島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

梅雨

2021-07-07 | 京都から
 
 今日は七夕ですが、天の川も増水で逢うのは無理なようですね。
今年の京都の梅雨も、早く始まったせいか長いです。
 
 梅雨の大雨で、熱海は大変ですが、近くの三島は大丈夫ですか?
京都は、滋賀へ抜ける時に時々使う山中越えで、少し土砂崩れがあったようです。
 
 梅雨の合間を縫って、まあ行ける所にこまめに行ってますが、最近は滋賀県に行くのも、あまり遠慮しなくなっています。
 晴れた日に行った滋賀の大きなショッピング施設の傘のオブジェ、アンブレラ・パティオ2021です。
 
 小雨の日も滋賀県に、買い物帰りにたまたま見つけた守山の、世界のあじさいの殿堂「もりやま芦刈園」に行ったのは、6月の会期が終わっていた先週です。
 
 入園料200円はもう徴収されず、紫陽花の花もおじさんがどんどん刈っていました。
 
 
 
 それでも、雨上がりの下、最後の紫陽花は綺麗です。
 
 
 
 
  
 なんか福江島のつばき園で、いろんな品種の椿の写真を撮って、このブログに揚げていたことを思い出しました。
 紫陽花の名がドイツぽいのが多かったのは、シーボルトが日本の愛人の名から、紫陽花をOtaksaと名付けたことと関係あるんですかね。
 
 
 
 
 まだまだ梅雨は続きそうですし、新型コロナの終息もまだまだですし、阪神の落城ももう目前です、泣きっ面に蜂?ですが、せめてオリンピックが静かに終わってくれるのを祈るだけです。
 話は変わって、また旅行には行きたいです。

        返事
大雪男さん:軍歌も結構知ってます。
    軍歌には「噫!南郷中佐」など、「噫!(アア)」が良く付いてますが、
    子供の私は「噫」をずっと、「クソッ」と読み間違っていました。
     阪神早すぎた失速が、意外と良い結果を産むかもと・・・・。

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吉野へ2.如意輪寺

2021-07-05 | 
 
 鳥のさえずりさえも聞こえない静かな朝に、ゆっくりと庭を観ながら、龍に見られながら朝食を食べ、苧ム院を出発。
車で数分の今回の最大目的地、後醍醐天皇陵の有る如意輪寺(ニョイリンジ)を目指しました。
 
 江戸時代に真言宗から浄土宗に改めた南朝勅願寺如意輪寺の本堂です。
楠木正成の息子正行(マサツラ)が大阪四条畷(ナワテ)の合戦前に、この本堂の扉に鏃(ヤジリ)で辞世の句を刻んで、出陣しました。(まあ、違法落書きと同じと言えば、そうなんですが)
 
 如意輪寺には後醍醐天皇陵があり、これは無料で巡れますが、500円の拝観料で入った所には、後醍醐天皇御霊殿もありました。
内部には天皇ご自作の木像があるそうです。
 
 500円の拝観料ですが、庭はたいしたことは無く、宝物殿の正行公の刻んだ辞世之扉は有りましたが、写真撮影は禁。
 まあ吉野の谷が見渡せる宝物館からのこの眺めは、桜の時に来たら総観でしょうね。
 
 楠公父子の石像も、それ程立派なものではありませんでしたが、
   青葉繁れる桜井の~ 
    里のあたりの夕まぐれ
     この下かあげに駒とめて~symbol7
と、この時代には育ってないにしては、軍歌や桜井の別れの歌が、自然に口から出てくる私です。
 
 と言うことで、帰りには奈良県宇陀に有る、高台にあって写真のようにほっこりする皇后陵にも寄って(今回で4回分巡れる)、吉野の旅を終えました。
 今はまだどこもガラガラで(私の行く所がマイナーのせいもありますが)、旅行に行くなら、オリンピック前で夏休み前でもある今かもしれません。

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吉野へ2.苧ム院

2021-07-02 | 
 
 観心寺から吉野までは予想以上に近く、昼頃には着きました。
先ずは天婦羅と葛うどんを二人で分けて、私のメインランチは写真の葛しること葛もちです。
さすが吉野葛で有名な本場の葛しるこ、初めてこんなお汁粉を食べましたが、美味しい上に腹一杯になりました。
 
 金峯山寺蔵王堂(キンプセンジザオウドウ)は国宝で、奈良の東大寺大仏殿に次ぐ木造大建造物ですが、こんな山の上に建てるのは大仏殿より大変だったでしょうね。
 
 蔵王堂正面に、玉垣で囲まれ4本の桜が植えてある大塔宮御陣地跡、ここで北条幕府の大軍に囲まれた後醍醐天皇第2皇子護良親王(モリナガ)が、最後に皆で酒宴を開いた所らしいです。
 
 二天門跡には、村上義光公忠死之所の碑が立ってました。
酒宴の後に、義光は大塔宮護良親王の鎧兜を身に付け、その身代わりとして腹かき切って最期を遂げたので、その間に護良親王は高野山に落ちのびることが出来たそうです。
 
 ここで敗れ去った南朝方の涙雨か、雨が強く降ってきたので、急いで宿に戻ろうとしたのですが、途中こじゃれた喫茶店で雨宿り。
コーヒに付いていた左の角砂糖のような葛の干菓子、これが干菓子とは思えないくらい美味しかったので、思わずお土産に買ってしまいました。
 
 吉野で泊まったのは、宿坊のような旅館「苧ム院群芳園、大きい旅館でしたがその日はたったの3組4人だけで、男は私一人だけで、他の2組はおばさんの一人旅とのこと。
 
 苧ム院内の庭園群芳園(グンポウエン)は、大和三庭園の一つに数えられています。
豊太閤の吉野山観桜(1594年)の際、千利休がそれまであった物に手を加えて、今の桃山風庭園にしたそうです。
 
 食事も風呂も我々だけの貸し切りのような感じで、食事は明治の重鎮たちが会議したような部屋で、鰍ッ軸の龍に見守られながら、ゆっくり静かに食べられました。
 宿泊場所は空いてるのが一番ですね。

返事
Toitenlabeeさん:さすが!もう食べてるんですね。
    ここの生クリームは、カロリー少ない上等の砂糖を使ってるので、
    罪悪感なしに食べられると、TV は伝えてましたよ。
     私は「明智小五郎と少年探偵団」で育ってます。
 

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