島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

シャガ

2023-05-17 | 

 先週は頑張って2日連続で綾部にお花見ドライブです。

4月1日のブログで紹介した綾部市老富町のミツマタ群生ですが、同じ所にシャガも群生し連休明け頃満開と聞いていたので、今回は昼からは大雨の予報も有ったため、早朝に出発しました。

 黄色く可憐なミツマタの花は、もう葉っぱだけになっていました。

 ミツマタ群生の隣、同じく杉の植林地にシャガも群れて咲いていました。

 行った時期はちょうど良く、満開でした。

でも地元の人に聞くと、今年は鹿の食害で、7割程度の出来だそうです。

 何となく自宅や田舎の便所の傍に咲いていたような記憶があるシャガですが、こんな林の中で木漏れ日が差してくると、綺麗ですね。

 アヤメ科アヤメ属のシャガ、やや湿った所に群生するそうなので、京都の実家の便所の手水鉢近くに咲いていたという、私のおぼろげな記憶も間違いではないようです。

 そのまま海に出て、大飯町ウミンピアで海鮮丼を食べましたが、そんなに安くもなく、感激するほどの味でもありませんでした。

そこで買って帰った刺身盛り合わせを、夕食の手巻きずしで食べましたが、そっちの方が新鮮で美味しかったです。

 結局雨が降る前に帰れましたし、前回ミツマタを見に行ったあとは ミッツまた 勝ちましたし、今回シャガを見に行ったあとは シャガりきに 阪神首位を独走中です。

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GUNZE

2023-05-15 | 

 綾部ふれあい牧場でストロベリーキャンドルを見た後、意外とあまり行ったことが無い綾部市街にも寄りました。

 あやべグンゼスクェアに車を停めて、すっかり花好き?になってる私は、その中の綾部バラ園(市制60周年を記念して2010年開園した市民の手によって作られたバラ園)にも行ってます。

 明日(13日)から開園ですが、前でも自由に入れますし、無料ですし、満開です。

 中央花壇には、色々いきさつがあってアンネ・フランクの父親から贈られて、ここに植えられた アンネのバラ も満開でした。

 バラ園の一画には、写真検索でドイツアヤメと出た花も、何とか終わらずに残っていました。

アヤメ科の花弁?は結構複雑な模様で、綺麗ですね。

これで明日の日程が決まりました。

 綾部市はグンゼの町ですので、向かいにはグンゼ記念館が有りました。

金曜日だけが開館日と言う幸運で、入れましたが無料です。

 グンゼ(GUNZE)はメリヤス肌着有名でしたが、今は医療用品にも手を広げていますので、私もYGマークのシャツを着たり、BODYWILDのパンツを履いています。

 1896年(明治29年)に 群是製絲株式会社 を設立した波多野鶴吉(ハタノツルキチ)(1858~1918)さんの像です。

 グンゼの会社名は人名ぐらいかと思ってましたが、

「群」は何鹿群(イカルガ)(今の綾部市)、[是」は方針、進むべき道のことで、

「今日の急務は国是・県是・郡是・村是を定ることに有り」と言う思いに共感した鶴吉が、社名を郡是にしたそうです。

なんかも一つ判りませんが、一応納得。

 しかし社名をカタカナや英語にすると、なんか設立時の意気込みや由来が分からなくなりますね。

 私のIEZE(家是)は、今に至るもまだ定まっていません。

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ストロベリーキャンドル

2023-05-13 | 

 NHK京都のローカルニュースで取り上げていた、綾部ふれあい牧場のストロベリーキャンドル、この年になって花に目覚めたか、金曜日に行ってみました。

 自宅から車で2~3時間、到着後食堂のテラスで、何となくのどかなような、目の前を高速を走る車が見えるような、どこにでもあるような、そんな景色を見ながら注文の昼ご飯をぼんやりと待ちました。

 食べたのも、どこにでもあるような牛丼ですかね。

 目の前を、山羊を引いた施設のおっさんが通りました。

 その後を数匹の山羊が続きます。

 綾部ふれあい牧場、駐車場は無料、入場料も無料です。

平日ですが、NHK放送を見たのか、そこそこ人は来ています。

食後周囲を散策、よくあるインスタ映えするハイジのブランコ周囲にも誰もいないので乗りました。

少し怖かったですし、4回ぐらい漕いだら、食後のせいか酔いましたので、ハイジのブランコは年寄りには危険です。

 わざわざここへ来たのは、このストロベリーキャンドルの群生を見るためです。

 先端だけ赤く苺色で、蝋燭のような形なので、ストロベリーキャンドルという名が付いています。

全く知らなかった花ですが、結構有名な花のようです。

 朱にまじわっても赤くならない、ホワイトキャンドルも有ります。

明日ソダシも頑張ってください!

 道の駅に帰りも寄りながら、ゆっくり帰りました。

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120-3仁孝天皇女御鷹司祺子

2023-05-12 | 天皇陵巡り

 先週はまたまた、前菜の野菜バイキングがめちゃめちゃ美味しい(もちろんメインのスパゲッティも美味い)滋賀県の伊料理店に行きました。

そのデザートは苺に隠れてプリンも有って、豪華です。

そしてまたまた、後月輪陵(ノチノツキノワノミササギ)ですが、これ入れてもあと2回ですよ。

 仁孝天皇の女御でお産で亡くなった同母姉繁子(ツナコ)(1798~1823)(前回紹介)に替わって、15歳で入内し、、姉妹揃って第120代仁孝天皇(1800~1846)(在位1817~1846)の女御になったのが鷹司祺子(タカツカサヤスコ)(1811~1847)です。

 皇女が一人産まれましたが夭折。

それ以後子には恵まれなかったので、典司正親町雅子(オオギマチナオコ)が産んだ煕宮(統仁親王(ヒロノミヤ・オサヒトシンノウ)を養子としました。

煕宮が第121代孝明天皇になったので、祺子は皇太后に成っています。

 37歳で亡くなり、後月輪陵(東山区今熊野泉山町)に葬られました。

この写真制札には、同母姉仁孝天皇女御贈皇后繁子と並んで、仁孝天皇女御尊称皇太后祺子後月輪陵とありました。

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120‐2仁孝天皇女御鷹司繁子

2023-05-10 | 天皇陵巡り

 安めの伊料理店のランチのデザートでしたので、2口で終わり、続いてまだまだ後月輪陵(ノチノツキノワノミササギ)です。

 関白鷹司政煕(マサヒロ)(1761~1841)の娘鷹司繁子(タカツカサツナコ)(1798~1823)は、16歳で2歳年下の皇太子恵仁親王(アヤヒト)に入内し、恵仁親王が第120代仁孝天皇(1800~1846)(在位1817~1846)になったので、女御宣下されました。

 仁孝天皇の第1皇子を産みましたが、その子は夭折。

第2皇女を産む際に難産で親子ともに亡くなりました。

26歳で亡くなった繁子は、皇后位を追贈され、後月輪陵(東山区今熊野泉山町)に仁孝天皇女御贈皇后繁子として葬られました。

 まだあと二つ後月輪陵が残ってますが、天皇陵巡りは終焉を迎えています。

次のシリーズがまだ決まってないのが難点ですので、もうしばらくお付き合いください。

コメント (4)
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