西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

今日の活動、写真の話(普通の日々)

2022-04-22 20:31:59 | 日記

いつものように交通安全挨拶運動をしていると

南の方角から、品のある方が歩いてきます

川井田教育長でした

私の顔を見るなり、「朝ここに来ると会えると思って」

今年度、将来の教育についていろいろお話しさせていただきました

教育は私の議員活動のテーマなのでとてもありがたいです

 

終了後は市役所に行き、今月末に行われる臨時議会について会派で話し合い

お昼ご飯を食べて、宮崎に向かい担当者会議

今年度初めての会議でした

会議終了後自分のパソコンで少し仕事をして、西都に戻りました

 

さて議会が本格的に始まったら、いつものようにこのブログで紹介していきますが

今は少し趣味、つまり写真の話を続けます

 

昨日のブログで3人の写真家に影響を受けたことはお判りでしょうが

一年に数回やっている写真展でも色濃ゆく表れています

 

写真展には、必ずこの写真展に向けての思いを書いています

今日は「普通の日々」と題した、妻の写真だけの写真展での文章を載せます

それでは

 

         普通の日々      写真展モノローグ                                      

 突然カメラが好きになってしまった。それはもっぱら精密感のあるメカとしてのカメラに対する物欲と、すいこまれるような深いコーティングの色をしたレンズに対する物欲であった。

 ある時、古本屋で一冊の写真集を買った。それは11PMやトゥナイトという深夜番組によく出ていたアラーキー(荒木経惟)の本だった。「わが愛陽子」というのがその本だった。その中にある、なに気ない日常の中の陽子さんにひかれ、そしてそれを撮ったアラーキーにあこがれた。愛を撮るってこういうものだと思った。この時から私の指向はカメラから写真そのものへシフトしていった。
 カメラ、写真は昔から興味はあった、実際初任給を使いペンタックスのKMというカメラを買った(10回ローンを組んで)、自分の家族のアルバムをよく見ていた、そこには写っているそのもの以外の空気感、それに関連する出来事(音楽が聞こえる錯覚さえする)を思い起こさせた。アルバムを見て記憶の中の時間を彷徨い楽しんだ。                       

 中学、高校は男子校だった。爆発するかのような思春期に回りは男ばっかり、かろうじて話す異性は母と妹と図書館の職員さんぐらい。こんな環境にいると女性への見方は変わってくる。つまり、女性を異性だと必要以上に強く認識してしまう、性差を超えた友人関係を作れず、無関係か一気にガールフレンドといった両極端に走るのだ(僕だけ?)。                  

 学院生は女性の見方が汚れを知らない聖女か、性の天使(極端ですが)の2方向しか見られないから、相手の女の子に呆れられ、たいていダメになる。普通の異性の友人関係を作りにくい人種なのだ。(女子校はどうだったんだろう、聞いてみたい)                             

 そんな不幸な青春だったが、入った大学がミッション系の文化系大学。当然女子学生は多いし(半分以上、その上女の子は真面目に学校に来るけど、男は余りこないからキャンパスは女の子ばっかし・・・うーんパラダイス)やっと春がきた、spring has come。                      

 僕と同世代はブル-ス・リ-と空手バカ一代の洗礼を受けていると思う。当然ミーハーな僕はもろにその波をかぶっていた。                      

大学の体育会所属の部はどの大学でも厳しい練習をしている。理屈が通る練習ならまだ良いが、通らない(通っていても、理解できない)部がある。応援団と空手部である。                           

 入学式が終わり、一通りのガイダンスが終わるとそこら中、新入部員確保する為、先輩達がうようよいた。バカな僕は空手着を着ている人を見つけ、入部したい旨を告げた。練習は毎日だが練習時間はそう長くなく、先輩もいい人みたいだし、何より経済学部の教授が顧問でほぼ毎日練習に来る(部は松涛館流だったが、先生は流派が違い細部の技が異なっていた)達人という噂があったし、何より温厚そうに見えた、で幸せな2週間が過ぎた。          

 通称洗礼(ミッション系なので)という行事が4月の後半にある。それまでお客様扱いされた新入部員が、身を清めなさい、神(先輩、OBの事)の子になるんですと洗礼をうけるものだが、本当の洗礼なら聖水とパンとで行うだろうが、空手部の場合、聖水が突きで、パンが蹴りなのだ。 

 有り難いことに2時間それを浴び続けた。あまりのことに助けを求めようとして教授を見たが、優しい目をして、うなずいて・・・・新入部員の半数以上が退部した。    

 もう一つ重大なことに気が付いた、空手部には女の子が一人もいないのだ。女子の多い大学で女子部員がいない・・同じ武道系でも柔道、剣道、少林寺にはいるのに、なんてこった。結局男だけの部は空手部とメールクワイヤー(男声合唱団)だった。                           

 大学一年の時、栄(名古屋の繁華街)に、応援団の木村と一緒にいた、前のほうから同じ大学の少林寺の女子部員らしい2人が歩いてきた。どこの大学でもそうだと思うが、武道系の部は、タテのつながりが強い(異なる部でも先輩には礼をかかさない)僕達は彼女たちを先輩だと思いアイサツをした。彼女を初めて認識したのはこの時であった。                   

 中学、高校、そして大学まで飢餓状態にあった僕とずっーと男女共学の彼女、戦いの結果は火を見るよりあきらかである。                     そんなこんなで大学時代付き合い続け、付き合ったら結婚しなくちゃと思っていた僕は、それを彼女に言い続け、大学を卒業して2年後の1981年3月に結婚した。                              

 結婚して住んだマンションはメゾンカリという所であった。新婚旅行を終えてマンションに帰ってはじめて、2人でむかえた朝のことを妙に覚えている。朝起きてみると、今から住み続ける部屋に彼女がいる。この状態が今からずーっと続くんだと不思議な感覚にひたっていた。                

 ゆっくり流れ、またなんて事のない日常の中にこそ、大切でかけがえのないものはあるんじゃないかと思う。    

 義父と酒を飲みながら話をした。彼女が5才か6才の時、今池(名古屋の繁華街)のパチンコ店に一緒につれていったことがあったそうだ。パチンコに夢中になり彼女がいなくなっているのに気付かなかった。あわてて、いろいろ探したけど、なかなか見つからなかった。夕方も近くになり、家の近くの公園に行ってみると、ペタッと座り込んで猫とじゃれている彼女を見たそうである。夕日を浴びて、あきもせずにずっと猫と遊んでいたそうである。私は言葉で聞いただけであるが、まるで自ら見たようにその情景を感じることができた。                                        

笑顔の写真は後でみると切なく感じてしまうのは何故なのだろう
名古屋で生まれ育ち、子供の頃は宮崎に住むことなど想像もしていなかったに違いない。何の因果か僕と知り合い今一緒にいる。            

村上春樹さんの「パン屋再襲撃」の中に次のような文章がある。 
「僕は彼女がひどく気の毒に思えた。彼女は間違った場所に置き去りにされたのだ。もっと別の場所にいれば、あるいは彼女はもっと幸せになれたかもしれないのだ。」
 
 あのとき栄で会わなかったら、彼女は別の人生を歩き今よりもっと幸せになっていたかもしれない。時々そんなことを考えることがある。 考えても仕方がないことなんだけど・・・                              

 永遠に続くことなんてありゃしない、別れ、死は訪れる。         
 古来多くの人が「死を忘れるな」という警告を発してきた。ヨーロッパ中世の絵画には、通常の絵の隅にどくろを描いて死を思い起こさせる趣向のものがある。
 このように警告が鳴らされるには理由がある。死を忘れていると、生きていることのありがたさを忘れてしまう。死に直面するとき、はじめて人間は生きることの大切さを知る。それまで、異性に恵まれていない、脚が短い、金が自由にならない、病気ばかりしている、と不平ばかりいい、目先の利害に一喜一憂している人が、死を意識すると一時的に真人間にもどり、それまでの生活を悔い改め、自然の美を見出し、人類愛に目覚め、脚が短いことにも感謝するのである。人間が愚かな行為をするのは死を忘れているからだ。死と向かい合って生きるのが人間のあるべき姿である。こう考えられるのだ。            

                                        哲学者の土屋賢二氏の言葉より。・・・メメントモリ                                         長いようで、あっという間に30年たってしまった。
 色々あったけど、普通の日々こそが、かけがえなく、大切なものだと思っている                                                                                          橋口登志郎          
                        2011年3月15日

 

結婚して30周年を記念した写真展

 

コメント
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