島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

伊能忠敬~其の弐~

2013-07-15 | 五島列島
 
 ~其の壱~で書いたように、今から丁度200年前、1813年(文化10年)6月20日~6月26日の間に伊能忠敬は奈留島に滞在して測量を行ない、その後福江島に渡っています。
これを記念して福江島の五島観光歴史資料館ロビーで~其の壱~に続き、
 「伊能忠敬~其の弐~」の小さな特別展示がありました。

  
 第5次測量隊から随行していた江戸幕府先手組同心の坂部貞兵衛(サカベサダベイ)は、五島列島測量時には副隊長として測量を任されていたようですが、若松島で体調を崩し福江島で亡くなりました。
 注;展示ャXター写真を撮りましたが、出る時に撮影禁止の張り紙に気付きました。
この写真だけ目をつぶって下さい。

  
 福江の街中にある常念寺には、この貞兵衛の墓があります。
亡くなったのは1813年7月15日、丁度200年前の今日です。
享年42歳、この時忠敬は68歳、私も頑張らなくては!
  
 伊能忠敬天測之地の碑が近くの公園にありますが、200年前にこの地で計った値は、緯度で33秒・経度で05秒しか(と言われてもなかなかピンとは来ませんが)違わないようです。

   返事
和さん:一度だけ大瀬崎の夕陽を観る機会がありました。
    曇り空で夕陽には40点ぐらいの日でしたが。
大雪男さん:「意味が理解できません」を
    どう取ったらいいのか考えています。
喜珍さん1:この歌から孫に結びついた経緯が知りたいです。
花水木さん:私は年を重ねるにつれ妄想の世界に入りやすくなっています。
    ですから、中学生のような歌になりがちです。
喜珍さん2:この解説で私の歌が奥深くなったように思われます。
    ありがとうございます。浅い底が見えて来るのが心配ですが。

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奈留島百人一首34

2013-07-12 | 奈留島百人一首
 
 34. 誰をかも 知る人にせむ 高砂の
   松も昔の 友ならなくに
             藤原興風(フジワラノオキカゼ)(9世紀後期~10世紀初め)
 「友人は皆死んでしまい、今では誰を友として日々を過せばよいのか、ともに長生きしてるのは高砂の松だけなのに、その松でさえ昔からの友達ではないのだから」
 若い時は姫でも坊主でもない、地味な貴族の歌った歌と、まったく気にかからなかったこの歌、やっとこの歌が実感できる歳になりました。
もう十年十五年経って後期高齢者まで生きたら、本当にこんな気分の毎日でしょうね。

  
 34. 誰をかも 恋人にせむ 夕焼けの
   雲も波間も 赤くなります
         
    誰をかも・人にせむ・の・も・な 13字同じ
 奈留島の海岸から見る、東シナ海に沈む夕陽です。
日本では一番に近く遅い夕陽です。

  
 海面に沈むまで綺麗に見える日はなかなかありませんが、全てが赤く染まって、夫婦者でも恋人のような気分になれますので、「誰をかも」の中には古い夫婦も含まれています。
最期の「赤くなります」が助詞の使い方知らずで、もひとつですが、雲も波間も御互いの顔も赤面し、心までも赤く燃えるのですという意味に取ってください。

  
 独り身のフークでさえも、夕陽を浴びて夢の中で恋犬と一緒にいる気分に浸っているのでしょうね。

   返事
花水木さん:かっこいいおじいさんになりたいのですが、
    写真や鏡に写るおのれの姿に油汗が出てくるのは、修行が足りないせいですかね。
和さん:7勝8敗の古参力士のように、辛うじて現役続けていますが、
    時々勝つと楽しいですね。
喜珍さん:フークの散歩も少し範囲が狭くなってきました。
大雪男さん:私も気持ちは15歳ぐらいなのですが・・・。

コメント (4)
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65歳

2013-07-10 | ノンジャンル
  
 今年になって、年金手続きの知らせがたくさん来て、いろんな書類を集め、面唐ネ判りにくい書類を書いて、なんとかきれることなく家内にも助けられて完成。
    年金をもらえる予定となりました。
 そして65歳の誕生日翌日の9日に、
       この介護保険被保険者証も届きました。
 介護保険の主治医意見書はたくさん書かされていましたが、とうとう私も年金を貰い、介護保険も申請できる、名実ともに老人となりました。
 20歳の誕生日で成人になってから45年、成人を卒業して老人に変身です!!
 こんな節目の誕生日なので、老人式でもやってくれて、選挙権(勿論被選挙権も)は返上、社長などの長の付く役職からは離脱などの法律を作った方が良いと思います。
 しかし、この保険証はショックでしたし、ショックついでに、若い女の研修医を写した途端、キミマロズームが壊れたかもしれないのもショックです。

   返事
花水木さん:ひさかたの~のCM,まったく知りません。
     関東だけのCMですかね?
      遅れましたが、御誕生日おめでとうございます。
      橘也さんが無理をすぐにきいてくれたので、私も大活字にしました。
大雪男さん:奈留島も暑くなってきましたが、本土よりはましでしょうね。
喜珍さん:「ひさかたの」から「ひさか」になるので、仕方ないですが、
     奈留島としては、江上教会になっていれば、なお良かったのですが・・。

コメント (3)
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奈留島百人一首33

2013-07-08 | 奈留島百人一首
  
 33. ひさかたの 光のどけき 春の日に
        しづ心なく 花の散るらむ

                 紀友則 (?~907頃)
 「どうしてこんなに心せわしく、桜の花は散っていくのでしょう、それにしても見事な散りざまですね」と詠んだ友則は、35番の紀貫之の従兄弟に当たります。
貫之の方が名前は有名ですが、百人一首の歌は貫之の歌よりこちらの方が国語の教科書にも載ったためか有名です。
しかし、国語で習った記憶が私にはまったくありません。

  
 33. ひさびさの 光をあびて 大漁旗
       しずむ心なく 笑顔散るらむ

           ひさ・の・光・しづ・心なく・散るらむ 17字同じ
 漁船は大漁で港に帰ってくる時には、大漁旗を掲げて帰ってくるそうですが、いかんせん奈留島では、漁から帰って来るのはまだ日が昇る前の早朝ですので、そんな光景を見たことは有りません。
 チョットいんちきぽい歌になりました。
  
 これらの写真はお祭りの時の写真です。
ただし、まき網漁船団の基地には、大漁旗を上げる掲揚台が有りますし、そこに大漁旗がたくさん掲げられている光景は見た事があります。


    返事
花水木さん4月に新幹線(山陽新幹線ですが)に乗るのは、
     各地の鯉のぼりを見る楽しみでもあります。

喜珍さん今回の歌は私のより良いですね。
     私も・男の子2人も・男の孫3人も、鯉のぼりは持っていません。

コメント (2)
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奈留島百人一首32

2013-07-05 | 奈留島百人一首
 
 32. 山川に 風のかけたる しがらみは
           流れもあへぬ 紅葉なりけり

                 春道列樹(ハルミチノツラキ)(平安時代前期)
 山川は(やまがわ)と読んではじめて、山の中の谷川になるそうで、(やまかわ)と読んでしまうと、「山と川」の意味になるそうですよ。
 「しがらみ」は、杭を打ち、柴や窒メんで川の流れを堰き止めたもので、列樹は有名な歌人ではなかったようですが、「風が作ったしがらみ」の表現が評判になって、名が知られるようになったそうです。
 「ようです・そうです」と、この知識はまったくの本の受け売りです。
 子供の時から、何も浮かばず考えずに、小さな川の流れを堰き止めている落ち葉を除いて流れを作る遊びはしていましたが、それを歌に表現するか出来ないかが才能の違いでしょうね。
  
 32. 海岸に 風に泳ぐか 鯉のぼり
           流しはないが 幟なりけり

              に・風・流・なりけり  9字 同じ
 町ではあまり見かけなくなった立派な鯉のぼり、奈留島では鯉のぼりが海からの風を受けて堂々と泳いでいるので、余計に立派に見えます。
 吹流しはなくて、その代わりに名前を染め抜いた大きな幟が、鯉のぼりと同じようにはためいているのが、奈留島の(九州のかも)特徴です。
  
 吹流しが付いている鯉のぼりもありましたが、京都で見る五色の吹流しでなく、やや胴太のものですし、鯉のぼりの揚げ方は、掲揚台のロープに窒汲ムつけ、これに鯉のぼりを結びつける方式が多いいです。(これも九州の特徴か)


   返事
花水木さん:高校時代、「け」を語尾に付けて、「きたない言葉」と、
    よく親や周りの大人に怒られた気はしますので、京都の学生言葉では?
コメント (1)
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