島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

69-4後朱雀天皇准后生子

2020-08-22 | 天皇陵巡り
 
 道長5男の藤原教通(ノリミチ)(996~1075)と藤原公任(キントウ)の娘との間に、長女として産まれたのが藤原生子(フジワラノセイコ・ナリコ)(1014~1068)です。
 父教通は最後は関白ですし、母方祖父公任は写真に又だしてます大納言公任で、三舟の才もある歌人です。
 
 父教通は、最初は16歳の生子を第68代後一条天皇に入内させようとしましたが、自分の母倫子や同母兄の関白頼通の反対にあい、あきらめました。
 しかしその次の第69代後朱雀天皇(1009~1045)(在位1036~1045)には、これも反対がありましたが、26歳と年増になっていた生子を、強引に入内させ女御と成りました。
  宇治陵総拝所の前をJR奈良線が走っています。
 
 意外と生子と後朱雀天皇との仲は良かったのですが、子供はできませんでした。
後朱雀天皇自身が生子を皇后に推した時には、伯父である関白頼通は、同母弟の娘であるにもかかわらず、生子には皇子も無く、生子が執柄(シッペイ)(摂政関白の別名・政治権力を握ること)の娘ではないと、拒否したそうです。
  宇治陵総拝所前に立つ藤原氏塋域の碑には、頼通の名はありますが、もちろん教通はありません。
 
 1045年後朱雀天皇の譲位と共に、生子は内裏を去り、10年後には出家。
太皇太后・皇太后・皇后に準じた処遇である准后を与えられていたために、宇治陵総拝所制札の最後に、准后藤原生子墓と書かれていました。

      返事
花水木さん:当時の夏休みの記録に、
    30℃以上の日ってあまりなかったと思いますよね。
     冷やしたスイカではなく、冷やした桃やトマトを、田舎で食べてましたが、
    たぶん今の桃やトマトほどは美味くなかったと思います。
toitenlabeeさん:夏もあと1週間ぐらいで、
   35℃以上は終わってほしいですね。

コメント (1)
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