重く受け止めるべきだ。
  ただ決議の文言調整で当初の「機動隊撤収」は削除され「警備体制の改善を求める」との訴えにとどまった。自民会派は「市民側にも暴言があった」との意見書案で対抗し、与党・中立会派の決議案を賛成多数で可決した。
  県議会の抗議を全会一致で示せなかったのは残念だ。県民が共有する怒りと抗議が分断され、国民世論への訴えが弱まった形だ。

偏見を再生産
  県議会の会派が分断され、決議が全会一致とならなかったことを政府は内心、喜んでいることだろう。しかしそれは大きな間違いだ。今回の差別発言問題は県議会、県民の間だけでなく、国民と県民にも大きな分断と亀裂を生じさせたからだ。
  機動隊員の「土人」発言に県民は激怒した。だが「シナ人」発言に戸惑った県民も多かったのではないか。20代の機動隊員が、死語に近い「土人・シナ人」の言葉を発したことも不思議だった。
  ネット上で国策の基地建設に反対する県民が「土人・シナ人」呼ばわりされ、県民を異端視し偏見を助長する言説が流布されていることが背景にある。
  政府の沖縄への基地集中政策と、これに抗(あらが)う県民の対立が県民に対する偏見を助長し、若い世代の差別感を再生産しているのだ。
  公人たる松井一郎大阪府知事の機動隊員を擁護する発言が、さらに差別と偏見の再生産を強めた。
  基地建設を巡る政府と沖縄の対立だけでなく、「日本」対「沖縄」の対立構図が深まりつつあることを危惧する。
  日本復帰前の米軍占領から復帰後の日本政府に引き続く沖縄統治政策は、県民を分断する歴史でもあった。日本復帰運動に対しては「イモはだし論」で反対する主張があった。復帰後も基地問題を中心に保革対立の政治は続いた。
  県民世論が反対する辺野古新基地建設を巡り政府と県が対立を深める中で、政府の「基地と振興のリンク」が公然化した。沖縄担当相の「選挙と振興のリンク」など、沖縄に対する「アメとムチ」の政策が、県民分断の背景にある。
  政治学の用語に「分断統治政策」がある。「支配される側を分断し、統治者への反発を抑える」統治法で、植民地政策の常套(じょうとう)手法だ。沖縄の歴史は日米両政府による分断統治の歴史と言っていい。

見えぬ米軍の姿
  辺野古新基地もヘリパッドも米軍基地建設なのに、そこに米軍の姿は見えない。「沖縄の負担軽減」を名目に、日本政府が経費を負担し、建設を進めているからだ。
  米軍は背後に隠れ、政府と県民の対立、現場での機動隊と県民の対立が激化しているのである。
  2004年の辺野古沖調査で、大型台船の前に反対運動の市民が飛び込み台船を止めた。命を賭しても工事を止めるという悲壮な決意をうかがわせた。金武町伊芸区の米軍都市型戦闘訓練施設の建設反対運動では、基地内で実力阻止すべきだとの声を聞いた。 
  ヘリパッド建設では米軍北部訓練場内の抗議行動で反対運動のリーダーが逮捕された。本来、平和的で非暴力の基地反対運動が、言論の訴えが顧みられない状況下で市民を物理的行動に駆り立てているのである。現場の対立は先鋭化し、臨界点を迎えつつある。
  差別発言を契機に、「自治権確立」、さらに「琉球独立」の声すら高まりつつあるように思われる。独立論の高まりは「日本」対「沖縄」の対立をさらに深めることになるだろう。
  日米両政府は沖縄への差別政策をやめるべきだ。沖縄に基地を集中する「構造的差別」が続く限り、県民の分断、「日本」対「沖縄」の亀裂は埋まらない。
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161022 大馬鹿野郎の鬼畜!鶴保沖縄担当相、耐えられない人権感覚の鈍さ。絶対に忘れないこと!

2016年10月22日 18時58分48秒 | 沖縄と共に生きる
10月22日(土):
琉球新報「ことさら人権問題と考えることではない」 鶴保沖縄相、機動隊の差別発言で見解 10月22日(土)6時30分配信
  鶴保庸介沖縄担当相は21日の記者会見で、大阪府警の機動隊員が市民に対して「土人」「シナ人」などと発言した問題について「ことさら我々がこれは人権問題だと考えることではなく」と述べ、人権問題に当たらないとの認識を示した。
  鶴保氏は「人権問題だと捉えるのは言われた側の感情に主軸を置くべきなんだと思う。県民の感情を傷つけたという事実があるならば、これはしっかりと襟を正していかないといけない」とした上で、「果たして県民感情を損ねているかどうかにしっかり虚心坦懐、見ていかないといけない」とも述べた。
  その後、記者から改めて県民感情について問われ「言論の自由、社会の自由が著しく損ねられるという論争に今もなっている。今のタイミングで『間違っている』『正しい』ということでもない。答えられるのは、これはつぶさに見ていかざるを得ない」と述べた。
  一方、松本純国家公安委員長は同日の衆院内閣委員会で「不適切で極めて遺憾だと受け止めている」と述べ、再発防止を指導していく考えを示した。その上で「大阪府警で速やかに事実確認の上、厳正に対処する」と強調した。緒方林太郎氏(民進)への答弁。
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161021 絶対に忘れてはいけないこと。朝日デジタル【社説】「土人」発言 差別構造が生んだ暴言

2016年10月22日 00時43分44秒 | 沖縄と共に生きる
10月21日(金):
朝日デジタル【社説】「土人」発言 差別構造が生んだ暴言  2016年10月21日(金)付
  耳を疑う暴言である。
  沖縄県の米軍北部訓練場のヘリパッド移設工事の現場で、抗議活動をしていた市民に対し、大阪府警から派遣された機動隊員が差別的な発言をした。
  インターネットの動画サイトに2人の隊員が「どこつかんどるんじゃ、ぼけ、土人が」「黙れ、こら、シナ人」とののしる様子が投稿され、発覚した。
  ヘイトスピーチを想起させる発言を、公務中の警察官がすることが不適切なのは言うまでもない。菅官房長官は「発言は許すまじきこと」と述べ、警察庁が対応すると説明した。
  だが、市民とやりあう現場で若い隊員が口にした言葉だけが問題なのではない。背景には、根深い沖縄への差別意識とそれを生んだ日本社会の構造があり、その一端があらわになったと見るべきだ。
  「強い憤りを感じる」と語った沖縄県の翁長雄志知事の著書に、こんな場面がある。
  翁長氏が那覇市長だった2013年、沖縄の全市町村の代表らが東京・銀座でオスプレイ配備反対のデモ行進をしたとき、「売国奴」「琉球人は日本から出ていけ」「中国のスパイ」などの暴言を浴びたという。
  それだけではない。騒ぎに目を向けることなく、買い物をして素通りしていく人の姿に、氏は「日本の行く末に対して嫌な予感がした」と書いている。
  明治以来、政府は沖縄に差別と苦難の歴史を強いてきた。先の大戦で本土防衛の「捨て石」とされ、県民の4人に1人が犠牲になった。戦後も米軍統治の下で土地や権利を奪われ、狭い県土に基地が集中した。
  そしていま、米軍普天間飛行場の辺野古への移設計画をめぐり、たび重なる選挙で示された民意を、政府は踏みにじろうとしている。さらに、全国から数百人の機動隊員を沖縄に集結させ、ヘリパッド工事を強行するなかで暴言が飛び出した。
  驚いたのは、大阪府の松井一郎知事が自身のツイッターに、「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と書き込んだことだ。
  沖縄の人々の気持ちや苦難を思い、寄り添う姿勢がみじんも感じられない。加えて記者団には、工事への抗議活動に疑問を呈する発言までしている。
  こうした振る舞いがもたらすものは、さらなる反発と混迷、そして沖縄と本土の分断でしかない。要職にあり、国政にも一定の影響力をもつ自覚に欠けることはなはだしい。

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160806 沖縄タイムス:【金平茂紀の新・ワジワジー通信(17)】理不尽な、あまりに理不尽な 高江着手 胃液逆流の思い

2016年08月06日 21時53分56秒 | 沖縄と共に生きる
8月6日(土):

沖縄タイムス:【金平茂紀の新・ワジワジー通信(17)】理不尽な、あまりに理不尽な 高江着手 胃液逆流の思い 2016年8月3日 15:00
金平 茂紀(かねひら しげのり)
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。

  長年、テレビ報道の仕事をしているが、胃液がまさに逆流する思いをすることがまれにある。嘔吐(おうと)感。出来事の進捗(しんちょく)のあまりの理不尽さに吐き気を催すのだ。

ヘリパッド建設工事着手に抗議する住民らと機動隊員の小競り合いが続き騒然とした高江の米軍北部訓練場N1ゲート前=7月22日、東村

 相模原市の障がい者施設で起きた大量殺人事件の直後の現場に足を運んだ時もそうだった。本来、助けを必要としている重度の障がい者を、この施設につい最近まで勤務していた26歳の元職員が深夜施設に侵入し、明確な殺意をもって約50分間に45人を次々に襲い19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた。なぜこんな理不尽なことが起きたのか。「障がい者はいない方がいい」。ゆがんだ思い込みと残忍な暴力。この出来事の意味を僕らは時間をかけて考え続けなければならない。
  だが、これから書くのは、この事件のことではない。この事件の約2週間前、7月11日の未明から東村高江で起き続けている出来事のことを記す。
  その前夜、僕は参議院選挙の投開票の取材で那覇市にいた。島尻安伊子沖縄担当大臣の選対事務所に詰めていたのだ。参議院沖縄選挙区でどのような民意が示されるのかに全国が着目していた。島尻選対事務所には、支持者・運動員に加えて、多くの報道関係者が陣取り、ピリピリと張り詰めた空気が漂っていた。
  選対事務所の1人の男性が「ここに荷物を置くな」「ここには入るな」などと報道陣に対して神経質な対応を繰り返していた。午後8時、投票終了と同時にテレビ局各社と地元2紙が一斉に伊波洋一候補の当選確実の速報を打った。現職の島尻議員の落選が決まった瞬間だ。テレビ画面をみていた島尻氏は、支持者に頭を下げ、その後報道各社の共同インタビューに臨んだが、政治家としての再起を期す意思が読みとれた。
  その後、僕らは伊波候補の選対事務所に向かったが、そこはお祭り騒ぎになっていて、僕らが到着したその瞬間にカチャーシーが始まったところだった。まさにその頃に、〈彼ら〉は高江の県道に向かうために装備などの用意をすべて整え終わって、午前2時の起床時刻にあわせて睡眠をとっていたのだ。
  僕らは残念なことに高江の現場にはいなかったのだが、午前5時にヘリパッド着工のための資材搬入がスタートした。参院選の結果が出てからわずか9時間後のことだ。沖縄県には何の連絡もなかった翁長雄志知事は「選挙で民意が示された数時間後に、用意周到にこういうことをやることは容認できない」と報道陣に語った。
  このタイミング。まるで島尻議員落選を見越しての〈仕返し〉のような冷徹な意図を感じ取った人は多かったのではないか。沖縄の民意がどんなに示されようと、国は「整斉とやっていく」(7月22日、中谷元・防衛相の発言)。「整斉」とは聞きなれない言葉だ。辞書で調べてみたら「整えそろえる様子」とあった。〈彼ら〉にとっては、住民など「整えそろえる」対象にしかすぎないのだろうか。
  この防衛大臣は県に何ら連絡をとらずに資材搬入を始めた理由を問われた時こう答えた。「資材搬入につきましては、準備を進めてまいりました。その準備が整ったということで、11日から作業を行ったということでございます。…いずれに致しましても、訓練場の返還は急がなければなりませんので、実施させていただいたということでございます」
  何を言っているのかというと、つまり県なんか無視していいのだ、こっちは何が何でも「整えそろえる」んだから、と。こういう人物が防衛省のトップなのである。準備が整ったんだからやるのだと。沖縄防衛局は、その後、現在は中断している名護市辺野古の移設工事についても再開の意向を示し、7月22日の午前6時には、2年間中断していた高江のヘリパッド工事に着工した。
  僕はこの時はアメリカ大統領選挙の共和党大会の取材で国外にいたのだが、現場は大混乱となっていたようだ。畏友・三上智恵さんがネットにアップしてくれた動画などからも、その混乱ぶりが伝わってきた。アメリカの小さな町のホテルでそれらの動画をパソコンでみながら、こんなことがアメリカで起きたらどうなることだろうと思った。おそらく議会やメディア、それに住民らが一斉に動きだして警察の警備の正当性が問いただされただろう。
  工事着工に反対する無防備の市民ら200人に対し、全国から動員された機動隊員500人が片っ端からごぼう抜きにしていく。防衛大臣の言うように「整えそろえた」のだろう。かなりの手荒さだ。顔面にパンチを繰り出している機動隊員もいた。市民の側に複数の負傷者が出た。県道70号線が10時間も封鎖されていた。そこに近づく者には検問が実施され免許証の提示が求められた。検問自体が抗議行動に対する明確な妨害になっていて、それ自体の合法性が問われるのではないか。
  そう、まるで〈戒厳令〉のような状態がそこにあった。警察法2条にはこう記されている。〈憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない〉。なぜこんなことが沖縄でなら許されるのか。その根底に〈植民地〉に対処するような本土の対沖縄政策があるのだと、僕は思っている。

  今話題のスマホのゲーム「ポケモンGO」について、糸満市摩文仁の平和祈念公園や沖縄戦の戦跡、あるいは御嶽(うたき)などが、プレイの場に設定されていることがわかって、死者の尊厳やその場所がもつ歴史的な意味を損なうとの批判が出ている。
  ならば高江で実際に行使されている物理的な警察力についてはどうなのか。住民の平和に暮らす権利や自然をまもりたいと思う願いを損なっていないのか。高江で起きていることへの本土の無関心ぶりは、僕には、まるで高江でポケモンGOに興じていることと同義のように思えるのだ。胃液が逆流しそうだ(2016年8月3日付 沖縄タイムス文化面から転載)
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160725 沖縄タイムス:【社説】[基地政治の泥沼化]誰が暴走を止めるのか

2016年07月25日 22時48分08秒 | 沖縄と共に生きる
7月25日(月):

今日は朝日新聞の朝刊・夕刊に沖縄の記事はなかった。NHKニュース、報道ステーション、ニュース23にも一切沖縄のニュースはなかった。外国や国内の些末なニュースで時間を埋めるなら、どうして沖縄のニュースを映さないのか。沖縄は日本ではないのか。

沖縄タイムス【社説】[基地政治の泥沼化]誰が暴走を止めるのか 2016年7月25日 05:00
  「辺野古・高江」をめぐる安倍政権の強権的な振る舞いは尋常でない。官邸サイドには、国と県の関係を正常な軌道に引き戻す意思がまったく感じられない。キャンプ・シュワブの陸上部分の工事も近く再開する、という。現状はあまりにも異常だ。
  福岡高裁那覇支部や国地方係争処理委員会(総務省の第三者機関)が、それぞれの立場から「話し合い解決」を求め、県も協議の継続を要望したにもかかわらず、政府は22日、県を相手取り違法確認訴訟を起こした。
  同じ日、政府は県外からおよそ500人の機動隊を投入し、住民を強制的に排除してヘリパッド建設に着手した。緑豊かな東村高江周辺では22日以来、人と車の自由な行き来が制限され、戒厳令のような状態が続いている。
  翌23日には、埋め立て予定地に近い久辺3区(辺野古・豊原・久志)と沖縄防衛局の懇談会が開かれ、名護市を通さずに直接、補助金を交付する「再編関連特別地域支援事業」を次年度以降も継続することを確認した。
  威圧、恫喝(どうかつ)、強制排除、分断策。やりたい放題である。 こうした強硬策が何より問題なのは、選挙で示された沖縄の民意を完全に無視しているからだ。参院選では「辺野古・高江」の工事強行に反対する伊波洋一氏が、安倍政権の現職閣僚に大差をつけて当選。県議選でも翁長県政の与党は議席を伸ばした。
  今や沖縄選挙区で当選した自民党の議員は衆議院にも参議院にも1人もいない。これは何を意味するのか。
■    ■
  名護市長選、県知事選を含む一連の選挙結果は「辺野古・高江」に象徴される安倍政権の強引な「基地政治」が県民に受け入れられていないことを示している。
  沖縄では公明党県本部も、党本部とは一線を画し、普天間飛行場の辺野古移設に反対する立場を堅持しているのである。その事実は重い。
  こうした政治状況を一顧だにせず、強引にことを進めようとする姿勢は、沖縄の反発をさらに広げ、混乱に拍車をかけるだけである。
  安倍政権は、国会にも自民党内にも官僚機構にも健全なチェック機能がないため、沖縄に関して、いさめる人のいない「驕慢(きょうまん)症候群」に陥っている。
  「辺野古・高江」が今以上に泥沼化すれば、国と県だけでなく国民の感情的分断も深まり、結果として安全保障の国民的基盤を危うくすることになるだろう。それこそが抑止力を低下させる最大の危機というべきだ。
■    ■
  事態は、危険水位に近づきつつある。悪夢を現実化させてはならない。安倍政権の暴走を誰が止めるのか。
  それを食い止める一義的な責任を負わなければならないのは政治家だが、野党はあまりに非力で、与党は安倍官邸をチェックする機能も意欲も失っている。
  結局のところ、沖縄のこの状況を変えることができるのは、主権者である国民しかいない。状況を変えることができるかどうかが、本土・沖縄の未来の関係を規定する。
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160722 正気か!?「政府、辺野古移設をめぐって沖縄県翁長知事を提訴」 143万沖縄県民を非国民扱いするのと同じ!

2016年07月23日 00時25分26秒 | 沖縄と共に生きる
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160707 (終わりと始まり)普天間基地の20年 沖縄は日本の植民地か 池澤夏樹

2016年07月07日 22時18分00秒 | 沖縄と共に生きる
7月7日(木):

朝日デジタル(終わりと始まり)普天間基地の20年 沖縄は日本の植民地か 池澤夏樹
2016年7月6日16時30分
  先日、『沖縄への短い帰還』という本を那覇の出版社から出したのを機に沖縄に帰った。
  ぼくはかつて十年に亘(わた)って沖縄に住んだが、それも今は昔、その後はいつ行っても短い帰還でしかない。
  来るたびに前と変わらないところ、大きく変わったところ、それぞれが目に飛び込み心(チム)に迫る。
  六年ぶりに辺野古に行った。
  たまたま今は工事が中断されている時期で、海はまことに静かだった。
  キャンプ・シュワブの前で普天間基地の移設に反対する人々に会った。人はある場所に居るだけで意志表示ができる。一日も欠かさずこの場所で二年という持続も強い意志の表現だ。
  橋本首相とモンデール駐日大使の間で普天間基地の返還が合意されてから二十年になる。しかし、基地は危険を承知で運用が続いており、この先も返還の実現は遠い。
  理由の第一は引っ越しのついでに大きな便利な基地をというアメリカ側の強欲。第二はこれに迎合する日本政府の卑屈な姿勢。揉(も)み手で「アメリカさまの仰(おっしゃ)ること」と言わんばかり。第三に代替地として名乗りをあげる自治体が本土(日本国から沖縄県を除いた一都一道二府四十二県)にないこと。
    *
  第三の理由について話そう。
  普天間基地の周囲には小・中学校と高校、大学、合わせて十六校がある。普天間第二小学校・普天間第二幼稚園は校庭・園庭がフェンスで基地に接している。滑走路への進入コースから百三十メートルしか離れていない。着陸するパイロットの顔が見えるほど。
  そこに日に平均八十回、民間機よりはるかに騒音が大きくて事故率も高い軍用機が離着陸する。最近ではその三分の二が危ないオスプレイ。
  基地の主体は長さ二千七百メートルの滑走路である。これが東京にあるとしてみよう。青梅街道に沿って中野坂上から環七との交差点まで。市街地であって人口密度も中野区・杉並区と変わらない。
  中野区と杉並区のみなさん、日本中の市街地に住むみなさん、そういう事態を自分の生活に重ねてみて下さい。子供たちの目の前に重低音を発するオスプレイが飛び交うありさまを。そのたびの授業の中断を。
  ぼくは同じことをこの欄で何度も言ってきた。
  具体的に代替地を提案したこともある。五年前に鹿児島県の馬毛島という離島のことを書いたが、もともとは一九九七年に「週刊朝日」に書いたことだった。無人島で、南北四キロ、滑走路が造れるほど大きく、平坦(へいたん)で、種子島からは十二キロと充分(じゅうぶん)に遠い。個人所有で買収は容易。嘉手納からも岩国や佐世保からも一時間の飛行距離。
  今、ぼくは北海道の苫東は如何(いかが)かと言っている。苫小牧の東に位置するこの地域は工業団地を目指して一九七〇年代に開発が始まったが、バブルに乗り遅れて完全な空振りに終わった。結果は空白のままで千八百億円の赤字。今もってがらんとしている。太平洋に面していて近くに人家は少ない。
  あるいは別海町の自衛隊矢臼別演習場もある。実はどちらもアメリカが提案したのを即座に日本政府がつぶしたらしい。
    *
  なにがなんでも基地は沖縄という姿勢が透けて見える。だいたい内地のメディアはこういうことを報道しない。執拗(しつよう)に調査報道を続ける琉球新報と沖縄タイムスについて、安倍政権に近い百田尚樹氏は「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん」と言った。報道の自由を強権で奪う。どこの国の話かと思うが、これはまさしくこの国のことだ。
  日本国は沖縄県をあからさまに植民地と見なしている。どんな迷惑施設を押しつけてもかまわない二級の国土。
  二十年間、普天間基地を巡る状況はちっとも変わらないと言いそうになるが、そうではない。緊迫の度はいよいよ高まっているのだ。
  その思いを伝えるのが六月の県議会議員選の結果であり、アメリカ軍属による女性殺害に抗議するために六万五千人が集まった県民大会である。
  大会で「安倍晋三さん、本土に住む皆さん、今回の事件の第二の加害者はあなたたちです」、と二十一歳の玉城愛さんは訴えた。被害者は二十歳だった。人ごとではないのだ。
  この論法は矛盾していると自分でも思う。騒音や犯罪、事故の危険など基地の問題を訴えれば訴えるほど、そんな危ないものは御免(ごめん)だと本土の人は言う。では沖縄はどうすればいいのだ?
  今もって沖縄の経済は基地の収益に支えられているという誤解がある。それならば結構、地代と一緒に基地を差し上げる。早々に引き取っていただきたい。
  ぼくは本土に住むあなたを敢(あ)えて挑発しているのだ。
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151118 沖縄がパレスチナに思えてきた!政府が翁長知事(=沖縄県民143万人)を提訴したのは倒錯の極致!

2015年11月18日 18時40分02秒 | 沖縄と共に生きる
11月18日(水):

 政府が辺野古埋め立て承認取り消しの撤回を拒否した翁長雄志沖縄県知事を提訴したそうだ。沖縄県の人口は143万人であり、翁長知事は沖縄県民の意志の代表者である。翁長知事を国が提訴したということは、沖縄県民との話し合いを政府が拒否して県民143万人の意志を踏みにじり、<被告>として裁判所に訴えたことを意味する。 政府は誰のためにあるのか。政府は何のためにあるのか。そも143万人の国民(沖縄県民)を侮辱し、その意志を踏みにじって護らねばならない如何なる国家の利益があるというのか!? 

 沖縄の近代史を振り返れば、琉球処分、方言札の同化政策、本土の捨て石とされた沖縄戦、多くの住民の死、1952年の本土独立後の「銃剣とブルドーザー」による米軍基地のしわ寄せの加速、1972年の日本復帰後も残り続ける米軍基地問題など目を背けてはいけない歴史がある。

 これらの背景に佐藤優氏の指摘する<構造化された差別意識>が横たわる。見ようとすれば、確実に見えるはずなのに本土の人間は目を背け続けている。本来、政府は沖縄差別を人権問題として国民に広報・改善すべき立場にあるのに、今の安倍自公政権をはじめとしてこれまでの自民党や民主党右派(野田・前原・細野)は同じように知らぬふりをしてきた。

 しかし、今回の提訴ばかりは常軌を逸しているとしか言えない。見えない<構造化された差別意識>を指摘して解決を図るどころか、その沖縄に対する差別意識を利用して「沖縄県民が、身勝手な反対運動をしている」と印象付ける形で裁判所に提訴しているのだ。そこには沖縄の人々の思いや言い分を汲み取ろうというひとかけらの意志も存在しない。恥知らずにもほどがある。

 143万人の沖縄県民を「政府に従わない愚かで身勝手な輩(やから)」として提訴し、<被告>にしてしまったのだ。歴史的に見ても、現状のひどさからみても沖縄県民の意志を代弁する翁長知事の辺野古移設反対の訴えの方が条理にかなっている。それに対して、現政府が堂々と不条理・不正義を押し通そうとする姿は異常である。一体、自民党・公明党は日本をどこに連れて行こうとしてるのか。独裁国家の地獄に連れて行こうとしている、としか考えられない。

 また、143万人の無辜の国民(沖縄県民)を被告としてしまう自公政府による独裁政治の「原因が米軍基地問題である」以上、我々は「アメリカ帝国の責任」にも目を向けざるを得ない。我々の同胞たる沖縄県民を植民地の2等市民のように扱かおうとする独裁政府を放置しているアメリカに対する印象は確実に悪くなっている。

 俺には、最近沖縄県民が、パレスチナのアラブの人々のように思えてきている。日本の中にも実は<パレスチナ問題>があるのだ。イスラエルはもちろん本土の安倍晋三自民・公明政権である。安倍自公を支えるのがアメリカだというのも妙に符合する。 米軍基地問題を放置して、知らぬ顔をするアメリカを俺は許せない。アメリカは、沖縄の米軍基地問題を通して<日本人の反米意識>が強くなることを自覚して恐れるべきだろう。

朝日新聞【素粒子】11月18日夕刊
・ある時は私人のふりをして今度は居丈高の国として。政権が知事を訴える。沖縄はこの国ではないかのように。
・1億は総活躍、五輪には国民総参加。「総」の字がよほどのお気に入り。入場行進が兵隊のパレードに思えてきて。

朝日デジタル【天声人語】辺野古、「法廷闘争」へ   2015年11月18日
 後になってから、あれが一里塚だったと気づかされる出来事がある。1996年の衆院予算委員会で菅直人氏が質問した。憲法65条に「行政権は、内閣に属する」とあるが、ここに自治体の行政権は含まれるのか、と。新たな論点の提起だった▼当時の内閣法制局長官は、含まれないという趣旨の答弁をした。菅氏はこれを受け、「自治体においても独自の行政権が認められる、という考え方は大変重要だ」と念押しするように述べた▼3年後、東京都知事だった石原慎太郎氏はこの答弁を、中央集権の崩壊という「時代の流れ」をとらえて極めて妥当、と称賛した。国と自治体の関係を「上下、主従」から「対等、協力」へ切り替える。後に地方分権改革の一里塚とも評された答弁だ▼時代の流れは沖縄県にだけは及んでいないのか。米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、政権が翁長雄志(おながたけし)知事を提訴した。辺野古埋め立ての承認取り消しを、知事に代わって撤回する「代執行」の手続きを進めるためだ▼政権は既に別の方法で埋め立ての本体工事に着手している。行政不服審査制度だ。「私人」を救済するための仕組みを、国の機関が私人に「なりすます」格好で使う。制度の乱用だとの批判が出たのは当然だろう▼そんなやり方で工事を進めながら、知事の権限自体を奪うための「法廷闘争」へ。いまや自治体が「地方政府」と呼ばれることも珍しくないのに、沖縄だけを国との「主従」の関係に置き去りにしていいはずはない。

朝日デジタル【社説】政権、沖縄知事を提訴 「第三の道」を探るとき  2015年11月18日(水)付
  沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、安倍政権と県が法廷闘争に入った。
  政府は、辺野古埋め立ての承認取り消しを撤回するよう県に指示したが、翁長雄志知事が拒否。そこで福岡高裁那覇支部に知事を提訴したのだ。
  1年前の知事選など一連の選挙で反対派が勝利し、辺野古移設拒否の民意は明白である。そこから目をそらし、強引に移設を進めれば、沖縄県民に、日本国民に分断を生む。
  沖縄の声になぜ耳を傾けないのか。不毛な政治のありようと言うほかない。

■二者択一を超える
  改めて考える。辺野古移設は安全保障上、唯一の選択肢か。
  答えは、否である。
  政府は「辺野古が唯一の選択肢だ」と繰り返す。だが実際には、辺野古しかないという安全保障上の理由はない。むしろ、米国との再調整や、関係自治体や住民との話し合いなど、代替策の検討に入った場合に生じる政治的な軋轢(あつれき)を避けようとする色彩が濃い。
  辺野古移設か、普天間の固定化か――。その二者択一を超えて、政府と沖縄、そして米国が納得しうる「第三の道」を探るべきときだ。
  まず大事なのは、軍事技術の進展や安全保障環境の変化に応じて、日本を含む西太平洋地域全体の安保戦略を描き直すことだ。米軍と自衛隊の役割・任務・能力を再検討しながら抑止力をどう維持、強化していくか。そのなかで、沖縄の基地をどう位置づけるかを日米両政府が議論する必要がある。
  たとえば、知日派の米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は「中国の弾道ミサイルの発達で沖縄の米軍基地は脆弱(ぜいじゃく)になった」と指摘している。中国に近い沖縄に米軍基地を集中させる発想は、かえって危ういという意見だ。
  すでに米海兵隊は、ハワイやグアム、豪州、フィリピンへの巡回配備で対応を進めている。南シナ海での中国の海洋進出への対応を重視するなら、フィリピンなどに代替施設を造る選択肢もあり得るだろう。

■負担を分かち合う
  そうした再検討のなかで、日本全体で安全保障の負担を分かち合うことも、いっそう真剣に検討する必要がある。
  政府はこれまで、沖縄県外への機能移転を具体的に検討してきた。普天間の空中給油機部隊は岩国基地(山口県)に移ったし、新型輸送機オスプレイの佐賀空港への暫定移駐案が浮かんだこともある。
  航続距離の長いオスプレイが、いつも沖縄にいる必然性はない。現実に訓練は本土でも行われている。
  辺野古の代替施設が絶対に必要だとも言えない。横須賀基地(神奈川県)や三沢基地(青森県)の米海空軍を増強することにより、日本全体の抑止力が高まり、在沖縄海兵隊の削減につながるという指摘もある。
  2011年には米上院のマケイン議員らが、沖縄・嘉手納基地の空軍の戦闘機部隊を三沢基地などに分散したうえで、普天間の海兵隊を嘉手納に移す案を示したことがある。
  その後、仲井真弘多(ひろかず)前知事が辺野古の埋め立てを承認したため立ち消えになったが、日本全体や周辺を見渡せば、対案の組み合わせはほかにも考え得るだろう。当面は普天間の平時の運用停止を急ぎ、その代わり有事の際の使用は認める案もある。

■日本が決める問題
  国土の0・6%の沖縄に、全国の73・8%もの米軍専用施設を押しつける異常事態を正すためにも、この際、日本政府として辺野古移設を白紙に戻す決断を求めたい。
  そのことこそ、より説得力をもって「日本全体での負担の分担」を自治体や住民に働きかける力になるはずだ。
  いまは「辺野古移設を支持する」と繰り返す米国の政策も、不変とは限らない。
  来年11月に選ばれる米国の次期大統領が、違う選択肢を探る可能性もある。
  実際、米国の駐日大使経験者からは柔軟な見方が相次ぐ。
  19年前、橋本龍太郎首相と普天間返還を発表したモンデール氏は最近、沖縄の基地について「これは日本で決めるべき、日本の問題だ」と語った。前任のアマコスト氏も辺野古移設について「コストと便益を考えると見合わない。海兵隊基地の戦略的価値はどれほどあるのか」と疑問を投げかけている。
  日本政府が辺野古に固執し続ければ、沖縄の民意はますます硬化し、結局、普天間の固定化による危険が続く可能性が大きい。周辺住民に支持されない基地に安定的な運用は望めず、長期的に見れば、日本の安保環境を損ねかねない。
  まさに悪循環である。
  辺野古をめぐる法廷闘争は、むしろ基地問題の解決を遠ざける。日米の政治の構想力と実行力が問われている。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)